人に癖や性格というものがありますように、お勉強の進め方というのも、人それぞれがございます。
しかも、生活環境や生活のリズムと言うものがございます。
ですから、どうしても、個々のお勉強の進め方は違ってくるのでございます。
試験といいますものは、皆が皆、「合格する」という1つの目標を目指してございます。
けれども、意外に個人的なものであることをご理解くださればと存じます。
ほんとうに、合格までの過程には、個人の性格が現われます。
試験勉強の最初からバリバリとやる方もございますれば、本試験が近くなってから本腰を入れるスロースターターの方もおられます。
お勉強というのは一筋縄では行かないのでございます。また、特定のある方法のみが正しいわけでもございます。
独学といいますのも、わたくし自身のつぼに入ったといいますか、実に性にあったといいますか、ウマがあったといいますか、このため、ここまで続いたのだと考えるようになってございます。
ある勉強方法がよくても、その人の性格によってはまったく合わないこともございます。
自分の性格や生活にしっくりくる方法なり進め方を選ばなければならない点、ご理解いただければと存じます。
お勉強には個性がある、とお考えくださればと思います。
しかし、なのでございます。
自分なりにやればよい、というわけでもないことを頭の片隅においていてくださればと存じます。
「自分なりに」というのは、何かを語っているようで語っていないのでございます。
自分になりにやったというような人がおりましたら、まず、何時間トータルで勉強したのか問い質して見ることでございます。
おそらくは、はっきり答えられないことでありましょう。
そして、どのような勉強を、どんな風にしてきたのか、問い質してみる事でございます。
おそらく、明白な考えや予想があってのお勉強ではないでしょう。
学習計画など立てないないまま、好き勝手の勉強をしてきたことでありましょう。
結局、自分なりにという人は、ほとんど考えておらず、単に適当にやってきたくらいを指すのが関の山なのでございます。
現下の問題を自分のものとして考えていないのでございます。状況に流されているだけ、とでも申せましょう。
はっきりいいますと、試験勉強といいますのは、合格という結果のみが重要なのでございます。
そのほかのことは、基本どうでもよいのでございます。
「自分なりに」もどうでもよい範疇にございます。お前のなりなどどうでもよい、と言うわけでございます。
合格のために何をするか、何をしてきたのかが大事なのでございます。
実は、「自分なりに」という言を吐きそうになるのは、得てして、わたくし達自身でございます。
皆様方におきましては、こうした弁解がましい言をお吐きにならないよう、ご注意申し上げます。
自分は大ばかであることを広言しているのと変わりません。それは鼻毛が出て歩いていることよりも恥ずかしい事でございます。
精神の鼻毛とでも考えておきましょう。
ものの見える人からすれば、自分なりという言は、反吐が出るほど甘えた言い分でございます。
そんなことをいうなら、何も語らぬ方が数倍上等でございます。
お勉強と言いますものは、個人的なものでありながら、非個人的なものでもございます。
自他というものを見据えつつ、自分のしっくり来るお勉強の方法を考案・工夫してくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年3月11日 12:18 PM |
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お勉強といいますのは、合格するに足る実力を身につける作業でございます。
基本的には、力を蓄えれば蓄えるほど、合格は近づいて参ります。
しかし、なのでございます。
実力が付き出した中盤から序盤で、ある問題が浮上して来るのでございます。
それは、「難しいことが楽しくなる」ことでございます。
その語句の通りに、難しいところを読んだり難問を解くことが快感になってくるのでございます。
その背景には、実力の存在でございます。当たり前のことではありますが、実力がないときは難しいところなど頭が痛くなるだけですから、距離を取るかスルーをするのみでございます。
しかし、実力が付いて参りますと、解けたり理解できるようになるのでございます。
これが、面白い!と相なるわけでございます。
このため、実力者ほど難問や奇問、珍問に一生懸命になってしまうのでございます。
これが問題なのでございます。
何が問題なのかと申しますと、試験の合否というのは、難問や奇問の類は握っていないという事実でございます。
