独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

勉強の中断が続いたら、座ることから

ある時までは、順調に勉強が続いていたのに、ある時を境に、「やらなくなってしまう」というのは、よくある事象でございます。

そら、仕方がないのでございます。

子どもが急に熱を出したり、突然のトラブルやアクシデントが発生したら、その対応にてんてこ舞いであって、優先順位の低いお勉強など、流暢に取り組んでいられない、てなわけでございます。

しかし、当該「急な事態」が収束していけば、応じて、お勉強に戻っていかねばならないわけですが、さて、何かと「めんどくさい」のであります。

長年、「勉強」という作業を行っているわたくしでも、やはり、心には、べっとりとした粘着質の『イヤだなあー』がへばりついているものでございます。

しかし、なのでございます。

何だかんだでやり始めて、「最初の大きい石」が動くと、かつての調子が戻ると言いますか、次第に、1~2週間くらいの時間がかかって、かつての作業量に戻っていくというのが、実感するところでございます。

問題は、「どのように自分を、何だかんだでやり始める状態に、持っていくか」です。

気合も精神力も決意も必要でしょうが、大事なのは『形式』です。精神力で何とかなるなら、思った瞬間、元に戻っているわけで、それらで「戻らない」から困っているわけです。

勉強の「一時」の中断が「本格的な中断」になってしまい、再開に躊躇しているときは、単純至極、とりあえずは、机の前に行って、座りましょう。

(あれもこれもしないと)とか、(あそこは大丈夫か憶えているか)といった不安が、いろいろと頭に浮かびます。

それでも、深くは考えず、座ります。ここがポイントです。

不思議と、座って所在ない・手持ち無沙汰な状態になると、テキストや問題集に手が伸びるものなのです。

身体は案外記憶力のいい器官で、かつて「そうであった体勢」となると、「むかしやったこと」を、記憶からトレースする(引き写す)のであります。

うだうだ頭で考えず、理性的にも考えず、まずは、「机の前に行くこと」と「机の前に座ること」を、ご助言する次第でございます。

そもそも、避けてちゃ、なーんも解決はしません。

頭がしゃんとしているときの勉強

以前のススメ「頭がぼおっとしているときの勉強」では、あまり頭が働かないときの勉強は何をすべきかを考えました。

さて、今回は、頭がしゃんとしているときのお勉強でございます。

頭が回転しているとき、何か物事を考えられるときは、できるだけ「前進するタイプ」か「高負荷」のお勉強をいたします。

テキストのまだやっていないところや、パスしたところ、やってはみたが殆ど理解できていないところに、手を付けるという塩梅でございます。

(何だかイヤなんだよなあ)という、忌避感がじわじわと迫ってくるところも、「頭がしゃんとしている」ときに挑戦します。

新しく何かを知るというのは、何気に脳に高負担を課すものでありまして、脳が疲れてぼんやりしていると、あまり成果がないのでございます。

だからこそ、「頭がしゃんとしている」ときにやる、という寸法でございます。

また、(できてるかなーどうかなー)と不安に思っているところも、「頭がしゃんとしている」ときにやるようにします。

というのも、不安というのも一種のストレスであるため、そう感じているだけで、脳に負担を与えているからです。要するに、脳のリソースが余分なところに使われてる、ってことです。

お勉強においては、「できた」ことが「できなくなる」ことは日常茶飯事で、まさに、兵家の常なのですが、そうは知っていても、「自分ができなくなっている」ことを知るのは、ストレスの元凶でございます。

ですから、不安が掻き立てられるところも、「頭がしゃん」のときにやる、ってな塩梅です。

短絡的な比喩ですが、元気なときは多少重い荷物を背負っても平気ですが、疲れているときはとても背負っていられないことは、十分にありうる事態です。

それと同趣旨のことが、「頭」にも、当て嵌まるように考える次第です。

頭が疲れていると、閃きというと大げさですが、「あーそういうことね」という脳細胞の“ぴりぴり感”すら起きないので、何とも砂を噛むような時間になるように思います。

ほんと、疲れているときは、理解に乏しいものでございます。

自身の「頭」の状態に応じた「さじ」加減は、お勉強にも適用可能であるかと考えます。

ま、疲れていたら、さっさと切り上げて翌朝にする、ってな塩梅です。

 

頭がぼおっとしているときの勉強

頭がぼおっとしているときというのは、何ともお勉強の方が捗らないものでございます。

頭が、何だか霞がかかっていて、100%動かない状態のときは、「やるべきこと」を選ぶべきかと存じます。

まず、筆頭に挙げられるのは、「負担が少ないことをやる」でございます。

莫大なページ数を読んだり、試験科目の中でも有数の難易度のところは、手を付けない、パスする、他の日にやることにする、といった塩梅でございます。

次に、「新しいことはしない」でございます。

新しいことの理解や読解と言うのは、結構、脳に負担を与えるものでして、頭がボンヤリしていると、なかなか入っていかないものでございます。

ですから、新しいことは、頭が疲れておらず、しゃんとしているときにやることにする、という寸法でございます。

逆を言えば、頭がぼおっとしているときは、「既知のことをする」といった塩梅であります。

そう、復習をしたり、テキストを読み直したり、用語の確認をしたり、問題集の中から苦手そうなものをピックアップして解く、という次第でございます。

こうした作業は、新しいことを勉強することに比べたら、「負担」が少ないですから、何とかやれるし、やっても功があるというわけであります。

よくよく振り返れば、頭がしゃんとしていても、新しい単元や新しい用語や語句、公式や定義というのは、憶えられないのですから、頭がぼおっとしているなら、更にできなくなるのは必定でございます。

なら、「ぼおっ」としていても、できて験のある作業を探すべきかと存じます。

個人的なことを言うと、意外に「ぼおっ」としているときは、暗記や記憶の作業に向いているように思います。

というのも、暗記や記憶は、要は何度も読んだり書いたりする『単純作業』であるので、「ぼおっ」としていても、何とか頭に印象付けられるといった次第でございます。

 足が痛いときは走らないのと同様に、頭の状態に適したお勉強をチョイスすれば、時間とお勉強の費用対効果が上がるように考えます。