独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

復習はずっと

基本的に、お勉強とは何かと申しますと、復習であるかとつくづく考える次第でございます。
試験勉強の序盤であろうとも、中盤であろうとも、終盤に差し掛かろうとも、復習は不動のものでございます。
試験勉強の個々の側面で、やるべきことはどんどん変わってまいります。
序盤なら試験の雰囲気を掴んだり、試験科目の全般的な理解に一生懸命です。
中盤では過去問を解いて本試験の実際に触れたり、序盤で勉強したことをきちんと確実に消化吸収してまいります。
事態が終盤に到っても、復習は行います。いや、いってみれば、試験勉強の終わりは復習一色となる次第でございます。
テキストを読んでも、復習でございます。
問題を解いても、過去問を解いても、復習でございます。
暗記や記憶の作業をしても、復習でございます。
復習しても復習でございます。
1章が終れば復習でございます。半分が終れば復習でございます。1冊終れば記念にざっと復習いたします。
復習をするからこそ、お勉強をしたことが定着して参ります。
やったことを確実に残すのが復習でございます。
蓄えたことを維持するのも復習でございます。
お勉強といいますのは、ある程度、手を入れ続けなければならない、荷やっかいなぬか漬けづくりとお考えくださればと存じます。
ぬか漬けを作るような人はもう少数でありましょうが、ぬか漬けのぬか床は毎日かき混ぜねばなりません。手を入れないと腐ってくるからでございます。
やったことというのは、それだけで終るのではなく、それを維持するための作業も必要なのでございます。
復習を通して、蓄えた知識と実力を本試験まで維持してくださればと存じます。
しかし、なかには、復習が怖いと感じている方も居られるかと存じます。
単刀直入に申します。
それは復習が怖いのではなく、自分のやったことがきちんとできているかどうかが不安なだけでございます。
あなただけではなく、受験生に共通して、やったことができていない・憶えられていない現実に触れるのは怖いものでございます。
しかし、そんな感傷は慣れ次第でございます。
わたくしなどは、やったことは2〜3回は手を入れないとできないと心底わかっておりますので、多少どころかやったことのすべてが真っ白になっていても、いつもどうりのことさ、と平気の平次郎となってございます。
怖いなと思いつつ復習と距離を取ると、ますます記憶は薄れてまいりますし、衝撃も大きくなってしまいます。
1回でできる頭じゃあるまいし、と思っておりますと、ショックも和らぐように思います。
はやめにはやめに復習をしてくださればと存じます。

