独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

実力付くと勉強できるけど

独学をコツコツ続けて、実力が伸びてまいりますと、大量のことができるようになります。

たとえば、1日の勉強時間中で、テキストの読解から問題演習、重要事項の抜書きやらチェックなど、一時に多種類のお勉強ができるようになってしまうのでございます。

だからこそ、なのでしょうが、実力が付くほどに、アレもコレもしてしまおうと、気負ってしまうのでございます。

気負うというのは、気負えるからこそ、できることでございます。

全く実力が付いていない状態で、テキストを読んで、問題集を確認し、暗記事項を整理して云々カンヌンのお勉強ができるわけがありません。

実力が付いていないのなら、テキストの1文章や問題集の問題1問を追うことで、精一杯でありましょう。

ひとまず、頭がフル回転していて、アレもコレもしなくては、と思っているときは、ひとまず、頭を止めることが肝心でございます。

あまりに多くのことを、一時にやろうとすると、ことわざの二兎追うもの一兎を引くまでもなく、アレもコレも中途半端に終わってしまうからでございます。

そして、あまりに多くのことをやろうとすると、心身は過度に消耗してしまいます。

できてしまうが故に張り切りすぎて、それ以降にぐったりしてしまう。

独学で陥りやすい、実力者専用の罠でございます。

正直なところ、いっぺんにどっとやっても、頭の処理量には限度がございます。

お勉強をいいますのは、どんどんやれば、それに正比例して実力が付くものではありません。

ある程度、処理量がございますので、そのあたりの自分の感じで、お勉強は進めていくべきかと存じます。

そのあたりの車でも、時速150キロから200キロのスピードを出すことが可能でございます。

また、1トン2トン数トンと、掲載重量の2倍くらいは、物を積めるものでございます。

しかし、毎度毎度、そんな速度や重量の限界に近い使い方をしていれば、早晩、その車は廃車となることでしょう。

お勉強における頭も、同じように存じます。

できるからといって、無理に無理を重ねますと、お勉強がぱたりと途絶えることがございます。

無理や無茶はときには必要でございます。

ただ、無理・無茶の連続は控える方が、お勉強は長続きして中身の伴うものになるかと存じます。

自分だし仕方ない

特別な才能がないから、仕方がないのでございます。

そう、取り立てた読解力もないのですから、読みのに時間がかかっても、仕方がないのでございます。

ずば抜けた理解力もないのでございます。

1問1問の問題に、1年1年の過去問に、苦闘するのも仕方がないのでございます。

ないのだから仕方がない、こうした素朴すぎる現状認識は、実に落ち着きをももたらしてくれるのでございます。

一種の悟り、ある意味で悟りなのでありますが、非常に大事であるように存じます。

というのも、自分は自分だからでございます。

意味深いことではないのでございます。

原付は原付、自転車は自転車、車は車、電車は電車、バスはバス、タクシーはタクシー、戦車は戦車、飛行機は飛行機。ケッタマシーンはケッタマシーンでございます。

それぞれに、ぞれぞれの機能と役割がございます。

どこかにでかけようとして、原付は用意いたしません。車でしょう。

映画にいこうと、セスナ機をチャーターするわけでもありません。

戦場に行くのには、戦車か装甲車であって、自転車ではありません。

自分は自分でございます。

他人は他人。他人はそうしていても、自分はできないのであれば、自分ができるようにやればよいだけのことでございます。

仕方がないんだから、仕方ないのでございます。

仕方がないからといって、飛躍もせず、コツコツとやっていたらできていた、というのは、よくある話でございます。

過度の先取りよくない

お勉強といいますのは、やらなくてはならないことの山でございます。

また、独学といいますのは、自分以外に管理人がおりませんから、どうしても自分からやらざるを得ませんし、また、自分しかやる人はいないものでございます。

やらないといけないこと、今後に備えてやるべきこと、おそらく近い将来にやるだろうことを、先取りしていくのは、よいことでございます。

どうせやらないといけないのでございます。

避けられぬ運命はさっさと受け入れて、これまた、さっさと済ませた方が、気持ちに余裕が生まれます。

また、やらないといけないことどもは、やる前は億劫なのですが、いざ、やってみれば、それほどでもないことが多々でございます。

(やらなくちゃなあ)と、どんよりした不完全燃焼の状態が、いうなれば1番無駄なのでございます。

逆に、ささっとやるべきことを済ませた方が、気持ちに弾みが付いて、気持ちがいいのでございます。

擬態語で申し訳ありませんが、ぱっぱっぱと、ぴっぴっぴっと、物事が進んでいくと実にすっとするのでございます。

ですから、やるべきことどもに対して、距離を作ってウダウダと遠巻きにするよりかは、ぱっと事に臨んで済ませた方が、時間だけでなく、気持ちというエネルギーをも上手に燃焼できるわけでございます。

結果的に、やるべきことはさっさと先取りしていく方が、よい方向に進むように存じます。

ただ、物には限度がございます。

先取りしてやっていくのは、非常に気持ちがいいし、やった感・充実感があるために、「過度」になりやすいのでございます。

これが、よくないのでございます。

作業がうまいこと進めばよいのですが、途中で止まることがあったり、支障なり障壁がありますと、イライラが募ったり、落ち着きが欠けるようになるのでございます。

加えて、アレもコレも、先取りしてしまおうとする、欲張りな心が状況をさらに悪く致します。

気持ちよく済ましていくための先取りが、イライラや焦りをもたらすのは本末転倒でございます。

それこそ、先取りしてやったことが残っていてイライラするのとかわらないじゃありませんか。

先々やれば合格できるものではありません。

手一杯に何かを済ませようとしているときは、ちょっとお待ちをば、と一声かけるくらいの余裕を持つべきかと存じます。