試験勉強を抱えると、どうしても趣味に割く時間がなくなります。
さて、それを悲しむべきことがどうか、なのでございます。
結論から言いますと、『趣味は減らせられるなら減らすべし』と考える次第でございます。
そもそも、お勉強に時間がとられるわけで、どうしても整理するか減らさざるを得なくなるでしょう。
昨今では、多趣味が普通で、アレもコレも興味がある、というのが「よし」とされております。
しかし、たくさん趣味を抱えれば、人生が豊かになるわけでもないのは自明の理でございます。
その背景は、嗜好が多様化して、その個々の嗜好にマーケットがあって、個々のマーケットが他の無関心層を引き込まないといけないからこそ、「多趣味はよし」なんていわれてるんじゃないかな、と思います。
趣味といえば、映画やカメラ、小説・読書、飲食・旅行ですが、ま、マーケットがそれぞれにがっつりとあるわけで、だからこそ、多趣味推奨のインセンティブはたっぷりとあるわけです。
釘がさびるのを見る、そこらへんの草木の観察、空を見る、海・池・川を見る、雨を見る、鳥を見るなど、金のかからない、つまり、マーケットが成立しないものは、そうそうに推奨されていないわけで、ま、いってしまえば、趣味というのはいまや趣味商売であり、商売が拡大を目指すものであれば、趣味も多種にならざるを得ないわけです。
こうした「趣味動向」を知っておけば、何でこんなものがはやるのか、も見えてくるように存じます。
さて、お話を戻しますと、試験勉強をすると趣味の時間を減らさざるを得なくなるわけですが、これを言い換えるなら、本当に自分にとって必要な趣味を選び出す「洗練」過程ではないかと存じます。
暇と余裕があるからやってるだけの趣味と、どうしてもそこから日々の生活のエネルギーを得る趣味は、やはり、分けて考えねばなりません。
必要な趣味と、ホントどうでもいい趣味とを、一色単にすることは、不幸の1つかと考えます。大事なものとそうでないものを一緒にしてはいけない。
こんこんと尽きぬ楽しみの沸く趣味が見つかれば、それこそ一生ものでありまして、無駄で余分な趣味モドキをしているから、それが見えてこない、ともいえるわけでございます。
お勉強をしていると、だんだんしなくなる、見なくなる、関心の薄れるものがございます。わたくしなどは、本屋めぐり・立ち読み、読書、格闘技でありました。
残っているのは読書くらいで、本はいやいや読んでいますが、書店めぐりなどほとんどしなくなりました。格闘技など全く関心ゼロになっています。
それは、もう現状の自分にとっては必要ではなくなったか、もとより、必要ではなかった趣味だったのでしょう。
試験勉強後に、以前の趣味が楽しくなくなったという方は、結構おられますが、それは、ある意味、自分が成長してその趣味が必要でなくなったか、もとより必要でなくてメッキが剥がれたのでありましょう。
お勉強後に、それでもやりたいと思うもの、それが、己の求めている「楽しみ」ではないかと考える次第でございます。
趣味が多くて勉強ができないのは、単に欲張りなだけか、必要なものが見えていないだけでございます。
『それでもやりたいものが趣味』でございます。選びに選んで、何を自身の本当の趣味なのか、ご把握くださればと存じます
| カテゴリー: 勉強ワンポイントアドバイス | Tags: 勉強, 試験, 趣味 | 2011年6月22日 12:13 PM |
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お勉強が本当に嫌になったときは、ひとまず、お勉強のことを忘れるよう努めなければなりません。
心で嫌な気持ちを引きずったまま勉強をしても、その「嫌」な気持ちは更に深まるだけでございます。
嫌な気持ちは、引きずるほど拍手がかかって、さらに「嫌」感が強化されてしまいます。
更なる悪化を防ぐためにも、勉強が心底嫌になったときは、いったん止めて、頭の中からお勉強のことを一掃するよう、ご助言致します。
具体的に言えば、試験科目や試験の重要語句は一切思わないようにします。
テキストの「て」の字も、問題集や過去問の「も」の字や「か」の字も思わないようにします。
「思わないようにする」というのは、意識の上にすら、あげないことでもございます。
つまり、モヤモヤっとお勉強のことが意識によぎってきたら、そこで、その思いを意図的に断つわけでございます。
まず、「止める」ことが重要なのでございます。そのまま、お勉強への意識や思考に流されてはいけません。
何でもかんでも、考えてりゃいいってモンじゃありません。
「考えないようにする」ことが、解決策であることを、わたしたちは知っておくべきかと思います。
さて、とはいえ、勉強のことを少しも思わないようにするのは、なかなかに難しいものがございます。