合格と不合格が決まるのは、大概、基礎的・基本的な問題で決まってくるのでございます。
ほんとうに、テキストの黒文字・太文字で書かれているようなこと、問題集で定番の問題、受験生なら誰でも知っているようなことで合否というのは分れてくるのでございます。
実力が付いてきましたら、その実力に引っ張られるようなお勉強をするのは控えてくださればと存じます。
勉強すべきかやらざるべきかは、点数の取れる勉強かどうか、または点数を落とさない勉強となるかどうかで把握ください。
それをやることで何点が期待できるのか冷静に計算してみて下さい。
ほんとうに実力のある人ほど、とんちんかんな勉強に奔ります。
これまで一度も出た事がないところを一生懸命になったり、もう二度と出ないだろう難問や奇問に熱中したりするのでございます。
よっぽどの確信や事情、傾向がないのであれば、難問や奇問の類には一生懸命にならず、基礎と基本をさらに充実化してくださればと存じます。
難問や奇問に費やした時間を過去問の復習や基礎・基本事項の確認に使っていれば合格していたという人は多々居られます。
わたくしたちは、合格点を取って合格するためにお勉強をしているのでございます。
お勉強のためのお勉強ではありませんので、この点、ご注意くださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年3月10日 6:52 PM |
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試験勉強といいますのは、不安との戦いでございます。
試験勉強といいますのはそういうものでありますから、不安は仕方のないことでございます。
どうしたって、合格者と不合格者とに分けられてしまいますから、もともとが不安を抱く構造・システムなのでございます。
しかも、不合格者になる可能性の方が大きいのですから、なおさらでございます。
その不安を打ち消すには、お勉強をするしかないわけでありますが、これまたアレなのでございます。
傍目から見ますと、やればやるほど不安は消えて、自信が増しているように見えるのですが、実はそうではないことが多々なのでございます。
お勉強が進めば進むほど、やるべきことは増えて参ります。確認すべきこと、復習すべきことも同様に増して参ります。
これら「べきこと」が、新たな不安の種となるわけであります。
しかも、できるようになっても、憶えたとしても、(きちんと記憶できているだろうか)とか、(忘れないだろうか)とか、(本番できちんと思い出せるだろうか)、(本試験で解けるだろうか)といった不安がもくもくと湧いてくるのでございます。
また、ほんとうに実力が付いたかどうかは、当の本人にとってはよくわからないことでございます。
たとえ、模試や予想問題にていい点数・成績が出たとしても、気休め程度でありまして、だから、本試験に打ち勝つ実力が付いているのかどうかと言われると、微妙なのでございます。
基本的に、お勉強を続けてさえいれば、本試験にてもそれは必ず発揮されるものでございます。
お勉強の不安とは大半が取り越し苦労でございます。
しかし、簡単には消えないし、気持ちの消耗に繋がるから厄介なのでございます。
自身に実力が付いたかどうか、不安を憶える方は、「おかしさ」「違和感」をもとにお考え下さればと存じます。
逆にいうなら、そう思わない時・場合は、取り敢えずは大丈夫でございます。(もちろん、定期的な復習で記憶や理解の維持は欠かしてはなりません。)
見直してみて、(おかしいなあ)と感じる時は、やり直す価値はございます。
ふと目にして、(なんだかなあ)と感じる時は、復習する価値はございます。
直感と申しますか、カンといいますか、ゴーストのささやきと申しますか、そういうものを大事にしていけば宜しいかと存じます。
お勉強を続けていくうちに、こうした感性は磨かれてまいります。
「変」、「おかしい」がわかるようになったら、それが実力の証でございます。
不安というのは、一種の防衛機制でありまして、上手に用いれば、よき復習の原動力となるものでございます。
しかし、いたずらに不安に振り回されるのも賢明ではありません。
おかしいなという自身の感じ方から、実力の判定とお勉強の機会をお設けくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年3月9日 12:33 PM |
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