| カテゴリー: 過去のススメ |
基本的にお勉強とは、同じようなことを同じようにやっていかねばならないものでございます。
どんな方法・やり方であれ、テキストを読まずに済むものはないかと存じます。
同様に、問題を解かねば記憶に定着いたしませんし、過去問をやらねば傾向はつかめないものでございます。
ですから、どうしてもやる対象見る対象読む対象は固定化していくのでございます。
そのうえ、何回か繰り返さないと実力には転化しませんので、「同じものを見る」退屈さにいっそう輪が掛かるのでございます。
これが、体調も良くお勉強の進捗も良いときなら、それほど問題ではないのでございます。
しかし、不調期に差し掛かりだすと、実に、実にめんどくさくなるのでございます。
お勉強には、AしようがBしようが芳しくなく、どれも同じで退屈で、まるで出口の無い迷路に入ったかのごとく、張り合いのないお勉強になるときがあるのでございます。
こうなると困ったものでありまして、毎日毎食カレーを食べたときのような忌避感をお勉強に抱くようになるのでございます。
お勉強といいますのは継続が最も効率が良いので、飽きてやらなくなってしまうことほど、もったいないものはないのでございます。
急にぱたんとやめちゃうと、1〜2週間分のお勉強は蒸発してなくなることでありましょう。
これまでやってきたことを無駄にしないためには、やはり続けざるを得ないのですが、そうはいっても「たるい」のは真実でございます。
それでもやるにはどうしたらいいかといいますと、変化を見出すことに一生懸命になることでございます。
たとえば、できない問題を5問ばかりピックアップして解いて、解答にかかる時間を計っておきます。
そして、次の日も同じ問題を解いてみます。同じく、時間を計ります。
当然といえば当然ですが、解く時間はどんどん短く、答え合わせもどんどん簡潔かつシャープに、ポイントが絞られたものになっていくことでありましょう。
これはひとつの例ですが、変化というのは自分から見ようとしない限り、見出せないものでございます。
お勉強は続ければ続けるほど実力は付いていきますが、意外に自分の実力の付きさ加減を見ようとしない人が多いのでございます。
同じ時間当たりでどれだけテキストを読めるようになったのか、記述に引っかからなくなったのか、少し意識すれば、お勉強上の変化を見つけられるものでございます。
変化とは探さねば見つからないものでございます。変化を見出せるようになると、見る目が付いてきたことを実感できるかと存じます。先ほどの例でいえば、時間からお勉強を見る視点を得たわけでございます。
そして、大雑把でしか見てこなかった自分を再発見し、改めてよく見てみようと思うようになるのでございます。
お勉強が多少不調で進捗が鈍っても、その分、見る目が付いたのであれば、逆に上々ではないかと思う次第でございます。
今日は昨日と
2009年6月29日 1:11 PM
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