独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

お勉強にも夜目・遠目・笠の内

「夜目・遠目・笠の内」とは、女性がことさらに、一段ときれいに見える状態を指した古言ございます。

夜目とはつまり、暗いところにいると、暗さという照明効果で、きれいに見えるという次第でございます。

黒系統の服が好きな人がおられますが、それは、暗さの照明効果を享受し、自身の美しさを引き立たせようとするのでありましょう。

事に及んで、電気を消しておくれでないかい、というのも、まあ、そういうことでありましょう。

遠目とは、そのままではありますが、きれいに見せたいのなら、遠くから見せるべし、つまり、近づけさせない、という次第でありましょう。

まじまじと近くで顔を見られたら、そらまあ毛穴の汚れやら肌のへなへな加減が見えてしまって、100年の恋も冷め切る急速解凍でございます。。

ですから、できるだけ、遠くから見させるのがよい、というわけであります。

よく美人には、人を近づけさせない空気がありますが、それも美しさの演出の1つなのでありましょう。

笠の内というのは、時代をさかのぼる江戸時代の雨具「笠」の中から見ることであります。

笠には、前が見えるように無数の穴が空けられているわけですが、そのうっすらと見える視界が、女性をきれいに見させるのでありましょう。

「きれい」というのは、言ってしまえば、目の現象なのでありますから、「夜目・遠目・笠の内」などの人為的な操作を加えることで、殿方連中の気持ちを操作するという、昔ながらの女性の知恵でございます。 

男性方は、こうした女性のマニュピレーションについて、よくよく知っておくべきかと存じます。

さて、お勉強の話に戻りたく存じます。

お勉強といいますのは、基本がめんどくさいものでありますから、やっぱり、ことさらに、実体以上に「めんどう」で「しんどく」感じるものでございます。

しかし、その思いの2割から3割、下手をしたら5割くらいは、「夜目・遠目・笠の内」の如く、錯覚なのでございます。

いざやってみたら、それほどでもなかった、そんなに難しくはなかった、なんてことは、ざらでございます。

わたくしたちの、認知といいますか、認識といいますか、感じ方というのは、結構、ブレがあって幅もございます。

ですから、やる前から、うんうんと考えずに、まあざっとでもやってみることをお勧めする次第でございます。

また、先の科目にめんどくさそうなものがあるときは、ちょこちょこと軽くでいいので見に見を重ねて、自身の認識をブレをご修正くださればと存じます。

よく見えてないからこそ、「余計に○○して」見えていることを、意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。

無理な勉強 リバウンド

痩せようと無理なダイエットをしたはいいが、逆に太ってしまうことをリバウンドと申します。

おそらく皆様方の多くが経験したことがあるのではないかと忖度致します。

痩せようとして、反対に太るのですから、本末転倒な話でございます。しかしまあ、わからないことはありません。

人間の根源的な欲である食欲に対して、我慢に我慢を重ねたところで、食欲自体がなくなるわけがありません。

我慢してなくなるのなら、おそらくそれは、遺伝子の設計ミスでありましょう。

食欲をなくすには、食べるしかないわけで、ですから、何を食べるかが問題なのでございます。そして、なにがおいしいか、味覚を変える問題であるかと存じます。

ダイエットとは、お腹がへってファストフードやお菓子、菓子パンを食べるか、それとも、ふかしたサツマイモを食べておいしいと思うのかの違いであるように存じます。

さてさて、お勉強についても、リバウンドはございます。

独学では、よほどの事情がない限りは、無理に無理を重ねてお勉強をすることを推奨いたしません。

というのも、無理なダイエットのように、無理に無理を重ねれば、逆の結果を生み出すからでございます。

そう、無理なお勉強を続けると、高い可能性で、お勉強の挫折や中断に、事が到るからでございます。

無理勉強の結果は、すぐには出ないので要注意でございます。

1週間、10日、1ヵ月後あたりで、なぜだか、不思議に、不意に、ふと、お勉強がしたくなくなって、テキストを見ることすら、疎く感じてくるのでございます。

1つか2つ、突発的なイベントや出来事、事件や事故の類が起これば、そこでお勉強はぷっつりと途切れてしまうことでありましょう。

そもそも、ドカ食いならぬドカ勉強をすれば、実力が急激に付くのではありません。

じょじょに力というのは付いていきますので、無理に無理をするお勉強は、よすべきであるかと存じます。

また逆に、どうしてもやってしまいと,無理を重ねた際は、「リバウンドが来るな」とご注意くださればと存じます。

受かるとなあんだこんなもの

合格というのは不思議な現象でございます。

受かったとたん、人を大きく変えるのが「合格」でございます。

本試験のホンの前までは、受かるかどうかわからない不安に苛まれ暗い顔をしてたのに、合格証書を受け取るや否や、合格するのが、あたかも決まっていた、予定調和だったみたいな顔になるのでございます。

これは、その当人の人の悪さではなくて、受かったという自信が、そうさせるように思います。

本試験に受かる前までは、どうしても試験というものが当事者には、大きく見えてしまうのでございます。

そして、合格すれば、途端にその膨れに膨れたイメージがしぼんで、いうなれば、「客観的」に見えてくるのでありましょう。

試験勉強中は、とてもしんどくて面倒で、脂汗を流すのがしきりであったのにもかかわらず、受かるや否や、「そんなに苦痛じゃなかったよね?」とか、「あんま苦労しなかったよね」、なんて風に考え出すのでございます。

同じ現象・同じ経験でありながら、合格となると受け取り方がホント、真逆になる次第でございます。

ということは、今やってることなんて、実際のところは、それほどでもないわけでございます。

単に試験に受かるかどうかの不安から、やっているお勉強が重々しく、実にしんどく感じているだけかもしれません。

一度、「試験」や「合否」というものなんてない、と仮定してみることをお勧め致します。

「ない」と思って、お勉強の諸作業を見てみれば、何てことはないものばかりでありましょう。

テキストは読むだけだし、問題集は解説をしっかり読むだけだし、過去問も同じような作業でございます。

試験があるから、合否という判別があるから、しんどく感じているだけ、といってもよいでしょう。

試験勉強なんてものは、受かってから見直せば、ホント、どうってことのない作業ばかりでございます。

お勉強に対する感じ方を変えるなら、少しはお勉強の負担が軽くなるように考える次第でございます。