独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

しくじり話

「ケアレスミスをなくす」−このことは、お勉強で必須の作業でございます。
全くわからないがために間違うのは構わないのでございます。
それはそれで仕方がないからでございます。
しかし、ケアレスミスの類はそうではありません。
8割〜9割のところまで、正解に漕ぎつけているのに、間違うわけでございます。
割に合わないといいますが、これまで払ってきたお勉強の努力と引き合わないと申しますか、まったく丸損と断言しても過言ではないかと存じます。
ほんとうに損しかしておりません。得るところは絶無でございます。
これをお読みの皆様方におきましては、本試験が近づくごとに、ケアレスミスの類から目を離さず、根絶する勢いで臨んでいただきたく存じます。
しかしまあ、お勉強でのミス話、しくじり話というのは尽きないものがございます。
わたくしのミスで鮮やかに記憶に残っておりますのは、問題文の読み間違えでございます。
設問では、「5つの選択肢の中から、誤っているものをひとつ選べ」と言われているのに、なぜか正解の選択肢を選んでしまうのでございます。
ご丁寧にも問題文には、「誤っている」という箇所に太文字・アンダーラインという装飾までしているのにもかかわらず、でございます。
恥の上塗りと申しましょうか、このミスには続きがありまして、設問は「誤っているものをひとつ選べ」ですから、選択肢の正誤は正解4・間違い1と相なるものでございます。
しかし、なのでございます。
頭は「正解を選ぶ」先入観でいっぱいでありますから、なぜか個々の選択肢の判別が「○、×、×、×、△」てな感じになってしまうというわけでございます。
各選択肢の選別すら、思いっきり間違えているわけでございます。
しかも、当の本人はそのときまじめに解答しております。
正真正銘に、まっすぐに間違っているというわけでございます。頭が倒錯しているとしか言いようのないしくじりでありました。
そのほかに、解答用紙への記入ミスでございます。
正解を導き出したはいいが、なぜだかそれを解答用紙にマークするときに違う番号に丸をつけたり塗りつぶしたりするのでございます。
わたし自身、例えば、正解肢が「3」と導き出したのに、なぜだか解答用紙の「2」にマークしていた事がありました。
2と3を間違うはずがないのに、なぜだか、間違えた番号をマークするのでございます。
頭が錯乱しているとしかいいようのないミスと今でも思う次第でございます。
これらのほかにも、語句や用語の読み間違い、数字の読み取り違い、意味の勘違い、意味の取り違い、見落としなどなどもやって参りました。
皆様の考える以上に、ミスというものはございます。
決して油断しないように、目の前のお勉強にお臨みくださればと存じます。
できるなら、犯したもろもろのミスはメモしておいて、直前期あたりで一度、再確認してくださればと思います。

