美しさは皮一枚、と申します。
人間の美醜など、ほんの数ミリの差でしかないのでございます。
しかし、そのわずかなもので、男女ともども人生が変わり、好転し、破綻するものでございます。
世の中には、ほんの少しで大きな差を生むものでございます。
薄皮をむく、という表現がございます。
理解というものは思いますに、やはり薄皮一枚の世界なのでございます。
ほんのちょっとしたことで、一気に氷解するものなのでございます。
しかし、その「ほんのちょっと」にたどり着くには、けっこう時間やら手間を食うものなのでございます。
物覚えの悪い人を見ると、イライラしてしまいますが、知っている人には当然なのに、知らない人には待ったく皆目わからない、ピンと来ない世界が理解なのでございます。
知らない人、わからない人に、どれだけ多くの言を重ねても、「?」であり、何かの拍子で「なあんだ」となるものでございます。
せっかくの理解の努力も、大半は失われてしまうものでございます。
ちなみにわたくしは、多くの資格試験で完全な理解に至ったものはすくのうございます。
実のところ、しっかり理解したというより、「このくらいなら点が取れる」という程度の把握が多かったなと自問する次第でございます。
「過去問の調子からすれば、まあこの程度でよかろう」という塩梅でございます。
実際のところ、完全に理解するのは難しいので、最終的な本試験の日までは、点を落とさない程度に把握しておけばよい、という姿勢で臨んでおりました。
試験勉強というのは、中・長期の期間を取るものでございます。
科目のなか、学科のなかには、「薄皮」のような、ほぼ偶然に近い形で理解に到るものも多いのでございます。
ゆえに、そんなものに徒労に終わりうる努力をするよりも、自分のできることを着実にやっていこうとした次第でございます。
本試験まで、直前期までは、適当と申しますか「この程度」くらいでおさえていけばよいと存じます。
一生懸命やって理解にいたるものではないのが、この薄皮。
できる部分からおさえ、できる部分が増えてから、よくわからない箇所を攻めていくのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年10月2日 8:58 AM |
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論理的、であることが苦手な方がございます。
そうはいっても、嘆くことは少しで結構でございます。
人間、論理で割り切ることはデキマセヌ。
毎日、鏡を見れば言わんとすることがわかるかと存じます。
毎日、お風呂に入るときに気づくかと存じます。
まあ、情緒的な方が人間味も出るし、周りは円滑になるものでございます。卑下することはそうそう、ないのでございます。
理屈一本の人間は、何か病的な面があるものでございます。何事も程がよい、と申します。
しかし、まったく論理性がなくてもよい、かというとそうでもないわけでありまして、山椒のように、多少はないと人生、うまく行かないのも必定でございます。
たとえば、多少の論理思考なのでございます。
1年に100万円預ければ、4ヵ月ごとに9万円が配当として支払われます。年あたり36万円、36%でまわせるという「お話」があったとしましょう。
よくよく考えてほしく思います。こういうことでございます。投資の話であるからウマイと思ってしまうのでございます。
金を貸すのと同じ理屈なのでございます。
サラ金から年利36%でカネを駆りまくっている親戚なり知人にですよ、あなたにも同様に年36万円の利子を払うから貸してくれ、といわれたとき、あなたはどうなのですか、ということです。
その親戚・知人、金を駆りまくっては高級外車、時計、身なり、飲みに金をつぎ込んでいたとしたら、あなたならどうするのでしょうか、というわけでございます。
おそらくは断ることでありましょう。
お金の動く名目が違うだけでございます。
「投資」か「出資」か「借金」かで、違うだけでございます。実質的なカネの動きを見てほしく存じます。
金を貸してくれ、といわれたら貸さないのに、投資で年利36%といわれると財布のひもが緩むのでございます。
不思議な話でございます。
理屈はいくらでも生み出せます。事実は、ひとつでございます。
多くをアレコレ考えるより、ひとつの事実、動かしえないものから考えるほうが、より論理的かと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年10月1日 11:05 AM |
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行き当たりばったりでは、長く試験勉強は続けていけないのでございます。
やはり、自分がどこかに向かっているのか、自分がどういう調子なのかを計らないことには、お勉強というのはうまく行かないものでございます。
しかし、だからといって、毎日毎日、細かいところまで学習計画を決めなければならない、わけではないのでございます。
もちろん、毎日の作業を細かく決めるのはよいものでございます。しかし、そういうマメなことができるのは、性格に由来しているものでありまして、ちゃらんぽらんな人には少々荷が重いのであります。
毎日、そんなことをしてごらんなさい、まず3日で出家できます。
いい加減な人はそもそも、細かく計画する方が、お勉強以上に大仕事なのでございます。
しかも細かい計画というのは、トラブルやアクシデントに弱いのものでありまして、いったん事あればスグに困った事態に陥るものでございます。
「実は、あなた(君)のことが気になっていて・・・」なんてメールや電話、喫茶店で話になった途端、方向は180度回転し、お勉強計画などどこぞに吹き飛ぶものなのでございます。
恋はアダ華、やけぼっくいに火がつく、なんてことになれば、お勉強なんてあんぱんの上のけしの粒ほどでしかないのでございます。
細かいことは、環境がそれを許しているだけでございまして、できるのは、できるから、できるのでございます。
わたくしたちは、できそうになくてもできる、できないっぽいけどできる、という観点を持ち、学習計画を立てるべきなのでございます。
さて、では、どう考えればよいかと申しますと、ぐうたらな人は、大雑把に「週」を単位に考えればよいのでございます。単位は、「日」ではないのでございます。
適当におおまかに、今週はアレとアレをしようか、とそれだけ決めておいて、後はそれを週7日使って消化するのでございます。
毎日するのは、お勉強でございます。できるだけ、やることは少ないほうがよいのであります。
学習計画が、学習を邪魔していることは多々ございます。
週にやることだけをざっと決めておく計画が、長く続くものなのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年9月28日 9:32 AM |
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