お勉強といいますのは、合格するに足る実力を身につける作業でございます。
基本的には、力を蓄えれば蓄えるほど、合格は近づいて参ります。
しかし、なのでございます。
実力が付き出した中盤から序盤で、ある問題が浮上して来るのでございます。
それは、「難しいことが楽しくなる」ことでございます。
その語句の通りに、難しいところを読んだり難問を解くことが快感になってくるのでございます。
その背景には、実力の存在でございます。当たり前のことではありますが、実力がないときは難しいところなど頭が痛くなるだけですから、距離を取るかスルーをするのみでございます。
しかし、実力が付いて参りますと、解けたり理解できるようになるのでございます。
これが、面白い!と相なるわけでございます。
このため、実力者ほど難問や奇問、珍問に一生懸命になってしまうのでございます。
これが問題なのでございます。
何が問題なのかと申しますと、試験の合否というのは、難問や奇問の類は握っていないという事実でございます。
合格と不合格が決まるのは、大概、基礎的・基本的な問題で決まってくるのでございます。
ほんとうに、テキストの黒文字・太文字で書かれているようなこと、問題集で定番の問題、受験生なら誰でも知っているようなことで合否というのは分れてくるのでございます。
実力が付いてきましたら、その実力に引っ張られるようなお勉強をするのは控えてくださればと存じます。
勉強すべきかやらざるべきかは、点数の取れる勉強かどうか、または点数を落とさない勉強となるかどうかで把握ください。
それをやることで何点が期待できるのか冷静に計算してみて下さい。
ほんとうに実力のある人ほど、とんちんかんな勉強に奔ります。
これまで一度も出た事がないところを一生懸命になったり、もう二度と出ないだろう難問や奇問に熱中したりするのでございます。
よっぽどの確信や事情、傾向がないのであれば、難問や奇問の類には一生懸命にならず、基礎と基本をさらに充実化してくださればと存じます。
難問や奇問に費やした時間を過去問の復習や基礎・基本事項の確認に使っていれば合格していたという人は多々居られます。
わたくしたちは、合格点を取って合格するためにお勉強をしているのでございます。
お勉強のためのお勉強ではありませんので、この点、ご注意くださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年3月10日 6:52 PM |
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試験勉強といいますのは、不安との戦いでございます。
試験勉強といいますのはそういうものでありますから、不安は仕方のないことでございます。
どうしたって、合格者と不合格者とに分けられてしまいますから、もともとが不安を抱く構造・システムなのでございます。
しかも、不合格者になる可能性の方が大きいのですから、なおさらでございます。
その不安を打ち消すには、お勉強をするしかないわけでありますが、これまたアレなのでございます。
傍目から見ますと、やればやるほど不安は消えて、自信が増しているように見えるのですが、実はそうではないことが多々なのでございます。
お勉強が進めば進むほど、やるべきことは増えて参ります。確認すべきこと、復習すべきことも同様に増して参ります。
これら「べきこと」が、新たな不安の種となるわけであります。
しかも、できるようになっても、憶えたとしても、(きちんと記憶できているだろうか)とか、(忘れないだろうか)とか、(本番できちんと思い出せるだろうか)、(本試験で解けるだろうか)といった不安がもくもくと湧いてくるのでございます。
また、ほんとうに実力が付いたかどうかは、当の本人にとってはよくわからないことでございます。
たとえ、模試や予想問題にていい点数・成績が出たとしても、気休め程度でありまして、だから、本試験に打ち勝つ実力が付いているのかどうかと言われると、微妙なのでございます。
基本的に、お勉強を続けてさえいれば、本試験にてもそれは必ず発揮されるものでございます。
お勉強の不安とは大半が取り越し苦労でございます。
しかし、簡単には消えないし、気持ちの消耗に繋がるから厄介なのでございます。
自身に実力が付いたかどうか、不安を憶える方は、「おかしさ」「違和感」をもとにお考え下さればと存じます。
逆にいうなら、そう思わない時・場合は、取り敢えずは大丈夫でございます。(もちろん、定期的な復習で記憶や理解の維持は欠かしてはなりません。)
見直してみて、(おかしいなあ)と感じる時は、やり直す価値はございます。
ふと目にして、(なんだかなあ)と感じる時は、復習する価値はございます。
直感と申しますか、カンといいますか、ゴーストのささやきと申しますか、そういうものを大事にしていけば宜しいかと存じます。
お勉強を続けていくうちに、こうした感性は磨かれてまいります。
「変」、「おかしい」がわかるようになったら、それが実力の証でございます。
不安というのは、一種の防衛機制でありまして、上手に用いれば、よき復習の原動力となるものでございます。
しかし、いたずらに不安に振り回されるのも賢明ではありません。
おかしいなという自身の感じ方から、実力の判定とお勉強の機会をお設けくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年3月9日 12:33 PM |
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「ケアレスミスをなくす」−このことは、お勉強で必須の作業でございます。
全くわからないがために間違うのは構わないのでございます。
それはそれで仕方がないからでございます。
しかし、ケアレスミスの類はそうではありません。
8割〜9割のところまで、正解に漕ぎつけているのに、間違うわけでございます。
割に合わないといいますが、これまで払ってきたお勉強の努力と引き合わないと申しますか、まったく丸損と断言しても過言ではないかと存じます。
ほんとうに損しかしておりません。得るところは絶無でございます。
これをお読みの皆様方におきましては、本試験が近づくごとに、ケアレスミスの類から目を離さず、根絶する勢いで臨んでいただきたく存じます。
しかしまあ、お勉強でのミス話、しくじり話というのは尽きないものがございます。
わたくしのミスで鮮やかに記憶に残っておりますのは、問題文の読み間違えでございます。
設問では、「5つの選択肢の中から、誤っているものをひとつ選べ」と言われているのに、なぜか正解の選択肢を選んでしまうのでございます。
ご丁寧にも問題文には、「誤っている」という箇所に太文字・アンダーラインという装飾までしているのにもかかわらず、でございます。
恥の上塗りと申しましょうか、このミスには続きがありまして、設問は「誤っているものをひとつ選べ」ですから、選択肢の正誤は正解4・間違い1と相なるものでございます。
しかし、なのでございます。
頭は「正解を選ぶ」先入観でいっぱいでありますから、なぜか個々の選択肢の判別が「○、×、×、×、△」てな感じになってしまうというわけでございます。
各選択肢の選別すら、思いっきり間違えているわけでございます。
しかも、当の本人はそのときまじめに解答しております。
正真正銘に、まっすぐに間違っているというわけでございます。頭が倒錯しているとしか言いようのないしくじりでありました。
そのほかに、解答用紙への記入ミスでございます。
正解を導き出したはいいが、なぜだかそれを解答用紙にマークするときに違う番号に丸をつけたり塗りつぶしたりするのでございます。
わたし自身、例えば、正解肢が「3」と導き出したのに、なぜだか解答用紙の「2」にマークしていた事がありました。
2と3を間違うはずがないのに、なぜだか、間違えた番号をマークするのでございます。
頭が錯乱しているとしかいいようのないミスと今でも思う次第でございます。
これらのほかにも、語句や用語の読み間違い、数字の読み取り違い、意味の勘違い、意味の取り違い、見落としなどなどもやって参りました。
皆様の考える以上に、ミスというものはございます。
決して油断しないように、目の前のお勉強にお臨みくださればと存じます。
できるなら、犯したもろもろのミスはメモしておいて、直前期あたりで一度、再確認してくださればと思います。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年3月8日 2:14 PM |
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