独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

1個と4個の選択肢

基本的なことを考えたいと思います。
試験問題の主流は、5つの選択肢からなる5択方式になっています。この5つの選択肢の中から、ひとつの正解を選び出すわけです。
つまりは、試験問題は、正解となる1つの選択肢と間違った4つの選択肢で構成されることになるのでございます。
この前提を、受験生の逆の出題者からみてみましょう。
出題者からすれば、そもそも選択肢には、合理的且つ論理的に導かれる理由と根拠を置く義務がございます。
いつ、どこで、だれに追求されても、「これこれの理由で正解(間違い)である」と説明可能・検証可能の問題を、出題しなければならないわけです。
正誤が明確でない選択肢を出してしまい、ひとつの問題にふたつも正解がついてしまえば出題者として失格です。
この理由・根拠を、わたしたち受験生は問題演習で追求することになります。
正解を選べ、と問題文に書かれているから、正解だけを追及する人がございます。
半分正しいのですが、半分間違っています。少なくとも賢明ではありません。
考えて見ましょう。あなたが出題者であれば、正解とひと目でわかる問題を作るかどうかということです。
せっかく5つも選択肢を作ったのです。選択肢のそれぞれには、心血を注いだ解答根拠を作り上げたのです。
それなのに、わざわざ正解だとすぐにわかる問題を作るか、というわけです。
もちろん、点が取れる問題・ボーナス問題としてそういうひと目で判別できる問題を作るかもしれませんが、その数は少ないことでありましょう。
よっぽど寛容の精神のある人でない限り、作った問題には迷彩を施してすぐには解けないように、少なくとも選択肢の全部に目を通すように仕向けることでありましょう。
出題者も同じ人間でございます。やはり、自分の努力の結晶である問題文と選択肢を読んでほしいものなのでございます。
どんな問題にも「正解」があり、正解となる理由・根拠が存在しています。同様に、不正解となる選択肢にも不正解となる理由があります。
たったひとつの正解を追い求めるのは、出題者の心理から見て難しいものでございます。
それよりも、選択肢の5つそれぞれにある理由を追求した方が、結果的には効率的に短時間で解答を求めることができるのでございます。
5つの選択肢すべてにあたるのはめんどくさいようですが、1番有効な手段であることをご助言したく存じます。

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半分の時間で

試験勉強はなんといっても、過去問の制覇でございます。
試験合格のかなめは過去問にあるといっても過言ではないのでございます。
過去問ができずして、本試験もできるわけがございません。
過去問を解くのに時間がかかるのであれば、本試験でも解答時間が足りなくなるのは自明でございます。
過去問でど忘れが頻繁に起きるなら、本試験でも思い出すことはできないでしょう。
「まずは、過去問!!」を、お勉強の目標においてほしく存じます。
いくらテキストや問題集ができるようになっても、過去問の洗礼を受けなければ、学んだことの半分も発揮できないものでございます。
テキストを完全に仕上げてからなどと思わないで、さっさと過去問演習に入っていくようご助言いたします。
過去問演習では、回数が大切でございます。
過去問は、とりあえずの3回は繰り返します。3回繰り返せば、まあ、なんとかできるものになるでしょう。
もちろん、できないのであれば過去問から離れ、テキストや基本的な問題集で、復習に勤しむか再勉強をしなければなりません。
実際には、過去問の演習を進めつつ、自分の苦手な章や項目の個別的なお勉強を同時進行するというのがベターでありましょう。
やはり、過去問には過去問でしか勉強できないものがございます。
ある程度、テキストの内容や問題集の問題が理解できたら、さっさと過去問に進むべきでございます。
この過去問ですが、過去問演習の果てには、試験時間の半分の時間で解けるようになるものでございます。
たとえば、試験の時間制限が60分であれば、30分で全問を解答します。そして、残り30分で復習や備えのお勉強をするといった按配になります。
もちろん、これは脂の乗り切った最終形態なので、それに到るまでは四苦八苦、1回分の過去問題を解くのに数倍の時間がかかるといったところからのスタートでございます。
演習してしっかり復習して、できないところはテキストで集中的に手当てして。。。といったお勉強を繰り返していくうちに、できるようになるものでございます。
過去問ができるようになったのか不安、という方は、時間で自分の実力を測るよう、ご助言するものでございます。

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合格にもピンとキリ

わたくしたちは、合格を目指してお勉強に励むものでございます。
試験勉強においては、ふたつの評価しかないものでございます。
合格か、不合格か、それ以外の評価はないのでございます。
いくら模試が成績上位であろうとも、不合格であれば空手形・空証文の類と同じでございます。
なんとも一生懸命がんばって、毎日12時間はお勉強をしたといえども、不合格であれば「ご苦労さん」の一言で片付けられてしまうものでございます。
本試験で高得点を取ったのはいいが、名前や受験番号を書き忘れたために不合格になれば、全くの徒労になるものでございます。
合格発表があって、合格証書を手に入れることだけが、受験生たる者の結果なのでございます。
もちろん、お勉強の過程も大事ではございます。そのプロセスこそ、次の成長の機縁になるからでございます。
合格者であろうとも不幸にも落ちた人であろうとも、結果までのプロセスこそ、実質的な真のお勉強でございます。プロセスから学ぶからこそ、わたくしたちは人として成長発展するものでございます。
試験の結果が不合格であったからといって、すべてのプロセスが悪いものと断言してはなりません。
わたくしたちは、機械ではありませんから、機械の性能評価のように己を見てはいけないのでございます。
とはいえ、語られるのは、合格か否かという結果のみでございます。
合格以外はそう語られないものでありますから、合格者の言だけが大きく取り上げられるものでございます。
しかしながら、合格者はすべてが同じというわけではないのでございます。
優秀な人で完全に実力だけで合格した人もいれば、たまたまマークシートの記入が当って運で受かった人もいることでございましょう。
結局のところ、本試験という1点のみで決まってしまうために、直前期の追い込みや一夜漬けで滑り込みで合格する人もいないわけではないのでございます。
合格者にもピンとキリがあることをご理解頂ければと存じます
合格者のすべての言が正しいとはいえないものでございます。
1級品もあれば、紛い物もいるということでございます。
わたくしなどは、受験後にたくさん勉強したほうですので、合格者のなかでは結構なアレであったと自問する次第でございます。
世に流布する試験情報というのは、玉石混交の合格者から発せられたものであることをご理解頂ければと存じます。
情報を鵜呑みせず人を見る目で以って、その言を計るのがよろしいかと存じます。
発言者の実際のその人となりを知らないのであれば、話半分で寝転んでせんべいをかじりながら聞いているかのような受け取り方でよいのではないかと考える次第でございます。

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