というのも、頭といいますのは、常に何かを考えるようになっているからで、「何も思わない・意識しない」のは、意外に困難な作業なのでございます。
そこで、お勉強について思わないためには、頭を何かで埋めなくてはならないのですが、「何で」埋めるか、でございます。
最も効果があるのは、『自分の好物について、アレコレと詳細に考える』ことでございます。
好きな食べもの・飲み物がない、という仙人みたいは人もいないでしょうから、好物で意識を埋めるのでございます。
たとえば、焼肉屋のランクを考えたり、あそこは接待用・デート用・大切な記念日用と、焼肉店舗ごとに目的別分類をするのは、実に楽しいのでございます。
あそこコスパはいいとか、つきだしがいい味をしているとか、安いからたらふく食べたいときにはあの店などと、アレコレ思いを馳せるのでございます。
焼肉店のランク・分類の次は、精肉店比較です。
あそこの肉はいいとか、ダメとかを、これまでの購入履歴・値段や味の脳内・舌上データに思いを馳せるのでございます。
それが済めば、上ロースの焼き方を考えたり、ステーキを焼くときのシュミレーションを行います。合わせるお酒を考えたりします。
ここまで焼肉のことで頭を一杯にすると、だんだんと試験勉強ややるべきことの嫌さも、薄れていくように存じます。
旅行好きの方は旅行の計画で意識を一杯にします。お酒の好きな人はお酒で、お菓子・ケーキの好きな人は甘いもので、一杯にするのでございます。
気分転換とは、何か別のことを考えることでもございます。
勉強が本当に嫌になってきたら、自分の好きなことで、勉強のことを頭から追い出すことをお勧めいたします。
あまり上手くない喩えですが、水も古くなれば腐るように、凝り固まった意識や思考も、だんだんと腐ってきます。
好物という新しい水で、頭と心とを入れ替える、てな次第でございます。好きなことで、嫌なお勉強を薄める、と言えるようにも思います。
やっぱ、楽しみなくして、できませんわね。
| カテゴリー: 過去のススメ | Tags: 勉強, 頭 | 2011年6月20日 11:18 AM |
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知らないから「嫌い」という人は、結構いるものでございます。
人間関係がこじれると、強度の高いストレスとなりがちです。
そこで、まず、ストレスの融和のために、なんだか嫌だなという人がいたときは、その人の好物を聞くことをお勧めいたします。
お勉強を抱える皆様ならご経験のように、「嫌」やら「不快」という感情は、知らないこと・わからないことから、生まれるからでございます。
逆を言えば、知りさえすれば、「嫌」「不快」の発生源を特定できるわけで、多少なりとも、相手を知ったりわかったりすれば、人間関係のストレスを和らげることもできるわけでございます。
単に「知れ」ばいいわけで、こういう人もいるんだ風に、データ化して飲み込んでしまえ、ということもできましょう。
相手を好きになる、なんてことは、到底できるわけがありません。
そんなことが可能なのは、釈迦やキリストなど、歴史に名が残るほどの大器量人・大宗教家でない限り、できるものではありません。
わたくしたちは、嫌なやつに対して、心底からの好意を持つことはできませんが、その人を知って、多少のイメージ修正を図るくらいが、関の山なのでございます。
その材料となるのが、先より申し述べている『好物:好きな食べ物』なのでございます。
人は、意外なものが好きでございます。
その「好物」には、その人の出身やら個性やら生活やらがにじみ出るものでございます。
もっといえば、赤裸々にその人を語るものでございます。
純情・素朴そうな人が、フォアグラやら上トロなど、「高いから好き」だけの見栄坊だったりします。
高飛車なセレブ風の人が、豆腐をつぶしてしょうゆをかけご飯にかけてかきこむのが大好きだったりします。
うっとおしいと思っていた人が、わさび漬けのおいしい食べ方を知っていたりします。
いいメーカー、産地、注意事項などなど、食べ物の耳学問ができるのも、「好物」聞き出しの利点かと存じます。
特に、その地域なり地方に住んでいる人なら、「いい肉屋」を知っているかもでございます。
いい肉や情報は、人生の財産でありまして、「もつ」なんてまさに肉屋で決まります。
わたくしたちは、本来雑食ですから、何でも食べれるわけで、何でも食べれるなら、嫌なやつともある程度の、共感を持つことも可能でございます。
へええと相手の話に頷くたびに、その人の「嫌」な印象は薄れ行くものでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | Tags: 人, 好物 | 2011年6月17日 12:32 PM |
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