独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

大雑把でないところ

独学のベースは、適当且つ大雑把です。
ぶっちゃけいうと、最初から細かいところを仕上げていくお勉強だと、独学では続かないからです。
ざっとやっていって、必要なところから精緻に仕上げていくというやり方でございます。
こういうとなんですが、絵描きの人がざっとラフデザインをしてから下絵を完成させ、そしてちょこちょこと全体の色彩を整えつつ、細かな部分へ丹念に筆を入れていくというような高尚なたとえができることでしょう。
お勉強というのは、本試験のその日さえできていればよいものでありますから、その日までにできていればいいさと気楽に大風呂敷で構えておけばいいのでございます。
このように、大雑把がモットーの独学ではありますが、例外もあるのでございます。
お勉強の作業自体は適当でいいのですが、しっかり意識すべきところがあるのでございます。
それは、「何をするか」をしっかりアタマにおいて置くことでございます。
特に勉強序盤のうちは、今日の勉強は何かを、何をどれだけどのくらいするのかを詳細に把握してほしく存じます。
できるだけ、細かく見るのが賢明です。たとえば、問題演習であるなら、「第〇問、第△問、第□問。。。」という風に、自分が何問目をしていくのかさえ、意識するのです。
テキストを読むのであれば、「〇〇について×ページから△ページまで」などというように、細かく詳細にすべきことを把握するのでございます。
というのも、記憶というのは、大きな中心的なテーマに引っ付きやすいからでございます。
「今日は〇〇をやった」という詳細な検討があるだけで、記憶に残りやすいのでございます。
昨日は何をやったかな?と思ったときに、「〇〇だ!」と思い出せることさえできれば、お勉強したことのふたつみっつは思い出せるものでございます。
そのうえで復習をすれば、やったことの7割の記憶の息は吹き返すことかと存じます。
自分がやるべき中心的なテーマをしっかり意識することで、お勉強の効率のベースアップを図るものなのでございます。
よくお付き合いの中で、記念日にこだわる人種の方がおられるかと存じます。
わたくしなどは、自分の誕生日すら忘れますし、ときどき電話番号さえ忘れる人種でございます。
アタマの中は新作菓子パンでいっぱいなので、無用なことはすぐにどこか消えてしまうのでございます。メールアドレスなどは、菓子パン大好き@なんたらで統一しているものでございます。
結婚記念日や「今日は2人が出会った日」といった諸々の記念日を重視するのは、こうした中心的テーマを頭に刻みつけ重要視させることで、愛を忘れないよう、愛を再び確かめているものかと考える次第でございます。
「そういう人おったなあ」と老若男女ともども、思いを馳せてくださればと存じます。それは、印象付ける作戦だったのでございます。
愛すらも記憶と忘却の戦いでございます。
己の取っている、または取ってきた手練手管の職人芸を、お勉強にも活かすべきなのでございます。