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儀式付ける

人生論の本を読んでおりますと、よい習慣を身に付けなさい、と書かれている事かと存じます。
確かにその通りでございます。お勉強も最初はしんどくても、習慣化さえすれば比較的しんどさが軽減していくものでございます。
とはいえ、なかなかに「よい」習慣とは身につける事が困難でございます。
習慣付けるにはやはり、長い時間をかけて同じ事を継続せねばなりません。
しかし、得てして長く続く事とは、「快」であったり「楽」であったりすることでございます。
お酒やお菓子、昼寝やサボりといったものは、あーっという間に身に付くものでございますが、お勉強のような「苦」にあたるものは、なかなかに身に付かないものでございます。
孔子師の言葉を引くまでもなく、お勉強というのはなかなかに習慣とならないものなのでございます。
ですから、わたくしたちは、無理やりにお勉強を習慣付けるよりも、何か別のことで代用すべきかと考える次第でございます。
それは、習慣よりは型落ちすると申しますか、儀式付けでございます。
簡単に言えば、「先に飴、後に鞭」でございまして、ある事をしたらお勉強に必ず取り掛かるといった塩梅でございます。
たとえば、わたくしなどは、普段用のお茶・コーヒーとは別に、「とっておき用」のものを戸棚に入れてございます。
そう、百貨店で購った高級茶(コーヒー)を飲んだら、必ず自身がやろうと思っている難題、めんどくさい事、作業量が膨大にある事に対して立ち向かうのでございます。
かっこよくいいますと、特別の一杯を頂きながら、コンセントレーションを高めるのでございます。
この儀式付けは、「飴」の部分をいかに準備するかが肝要でございます。
特別にぜいたくで、最も自分の好ましいものを準備する必要がございます。
理想や建前で考えず、本当にほんとうのところの自分の好ましいものをそろえねばなりません。
濃密なプリン、ひとついくらのチョコレートなどが「飴」の筆頭であるかと存じます。
また、この「飴」には、アルコールも解禁しても良いかと存じます。
焼酎鳥飼といった、濃密で少量ながら、お猪口いっぱいで十分に酒飲み心を満たしてくれるものなら、十分、「飴」になるかと存じます。
こういった飴で口の中と頭を喜ばせてから、本丸のお勉強なりに突撃するといった次第でございます。
なお、砂糖には麻薬に似た作用があるといわれておりまして、緊張や不安の緩和、リラックスを生み出すとのことでございます。
アルコールも糖が変化したものでありますから、まあ、糖と似たようなものですし、お茶類のカフェインも覚醒作用がございます。
飴後の苦難に立ち向かう、よい心準備になるかと存じます。
気合や精神力でお勉強に突撃しても、まあ、以って数日、数週間であるかと思います。
お勉強とは長丁場でございます。楽しみがなければやってられないものがございます。
お勉強という「苦」と引き合うものを用意するのも、お勉強のコツであるかと存じます。
また、「飴」の準備が意外なる自分の嗜好を顕現化させるもの。わたくしの菓子ずきもお勉強がなければまったく知られずじまいであったことでしょう。
ちなみにわたくしの10代はほとんど甘いものを摂らず、自販機でもコーラすら飲まずウーロン茶を買うような子供でありました。それが今や、微塵の面影もありません。夏といえば、我慢の果てのコーラでございます。
楽しみを以ってお勉強を儀式付けてくださればと存じます。

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ぐだぐだ時間は切り捨てて

お勉強とは時間との戦い、と申しても良かろうかと存じます。
いかに、質よい時間を確保できるかが、お勉強のかなめであるかと存じます。
ですから、体調管理や生活の調整も、お勉強の一部と申しても構わないかと存じます。
同様に、量の確保も大事でございます。ですから、細切れ時間やすきま時間を最大限に利用しなくてはならないかと存じます。
このように、お勉強と時間とは切っても切れない関係にございます。
しかし、でございます。
(やらなくちゃ)と思ってはいるけれども、だらだらと見たくもない、面白くもないテレビ番組を見てしまうときがございます。
また、同じように、何の目的も意図もないのに、ネットを彷徨することがあるかと存じます。
こうしたことで、30分、40分と時間がだらだらとたれ流れていくご経験をされた事があるのではないかと思います。
結論から申しますと、こうした時間をいかに切り捨てるかがお勉強にとって最も重要であるかと存じます。
基本的に、集中のための時間というのは3分から最長15分あれば十分でございます。
深呼吸を3〜15分も続けて行なえば、大概はお勉強の集中に入っていけるものでございます。
15分深呼吸をしても集中に入れないのなら、そのときはお勉強そのものができる時間ではないといえるでしょう。
しかし、オヤシラズでも抜いた当日くらいのヘビーな状態でなければ、15分深呼吸をして何かに集中できないなんてことはないでしょう。
知っておいてほしいのは、集中するには3〜15分あれば十分であると言う事でございます。
ですから、ぐだぐだ時間を過ごしそうなときは、この「3〜15分」という時間の数を思い出してほしく思います。
お勉強が控えているのに、この時間を越えてぐだぐだしても、少しも有効ではないのでございます。
お勉強にはめりはりが大切でございます。
遊ぶときは遊び、リラックスするときはリラックスし、楽しむ時は楽しみ、勉強するときは勉強をすることが大切なのでございます。
何かを気にかけながらでは楽しいときは過ごせませんし、気分転換をするのなら、それにふさわしい時間を過ごすべきでございます。
先ほど言いました、ぐだぐだ時間は気分転換にもならないし、休んでいる事にもならず、そして、楽しくもないという、踏んだり蹴ったりな時間でございます。
ぐだぐだ時間を々割り切るかが、お勉強のポイントであるかと存じます。
そして、こうしたぐだぐだ時間への心持ちいかんがが、人生の価値にも相通じるのではないかと存じます。

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