独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

推奨はさつまいも

今回は、食べ物についてのお話でございます。
秋も深まってまいりまして、何もかも美味しく頂けるわたくしでございます。
最近、わたくしがはまっておりますのは、タイトルのそのままの「さつまいも」でございます。
このさつまいも、お勉強の間食や軽食に最適であるかと存じます。
さつまいもの何よりの利点は、眠たくならない点でございます。
眠たくなる代表はお米(ご飯)ですが、さつまいもは食べても血糖やらなんやらが上がらないのか、食べてお腹が膨れても、少しも眠たくならないのでございます。
お勉強の疲労回復・ストレス発散のための軽い食事なのに、食べた後、猛烈な睡魔に襲われては元も子もありません。
さつまいもを推奨する理由は、眠たくならないからでございます。
つぎに、第2の利点は、食べ過ぎないことでございます。
いくら美味しい芋とはいえ、ぱさぱさしているのは構造上、仕方がありません。
このぱさぱさ感のため、クッキーやチョコレートをバリバリ食べるような真似ができないのでございます。
お菓子や菓子パンには、口の中にたくさん放り込む喜びがございます。口いっぱいに広がる甘さが、極上の時間を味わわせるのでございます。
しかし、こんな食べ方をしていますと、驚くほど太ります。あっという間に肥え始めます。
腹肥ゆる秋なんて馬じゃあありません。
しかし、さつまいもは、ぱさぱさしており一時に食べることができませんから、適量を口の中に入れることになります。
このため、食べるのに時間がかかり、この「時間がかかる」ということがゆっくり頂くこととなり、満腹中枢が刺激され、なんだか満腹になるのでございます。
食べ過ぎない、太り難いというのが、さつまいもの第2の利点になるかと存じます。
もちろん、お菓子や菓子パンに比べれば、まったき低カロリーの食品ですから、実質的にも太り難いものでございます。
第3の利点は、さつまいもの甘みでございます。
さつまいもは別名、甘藷といいますよに、甘みがたくさん含まれてございます。
もちろん、飴ちゃんや板チョコ先生のような甘みはありませんが、それでも、甘いことには変わりありません。
味覚的には、やや甘いさつまいもなのですが、意外に「甘み欲」というのは、満たされるように思います。
というのも、さつまいもをぱくぱくと食べるようになって、幾分かお菓子の量が減ってきたからでございます。
ま、先ほどもいいましたように、いもを1本食べればお腹も満たされるので、お菓子をつままなくなるといえばそうなのですが、それでもやはり、口寂しいがゆえのお菓子のつまみ食いはなくなったように思います。
お勉強というのは、ご存じのように頭脳を酷使するものでございます。ですから、脳のエネルギーである甘みの補給が必要となるわけですが、さつまいもは十分にその役目を果たすかと存じます。
せっかく美味しく頂ける季節なのでありますから、お勉強のお供にはお菓子ではなく、さつまいもを推奨する次第でございます。
個人的には、1キロ2キロの箱買いを推奨いたします。芋は痛み難いものですし、値段も安くなります。何より安心感がいい。
調理は、アルミホイルに包んでトースターで柔らかくなるまで熱します。20分以上かかります。
レンジで加熱してもいいのですが、甘みはトースターで焼いた方が甘いように思います。
しっかり食べて腹ごしらえと甘みの補給、そして、食べることでストレスを吹っ飛ばして、目の前のお勉強にお励み下さればと存じます。
蛇足ではありますが、お通じが良くなるという利点もございます。

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リアルにダメを

お勉強においては、まあ、だいたいのことが教訓に、経験に、そして、肥やしになるものでございます。
決して、やったことがダメになることはないのでございます。
中途半端に手を抜いてやったお勉強でさえ、後々で役に立つものでございます。
「コレコレのやり方では絶対にダメだ」という確信の1材料になるからでございます。
大事なことは、感情的にならないことでございます。
「できた」と思っていたことが全くできていなかったり、見直してみれば全くのスカスカ状態であったことを知ったときは、そら衝撃も大きく、どんなに気丈な人でも衝撃を受けるかと存じます。
心の張りがなくなって、くよくよとしてしまうこともありましょう。
しかし、状況がいくらダメであっても感情の赴くままに、くよくよするのはよした方がよかろうかと存じます。
状況などいくらでも変わりますし、くよくよを24時間続けても、決して物事は先に進まないからでございます。
お勉強から来るくよくよ感は、悩んだところで解決するわけでもなし、最終的な合格を果たさない限り、決してなくなりは致しません。
同じくよくよするのであれば、感情的にくよくよするのではなくて、理性的にくよくよすべきかと存じます。
感情的に、(点が伸びない)(点が取れない)とあれこれ嘆いていても、お勉強はひとつも進みませんし改善されません。
対して理性的に、何で伸びなのかねえと考えることは、これまでのことを省みて分析する機縁が生まれるのでございます。
理性的にくよくよしていけば、「では、どうする」という次の展望が開けるのでございます。
こうしたやり方ではできないんだから、どうしたらいいんだい、と次第に二の次・三の次が生まれてくるのでございます。
感情的なくよくよが全くダメなのは、ダメだという結論からひとつも動かないことでございます。
「ダメでした」で済むのは、小学生のせめて低学年まででありまして、常民良民であれば、対案・対抗策・次善策を想うものでございます。
あーしても、こーしてもダメだったというのは、「あー」と「こー」ではうまくいかないことが判明したわけですから、そのほかの手立てを取ればいいだけでございます。
本当のところ、、ありありと「ダメ」を感じるのであれば、幾分か希望が胸に灯るものでございます。
なぜなら、絶対にうまく行かないやり方がはっきりしたからでございます。
金輪際、そういう仕方をしなくて済むわけですから、うまく行く方法にわずかではあれ、近づいたわけでございます。
中途半端にダメを感じてくよくよするのは、単に現状に甘えているだけですし、今後の方策をも薄めてしまうのでございます。
リアルにダメを感じて欲しく思います。
さすれば、幾分かの新しい道筋ややり方が見えてくるかと存じます。