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点への意識あれこれ

日々のお勉強では、それほど正解・不正解をシビアに考えなくても結構でございます。
ですから、況や点数についてをや、でございます。
試験勉強の序盤はいうまでもなく、中盤においてですら、正解・不正解、点数の高低は考えずとも結構でございます。
逆に間違えて痛い目に遭ったほうが、実力の伸びが早いくらいでございます。基本的には気にしない方針で、お勉強をお進めくださればと存じます。
しかし、本試験がだんだんと近づいて参りますとそうはいってられなくなります。
「点」というものを、強く意識せざるを得なくなってまいります。
しかし、「点」を意識するとは、いったいどういう事なのかというわけでございます。
60点だったあと少し!、70点だった合格できる!と騒ぐ事なのでありましょうか。
または、30点だった、50点だったと点数の低さを気にかけることでありましょうか。
はっきり申しますと、そんな「点」の意識など、ハナクソのようなものでございまして、別段、意識するものではないかと存じます。
そんな事よりも、自分が何をどう間違えたのかを徹底的に追及する事が肝要であるかと存じます。
点数で重要なのは、本試験その時の点数のみでございます。
模試や本番形式の問題集でどんな点を取ろうとも、本試験には直接的に影響を与えません。
模試等でよい点なら、本試験に加算点があるというのなら、点数に大騒ぎする理由はございます。
しかし、そんなことはありませんから、点数についてあーだこーだ考えるのは無用であると、述べておきたく存じます。
先ほどもいいましたように、点数以上に大事な事がありますから、それを消化するのが先決でございます。
基本的に、やるべきことや確認事項や復習リストの内容を消化しようとするならば、点数などを気にしている余力などないかと思います。
まずは、気にする方向性といいますか、気にする利害をきっちりおさえて上で、点数というものをお眺めくださればと存じます。
さて、「点」でございます。
わたくしたちは合格するためには、ある程度の点を確保しなければなりません。
しかし、その点を確保するためには、時にはくだらない暗記をしたり、わけのわからぬ単に試験だからやらされるようなことをお勉強する羽目に到るかと存じます。
そこでは、覚悟が必要でございます。
合格するのに必要な犠牲・コストだと思って、飲み込んでいくしかありません。
わたくしたちは現実的な意味での「1点」を取ることが必要なのでございます。
理屈はいろいろありましょうが、高尚な試験理論や高度の方法論がありましょうが、要は「点」を取るのみでございます。
実戦的なお勉強といいますのは、まさにかくの如しでございます。
実戦の外に居る人なら(くだらないな)と思うことでも、実戦の只中にある人にとっては、重要なのでございます。
試験の当事者はわたくし達自身でございます。
やるからにはやらねばならないのでございます。
この点、勘違いなさらないようにしてくださればと存じます。

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ところが違うんだ

基本的に独学では、自身の好不調や、成績の良し悪し、偏差値や順位などを気にしないものでございます。
わたくしたちの最大の関心は、合格するかしないかの2点しかありません。
合格や不合格を薄めたようなもので、気を紛らわせたり止むくらいであれば、過去問の復習をするのがわたくしたちでございます。
一昔はやった言葉に、バイオリズムという言葉がございます。上下する波線で、体調などを測った波線のことでございます。
わたしたちという存在は、まあ、上下する線のように揺れ動いているものとお考え下さればと存じます。
いいときがあれば悪いときもあります。福禍はあざなえる縄の如しとも申します。憎しみは愛から生まれるなどと申します。景気のいいときほど、悪いときに備えねばなりません。
色々と我が身を思い返してみても、上がったり下がったり、浮沈しているのが実際のところかなと思う次第でございます。
ですから、ある事柄に対して、極端に落ち込んだり、過度に楽観になってはならないわけでございます。
上下する波線の一番上のところで得意げになっていても、その後には急降下が待っているわけでございます。その得意は何の得意なのか、というわけでございます。
また、線の一番下のところでウジウジしていても、次には急上昇が待っているわけですから、気に病む必要はないわけでございます。
こんな風に、少し視点の幅を広げてみますと、現状というものがよりわかるような気が致します。
もちろん、常に上下が繰り返されるわけではありませんから、線の上のところから更に高いところにもう1段階あがるときもありましょう。
逆に、弱り目に祟り目、どん詰まりのくそ詰まり、どんどん底の底を窺うように下の方に落ちていくこともありましょう。
お勉強におきましても、かくの如しでございます。
お勉強中に、もういいやと思った際には、「ああ、いまが線の下のところだな」という風にお考えくださればと存じます。
そして、もう少し辛抱すれば上向くのだからやろうかな、くらいに楽観的に構えて、目の前のことを消化なさってくださればと思います。
きっと以前の不調時がうそのように感じるときが来るかと存じます。
一方で、調子のよい時は気を付けなければなりません。受かるんでないかい、とか、これは合格だな、受かるだろ〜などと考えているときには、波線の上の方に自身がいることを意識してくださればと存じます。
底から高転びに転ぶこともございますし、油断はケアレスミスの元でございます。
1点の失点で合格者の席は容易く入れ替わります。合格証書が手元に届くまでは、油断してはなりません。
結局のところ、わたくしたちは、状況が良かろうが悪かろうが、そう気にしなくてもよいのでございます。
良くても悪くてもすることに変わりはないのでございます。
良かろうが、ところが違うんだな、でございます。
悪かろうが、ところが違うんだな、でございます。

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