お勉強と相性のよいものとして、わたくしは散歩を挙げる次第でございます。
かなりいい関係ではないかと考える次第でございます。
理由の第一は、気分転換であります。
外に出るだけでも、お勉強の緊張を解くことが出来ます。
屋外の新鮮な空気を吸えば、自然と「ふう」と一息をつけるかと思います。
第二の理由は、緊張の緩和でございます。
外に出て歩くと、頭に溜まった血液が循環するようになります。
座りっぱなしのため滞りがちだった血の巡りがよくなって、だんだんすっきりしてくるかと存じます。
ちなみにわたくしなどは、困ったときは散歩というくらいに、外で出歩くと気分が変えております。
また、歩くことで運動不足も改善できますから、一石二鳥でございます。ちなみに、カロリー消費の度合いはランニングも散歩もほとんど同じです。人は歩くだけで走るに等しいカロリーを消費致しますから、ダイエットにも効果があるかと存じます。
しかし、散歩を推奨するのは、これだけではないのでございます。
散歩最大の利点は、考えながらできるという点にあるかと存じます。
というのも、「〜をしながら」+「考える」というのは、意外に難しいのであります。
例えば、歯磨きをしながら考えられるかというわけです。歯ブラシを上下左右しながら、まあ、さっきやったお勉強のことを思い返して見ましょう。
思い返すことはできますが、丁寧に歯は磨かれているでしょうか。あとでベロで確認してみると多少のざらつきがあり、奥歯などは磨けていないときが多々ではないでしょうか、
例えば、料理をしながら考えることはできるかというと、手先が不注意となるため危険なのでございます。手を切りそうになりますし、火も使いますからやけどの危険もじゅうぶんに考えられるのでございます。
例えば、ネクタイを締めながら考えてみてください。全然決まらず、何度も締めなおすことになるかと存じます。シャツも、考えながら着ると、7割位の確率でボタンのはめ間違いがあります。結局、1回脱いで着直すことになるかと存じます。
テレビを見ながら、パソコンをしながら、考えることはできますが、じゃあ、集中して考えられるのかというとそうでもないかと思います。
そのほか、いろいろ考えながら何かをできるかもしれませんが、考えるとうまくいかないことはたくさんあるかと存じます。
しかし、散歩は、そうではないのでございます。
もちろん、人ごみの中や車や自転車の往来が激しいところでは、考えながら歩くと危険ではありますが、散歩に適した道を穏当に歩けば、それほど危険な目に遭うことはことはないでしょう。
考えながら歩いても、よっぽど深く考えない限りは、脚の動きが止まったり転んでしまうことはないかと存じます。大きな石があれば避けますし、前から人が来れば脇に寄ることでしょう。
散歩は何かをうーんと考えながらでも可能なのでありまして、考えながらでもできる、数少ない動作のひとつなのでございます。
難しい論点や複雑な規定などは、机の前で考えるのみならず、歩きながら散歩の間にも考えることができます。
いわば、ひとつ、机以外の選択肢が増えるというわけでございます。
人間、ちょっとした変化で不図、名案が沸いたり突破口に気付いたりするものでございます。
何度机の前で考えてもうまくいかないときなどは、そこそこのところで区切りをつけて、散歩という第二ラウンドで決着を付けてみてはどうかと思う次第でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年11月4日 9:24 PM |
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基本的に、方法というのは数限りなくございます。
例えば、ある場所に行くにしても、電車で行くこともあれば、バスで行くのも、歩きでも、自転車で、または、タクシー・ハイヤーを使うことだってできるわけでございます。
いろいろ手段があって経路も様々、それぞれに趣あるかと存じます。
進め方・やり方・方法というのは、数あるうちのひとつであることを、意識の片隅にでも置いてお勉強くださればと存じます。
「いい」といわれるやり方でも、所詮は数ある手法のひとつでしかないのでございます。
お勉強におきましては、「それ」でなければならない、絶対的な理由など無いのでございます。
お勉強というのは、本当に人それぞれでありまして、ある人にはいいやり方が他の人には効かなかったりするのでございます。
わたくし自身のことでいいますと、暗記ペンというのが全く性に合わなかった記憶がございます。
クラス中で大いに流行ったのでわたしもやってみたのですが、目がチカチカするし引くのが面倒だしで、結局数ページじか使わなかったのでございます。
わずか数ページだけ引かれた紫マーキングが鮮やかだったことを、合わなかった証として今でも憶えているのでございます。
お勉強というのは、どうしても人それぞれにならざるを得ない面がございます。
お勉強といいますのは、憶えたり、理解したりするために行うのでありますが、実感として、憶える瞬間や理解したときというのははっきりしないのでございます。
電球が点くように何かを憶え理解したことを把握できるのは、数えるほどしかないように思います。
実際のところ、気が付いたらそうなっていたのではないでしょうか。
ですから、Aという方法論ゆえにできるようになったのかどうかは、確かめ難いし、はっきりということができないわけでございます。