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せめて動かせ

調子のよいというときは、頭がすらすらと気持ちよく動くものでございます。
言葉ひとつ持ってしても、違うのでございます。
すらすらっと頭に入っていき、試験の用語や語句が元気よく引っ付いてくるのでございます。
それはあたかも行進でありまして、滞りというのもが全くありません。
まるでパレードのように、内容が頭に入って来るのでございます。
これとは逆に、頭の調子が良くないときは、まるで渋滞・大行列でございます。
言葉ひとつ、満足に入っていきません。
言葉ですらだらだらですから、況や文章をや、でございます。
テキストを見入っても砂を噛んだ状態で、問題を解こうとしても何の妙案も湧かないものでございます。
さて困ったと思っても、これといって打開策もなく、だらだらと何の達成感もなく時間を過ごすことと相成るわけでございます。
頭の動かない状態の代表は、食後でございます。
物を食べますと、どうしても胃の方に血が流れていきますから、頭の方は少し貧血気味になるものでございます。
また、名画名曲を聞いた際も、頭の動きは鈍くなってしまいます。余韻を楽しんでいると申しますか、ぼんやりと過ごしてしまうものでございます。
このような、頭の動きが鈍いときは、いったん区切りをつけるのがよろしいかと存じます。
頭が満足に動かないのであれば、身体でも動かすべきでございます。
日本語には、「腹ごなし」という優れた言葉がございます。
散歩をするなり、雑用をしてしまうなりして一仕事・一雑用すれば、頭の方も少しはしゃんとするものでございます。
どこぞの貴婦人の出ではあるまいし、ぼんやり突っ立っているほど暇な身持ちではありません。
物が片付くし、消化が進んでカロリーは消費されるし、頭はしゃっきりしてお勉強は捗るし、いいことだらけでございます。
しかし、身体も動かしたので、頭も動くようになるかというと、すべてがすべて、そうなるわけではありません。
やはり、ぼんやりとしているときもございます。さすれば、2の矢・3の矢の出番でございます。
それでも頭が動かないのであれば、手を動かしましょう。
これまでの勉強のなかで、不安なところや弱いところを開いて、紙の上に相関図を書き出してみたり、問題集・過去問の問題であれば、問題文や選択肢、解説を模写してみます。
問題集のページにあるもの1すべてを、いったんノートや紙の上に書き出せば、問題の背景や構成、出題者の意図が見えるものでございます。
頭が動かないのであれば、手を動かせばよいのでございます。
それでも、なんだかぼんやりとしているなら、机でも動かしてみましょう。
左右横30センチの移動でも構いません。
場所というのは意外に重要でありまして、部屋の隅っこで光量が低いとそれだけでお勉強の能率は落ちがちでございます。
また、気持ちの変化というのも大きゅうございます。いつもとは違う感じになれば、新事態に適応しようと頭の動きも良くなるものでございます。
常日頃の勉強場所から離れて、カフェやファストフードのお店に行くと何かしら捗るのも、環境が変わって脳の動きが活発になるからでございます。
机の場所も変えたなら、文房具やスタンドといった小物の位置も変えてみればよかろうかと存じます。
変えていくうちに、ほとんど使わない不必要なものはどこかにしまったり処分したり致します。
部屋が心を写す鏡なら、机上は頭の中を現すものでございます
机上がすっきり様変わりすれば、頭の中も並行してすっきりすることでしょう。
頭が動かないのでぼんやりするのも、ひとつの趣味、引いては気晴らしではあります。
人生においては、そうしたことが必要な事もありましょう。
しかし、ぼんやりは、本試験後・合格発表後に合格証書を手にしながら、いくらでもすることが可能でございます。
ひねもすがたりするのも結構ではありますが、今がやるときであるなら、現状をきっぱり断ち切って目の前のことにお励み下さればと存じます。
そのためには、まず「動く」ことでございます。

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