独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

冷たいやる気

やる気には、冷たいやる気というのもございます。

やる気とは、熱血・情熱・熱心・熱気やパッションといったものに限らないのでございます。

情熱を持って、ある資格を取りたい!!と奮起して、お勉強に励むのはようございます。

しかしながら、こうした熱血状態は、そう長続きしないのでございます。まあ、もって明日まで今でありましょう。

燃焼といいますのは、永遠に燃えるろうそくがないように、そんなには時間がもたないのでございます。

火は酸素がなくなれば消えますし、火力は燃焼物がなくなれば、衰えるものでございます。

情熱や熱血といった燃えあがるようなやる気は、すぐになくなると頭の片隅にでも、置いていてくださればと存じます。

さて、では、やる気が燃えてしまって無くなったら、どうしたらよいか、というわけでございます。

心のうちをいくら探してみても、これっぽっちの「やる気」がない。

長い試験勉強、時折、こういう状態になるものでございます。

やる気が燃え尽きたときは、「やる」ことに燃料源を見出すのではなく、 逆の方から探して欲しく存じます。

やる、ではなくて、やらない!から、やる気を見出すのでございます。

例えば、「もうホント、2度とこんなことはやりたくない」でございます。

つまり、本試験まではやってやる!が、それ以降は、一切、見も聞きも開きもしない!今だけだ、と心を割り切るのでございます。

そうすると、もう2度としなくていいのだから、もうちっとだけでも、がんばろうという冷静な気になってくるのでございます。

ほかに、「来年まで持ち越したくない」、「もう1度、試験勉強をするのは嫌」、「やらないためにやろう」、「やりたくねえよ、ばか」などと思うことも、効果覿面でございます。

こんな風に逆に考えますと、非常に醒めたやる気が、むくむくと出て来るように存じます。

情熱や熱血とは逆の、冷えたところから、新たなやる気を見出してくださればと存じます。 

実力付くと勉強できるけど

独学をコツコツ続けて、実力が伸びてまいりますと、大量のことができるようになります。

たとえば、1日の勉強時間中で、テキストの読解から問題演習、重要事項の抜書きやらチェックなど、一時に多種類のお勉強ができるようになってしまうのでございます。

だからこそ、なのでしょうが、実力が付くほどに、アレもコレもしてしまおうと、気負ってしまうのでございます。

気負うというのは、気負えるからこそ、できることでございます。

全く実力が付いていない状態で、テキストを読んで、問題集を確認し、暗記事項を整理して云々カンヌンのお勉強ができるわけがありません。

実力が付いていないのなら、テキストの1文章や問題集の問題1問を追うことで、精一杯でありましょう。

ひとまず、頭がフル回転していて、アレもコレもしなくては、と思っているときは、ひとまず、頭を止めることが肝心でございます。

あまりに多くのことを、一時にやろうとすると、ことわざの二兎追うもの一兎を引くまでもなく、アレもコレも中途半端に終わってしまうからでございます。

そして、あまりに多くのことをやろうとすると、心身は過度に消耗してしまいます。

できてしまうが故に張り切りすぎて、それ以降にぐったりしてしまう。

独学で陥りやすい、実力者専用の罠でございます。

正直なところ、いっぺんにどっとやっても、頭の処理量には限度がございます。

お勉強をいいますのは、どんどんやれば、それに正比例して実力が付くものではありません。

ある程度、処理量がございますので、そのあたりの自分の感じで、お勉強は進めていくべきかと存じます。

そのあたりの車でも、時速150キロから200キロのスピードを出すことが可能でございます。

また、1トン2トン数トンと、掲載重量の2倍くらいは、物を積めるものでございます。

しかし、毎度毎度、そんな速度や重量の限界に近い使い方をしていれば、早晩、その車は廃車となることでしょう。

お勉強における頭も、同じように存じます。

できるからといって、無理に無理を重ねますと、お勉強がぱたりと途絶えることがございます。

無理や無茶はときには必要でございます。

ただ、無理・無茶の連続は控える方が、お勉強は長続きして中身の伴うものになるかと存じます。

自分だし仕方ない

特別な才能がないから、仕方がないのでございます。

そう、取り立てた読解力もないのですから、読みのに時間がかかっても、仕方がないのでございます。

ずば抜けた理解力もないのでございます。

1問1問の問題に、1年1年の過去問に、苦闘するのも仕方がないのでございます。

ないのだから仕方がない、こうした素朴すぎる現状認識は、実に落ち着きをももたらしてくれるのでございます。

一種の悟り、ある意味で悟りなのでありますが、非常に大事であるように存じます。

というのも、自分は自分だからでございます。

意味深いことではないのでございます。

原付は原付、自転車は自転車、車は車、電車は電車、バスはバス、タクシーはタクシー、戦車は戦車、飛行機は飛行機。ケッタマシーンはケッタマシーンでございます。

それぞれに、ぞれぞれの機能と役割がございます。

どこかにでかけようとして、原付は用意いたしません。車でしょう。

映画にいこうと、セスナ機をチャーターするわけでもありません。

戦場に行くのには、戦車か装甲車であって、自転車ではありません。

自分は自分でございます。

他人は他人。他人はそうしていても、自分はできないのであれば、自分ができるようにやればよいだけのことでございます。

仕方がないんだから、仕方ないのでございます。

仕方がないからといって、飛躍もせず、コツコツとやっていたらできていた、というのは、よくある話でございます。