独学が、「自分からやる」「自分で決める」「自分で合う方法でやる」ことを重視していますのは、まさに、この理解や記憶の不確かさを踏まえているからでございます。
何がうまくいって、何がよくないのかは一概には言えないのでございます。
例えば、酒を飲みながらの勉強は、9割の人がダメでしょうが、意外にお酒を飲むと頭が覚醒する人も居られます。ですから、このような人は、難しいところや難所のお勉強は一杯やりながらでもよろしいでしょう。しかし、わたくしには絶対的に無理ですし、他の人にもこんな特殊なやり方を推奨致しません。しかし、それでうまく行く人もいるのは事実でございまし、うまく行くならやるべきなのでございます。
結局、わたくしたちの頭の中のメカニズムが曖昧でよくわからない以上は、どの方法が良いか悪いかではなくて、自分に合っているかどうかが大切になってくるかと存じます。
朝学習はわたくしが大推奨する勉強のやり方ですが、低血圧の人にとってはトンデモナイものでありましょう。ならば、朝学習などやらず、もっと他のやり方を模索してみよう、ということに相成るのでございます。
お勉強といいますのは、もっと自由にやっても良いものですし、もっと自分に適したようにやっていっても支障はありません。
刃物や機械の取り扱いには一定の手順を守らなければいけませんが、お勉強ではそうではありません。
もっと頭を柔らかく、先入観を捨て、凝り固まった勉強へのイメージを緩めて、自分の勉強というものを見直してくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年11月1日 10:56 AM |
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思いますに、人間の意識といいますのは、本当に困った仕組みをしてございます。
例えば、ああ、困ったなと思うことがあると致しましょう。
わかりやすいように数字で表しまして、難易度「5」の困ったことがあったとしましょう。
しかし、この「5」の事柄は、そのときの気分や体調によって、感じ方は大きく異なってくるのでございます。
ちょっと疲れていたり、睡眠不足なだけで、受け取り方が全く違ってくるのでございます。
元気なときですと、さっさと済ませてしまおうと、ちゃちゃっと片付けるのですが、こちらの事情如何によっては、7にも8にも、ときには10にも見えてくるのでございます。
そうなると、やはり、やる気というのは常よりも大きくもって、気合を無理してでも入れてやらなければならなくなります。
その結果、余計に疲れると相成るわけでございます。
そら、難易度5に対しては5の力で済むのに、7や8を出していれば2割3割増しで消耗するわけでございます。
受け取り手の事情、つまり、わたくしたち自身がどうであるかで、物事の感じは異なってくることを意識の片隅にでもおいていてくださればと存じます。
季節の変わり目でぐったりしているときや、残業に疲れているときに、難解なことを考えても全く詮はありません。
仕事明けでありましたら、身体の状態は魂の抜け殻で、やる気の残りかすばかりでありましょう。
そんなときは、「5」のことでも大きく見えてしまうのでございます。
運の悪いことに、そういう元気のないときに、忘れてしまったところばかりにあたったり、極端に難しい論点にぶつかったり、問題を間違えてばかりしてしまうのでございます。
通常なら、(ああ、またかいな)で終わるのに、こちらが疲れて気落ちしているものですから、なんでもない普通のことなのに、(ああだめだなあ)と深く意気消沈してしまうわけでございます。
よくよく考えてみれば、これまでにも、よく忘れよく間違って来たのでございます。
いまさら、という気分すらあるものですのに、その日に限って、なんだかなあという心持ちになってしまうのでございます。
落ち込みつつあるときは、自身の体調をよくよく見てみることでございます。
毎日の飲酒と仕事の過労が祟って、体力の最も少なくなっているときかもしれません。
季節の移り変わりで弱っているときや、未知のウイルスと体内の白血球が戦っていて、身体全体が弱っているときかもしれません。風邪を引いているときかもしれません。心配事が心を巣くっていて気重であるかもしれません。
そんなときには、やはり、つられて悪い方に、よくない方に考えがちなのでございます。
そうすると、ますます悪い方に考えてしまい、これまた、余計に立て直すのに手間がかかるわけでございます。
我が身を見て、こいつぁ悪い方に考えちゃダメだなと気付いたときは、さっさとやめて布団に入るのが1番でございます。体力の回復とともに気力の方もしっかりして参ります。
それかきっぱり、悪くなりそうなことを考えないことでございます。どうしても考えてしまうなら、お勉強はいったん中止して、その考え事とがっぷり四つに相対すべきでございます。
戦力の逐次投入は兵家のもっとも忌むべきことでございます。
弱っているときに、弱りそうなことをしない、考えないだけでも、事態は好転していくかと存じます。
天国と地獄は胸先三寸で決まると、古人は申しております。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2009年10月30日 9:16 PM |
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