独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

頭がぼおっとしているときの勉強

頭がぼおっとしているときというのは、何ともお勉強の方が捗らないものでございます。

頭が、何だか霞がかかっていて、100%動かない状態のときは、「やるべきこと」を選ぶべきかと存じます。

まず、筆頭に挙げられるのは、「負担が少ないことをやる」でございます。

莫大なページ数を読んだり、試験科目の中でも有数の難易度のところは、手を付けない、パスする、他の日にやることにする、といった塩梅でございます。

次に、「新しいことはしない」でございます。

新しいことの理解や読解と言うのは、結構、脳に負担を与えるものでして、頭がボンヤリしていると、なかなか入っていかないものでございます。

ですから、新しいことは、頭が疲れておらず、しゃんとしているときにやることにする、という寸法でございます。

逆を言えば、頭がぼおっとしているときは、「既知のことをする」といった塩梅であります。

そう、復習をしたり、テキストを読み直したり、用語の確認をしたり、問題集の中から苦手そうなものをピックアップして解く、という次第でございます。

こうした作業は、新しいことを勉強することに比べたら、「負担」が少ないですから、何とかやれるし、やっても功があるというわけであります。

よくよく振り返れば、頭がしゃんとしていても、新しい単元や新しい用語や語句、公式や定義というのは、憶えられないのですから、頭がぼおっとしているなら、更にできなくなるのは必定でございます。

なら、「ぼおっ」としていても、できて験のある作業を探すべきかと存じます。

個人的なことを言うと、意外に「ぼおっ」としているときは、暗記や記憶の作業に向いているように思います。

というのも、暗記や記憶は、要は何度も読んだり書いたりする『単純作業』であるので、「ぼおっ」としていても、何とか頭に印象付けられるといった次第でございます。

 足が痛いときは走らないのと同様に、頭の状態に適したお勉強をチョイスすれば、時間とお勉強の費用対効果が上がるように考えます。

求めざる2度洗濯をしたときは重曹で徹底して洗濯する

「ちゃんと洗濯をしたのだが臭いが取れないので、もう一度洗う」

わたくしは、この2度洗濯こそが、時間と労力の最たる無駄であるかと考えます。

ほんと2度手間で、めんどくさくてかったるくて時間は過ぎ去ってと、いい事は1つもありません。

2度洗濯で勉強時間を取られないためにも、ここは徹底して、悪臭源を絶たなければなりません。

というわけで、ちゃんと洗濯をしても臭っているものは、「もはや通常の洗濯ではダメ」で、「2度洗いの元凶」だと結論付けて、重曹で徹底して洗うようにします。

ちゃんと洗濯をしても臭うものとは、有体に言えば、「皮膚との接触回数が多いもの」、「干し方の失敗で菌類が異常繁殖したもの」、「着用してから日が経ちすぎたもの」、でございます。

「皮膚との接触回数が多いもの」とは、シャツやハンドタオル、タオル、ハンカチ類でございます。これらで「うっ」と来たものは、戦闘開始でございます。

「干し方の失敗で菌類が異常繁殖したもの」とは、曇りの日に風通しの悪いところに干したところ、逆に、細菌類の絶好の繁殖場所になった洗濯物、部屋干しの失敗で発生する洗濯物類でございます。洗っても洗っても臭う、配偶者並みに手間がかかるものでございます。

「洗濯まで日が経ちすぎたもの」とは、ついうっかり、部屋の片隅に脱ぎ捨てていた洗濯物、かばんに入れっぱなしだった洗濯物でございます。コレも強烈で頑固な悪臭源となります。

さて、これら2度洗いの洗濯物は、バケツにひとまとめにして、ぬるま湯(風呂の残り湯)に漬けて、ばさばさと重曹を豪快にふりかけ混ぜて、半日か一晩放置します。

分量的には、計量カップ一杯分くらいでしょうか。でも、入れる量は本当に適当でよく、大雑把に「多く」で結構です。

重曹は、市販されている家庭用洗剤とは違って、分量はかなり「適当」でよく、たとえ、入れ過ぎても、重曹が解けなくなるだけの話なので、別段、入れ過ぎの影響はこれといってありません。(重曹は、水量比8%までしか解けない。粉になって底にたまるだけ。)

漬け置いた洗濯物は、そのまま洗濯機の中に入れて、洗剤を入れて「しっかり洗い」的なモードで洗濯して、干す、という塩梅でございます。

配偶者や家族に、「臭えよバカヤロー」と怒鳴られたとき、または、自分でそう怒鳴りそうになったときは、当該ブツを重曹で懲らしめる感じ(血の池地獄ならぬ重曹池地獄)で、徹底的に洗濯しましょう。

捨てずに今後も使うのなら、どのみち洗わないといけないものなのです。

なお、洗濯物の全体は臭わないが、一部分から強く臭うものがございます。たとえば、ハンドタオルなら中心部で、タオルならよく拭われるところでございます。

そういう悪臭の発見があったときは、重曹を塗り込めます。ヨーグルトに付いてくる使い捨てスプーンで、重曹を悪臭源にピンポイントに振りかけ、水を少しずつかけながらペースト状にして、臭いのする部分に塗り込んで、数時間ほど放置します。

その間、雑菌どもが、重曹のアルカリに一斉掃討されている情景を思い浮かべれば、何とも心地のよい待ち時間がすごせるように思います。

一度、重曹できつく洗っておくと、以降の臭いの付き方もかなり和らぐので、お洗濯で時間が取られている方は、ぜひとも、重曹で徹底抗戦してみてください。心底すっとする。

追加補足:2013/06/01-「頑固に臭う洗濯物には重曹スプレー

石の上にも3年は、禅宗だけの話です

物事を単純に考えるべきだと、最近は思っております。つまり、物事を飛躍して考えてはいけない、という寸法でございます。

ことわざの解説にはよく、「転じて」という言葉がございます。

「石の上にも3年」の意味は、石の上で座禅を3年も組めば悟りが開ける、転じて、辛抱が肝心、続ける事が大事といった次第でございます。

当該「転じて」なのですが、よくよく注意をしないといけません。「石の上にも3年」とは、禅の世界なら成立することであります。

座って無念無想になる「座禅」に価値のある禅であるから、3年も石の上でじっと座っていれば、立派だと思われるのでございます。そういう、価値体系なのでございます。

3年も座り続ける修行をすれば、おそらく、どこぞの寺の住職に迎えられることもあるのでしょう。

3年も座った後には、ある程度の社会的地位と生活の保障がなされる、という次第であるから、当の本人は、「安心して」座れるのです。要は就職活動の一環です。

座ったあとに何らかの価値があるからこそ、座り続ける、または、座り続けることを「意味あること」にしている「世界」であるから、「石の上にも3年」ということわざが成立しているのでございます。

しかし、現代においては、座禅なんてものがそれほどの価値がありませんから、石の上でじっとしていれば、禅宗の坊主でさえ、用事や雑用を頼むか、バケツの水をかけて追い払いことでしょう。

ホント誰か、一度禅寺の門の前でずっと座ってみてください。15分後に警察が来るでしょう。

何でもかんでもを、「苔」の一念でやっても仕方がない、という次第でございます。

辛抱が肝心だからとはいえ、単に惰性でやっているだけだったり、単にやってたらいいんでしょ、みたいな思考放棄では、これまた、あまり有用な意味がないことように考えます。

惰性でやるべきことと、そうでないことの線引きは、結構、重要なことだと思います。