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絶対集中

むかしの子供時代のことを考えてほしく存じます。
小さいころというのは、いつもひとつのことしかできませんでした。
テレビを見るならテレビを見るだけ、絵本を読むなら絵本、ご飯を食べるならご飯、買ってほしいものをねだるときはねだるだけであったかと存じます。
長ずるにいろいろなことを一時にできるようになります。
テレビを見ながらチラシを読んだり、パソコンで報告書を書きつつお酒を飲んだり、妻と接しつつ新人の女の子に思いを馳せたり、旦那のワイシャツにアイロンをかけながら新任の店長に想ってみたりと、あれやこれや、三面六臂の作業ができるようになるのでございます。
それはそれで、成長の証であるといえましょう。
日の丸弁当より幕の内のほうがおいしくいただけるように、一定の時間内で多くのことができるようになったほうがようございましょう。
しかし、難しい問題が発生したときは、この一時多方面作戦というのは、あまり功を奏さないのでございます。
ときには子供時分のように、ひとつの問題について、その他はかなぐり捨てて臨むことも求められているのでございます。
これはお勉強だけに限った問題ではないのでございます。
わたくしたちは、お勉強以外の重要な問題を抱えております。
生活上の問題、家庭上の問題、仕事上の問題、経済問題、健康問題などなど、挙げれば列挙の暇がないほどでございます。
まあ、たいがいのことは、解決可能でございます。しかし、まったく解決の糸口やら手口やら、着手やら実行に躊躇してしまう難しい問題が生じるものでございます。
そういうときは、自分の力を分散させず、くれぐれも、それぞれに1点集中して突破するようご助言する次第でございます。
基本的に、何か問題を抱えてのお勉強というのは、作業の負担は高いうえにほとんど功を奏しません。
難しい問題を前に自分の力を分散させてしまうと、その問題の解決は元より、テキストはシッカリ読めないし、問題集は1問1問ごとに深い演習ができません。
結局、中途半端にしかお勉強できないものでございます。
考えてみれば明白なのですが、心のエネルギーが難しい問題に取られているので、お勉強まで回らないのでございます。
いくらなんでも、ガス欠でお勉強はできはしません。
ですから、じっくり目の前の問題と格闘し、ある程度の解決をつけることが、最善のお勉強になっているのでございます。
たとえば、時間に委ねるまで処置を進める、問題発展時の最悪の自体をシュミレーションして手当てをする、自分に与える影響の度合い、解決の手段・方法、求められているものを模索する、などなどでございます。
難しい問題でも、雑事(お勉強のことを含みます。)を捨てて、一新に専念すれば妙手を思いつくものでございます。
こうして難しい問題を処理してから、すっきりしてお勉強に舞い戻ればよいのでございます。
答えは自分の中にあると申しますが、なんてことはない、子供のときに戻って目の前の事だけに集中するやり方をもう一度とればよいのでございます。

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やはり小まめに

何かを意図的に憶えようとするなら、小まめに、としかいいようがないのでございます。
結局のところ、記憶とは印象でございます。
テキストを読んだり、問題集を解いたりすると、やったことの印象が脳に残るかと存じます。
この印象は短期の記憶で、ごく短時間なら憶えていられる記憶でございます。
今日食べた昼のメニューは憶えていられるも、10日前の昼ご飯は憶えられない理屈でございます。
印象なのでございますから、必ず忘れてしまうものでございます。
隣で寝ている人の第一印象でさえ忘れるわたくしたちでございます。
なぜ、しちめんどくさくてややこしい勉強の細かな印象を憶え続けることができるでしょうか。
あっという間に、頭から雲散霧消するものでございます。
印象というのは、一度だけでは絶対的に不足するものでございます。
いい人、やさしい人、家庭的な人、頼りがいのある人、俺を頼りにしている人と、「印象」付けるのに成功したからこそ、現在のわたくしたちがあるのでございます。
印象付けるために、どれほどの努力を払ったのか胸に手を当てて振り返ってみてほしく存じます。
その涙ぐましい努力の2割ほどで結構でございます。
そのくらいの手間をかけないと、印象とは到底、記憶とならないものでございます。
ですから、何度でも丹念に繰り返すことでございます。一度や二度ではダメでございます。最低1週間は、続けるべきでございます。
特に、憶え難い公式やらルール、数字を憶えないといけないときなど、まさに物量作戦・人海戦術でございます。
小まめに何度でもの精神でございます。
何度もやっていくうちに、ようやく記憶の萌芽が生まれてきます。
そうなったらあと少し、問題演習で栄養を与えてやれば、しっかりした記憶に育つことでありましょう。
メモに書いておいて気になったら見る、メールにして携帯に送って常に見れるようにするなどの細かい積み重ねが、本試験で1点を確実に生む記憶となるのでございます。
もちろん、そのほかに効率的に憶える方法もあるかとは存じます。
しかし思いますに、この小まめな記憶方法は、誰にでも可能で、誰にでも効果があり、今すぐにできて、何か特別な準備は要らず、お金かかりませんし、特に入門書や資格やカウンセリングなども不用でございます。
時間はかかっても確実なやり方がお好きな方は、小まめな憶え方が最適かと存じます。

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