肌寒くなってきたと思えば、とたんに暑くなったり、まだ暑いかなと思っていたら、急に涼しくなるという、何とも体調を崩しやすい毎日でございます。
本当に今年の夏は暑かったようで、観測史上、まれな酷暑となったとのことでございます。
クーラーによる廃熱、ビル熱によって多少は気温は上がるものですが、自然のガチの暑さには本当に適わないと、つくづく思った次第でございます。
どれ程今年が扱ったのかを肌で感じたのは、雑草でございます。
例年、背の丈くらいに伸びるはずの雑草が、今年だけはそんなに伸びていないのでございます。
腰の下のほうくらいまでしか、高さがないのでございます。
生命力溢れ、雑草魂という言葉にさえなっている雑草が、今年の夏の暑さには負けてしまったわけでございます。
雑草の生長を妨げるほどの暑さであったというわけでございます。
また、今年の暑さの強烈さを物語るのは、洗濯バサミの破損の多さ、でございます。
物といいますのは、熱を加えたり冷ましたりすると、強度が低くなるものでございます。
昼に強烈に熱が加えられ、夜になって冷やされるのを繰り返されたのか、洗濯バサミが壊れることの多さやいかに、でございます。
指で少し力を入れると、パキパキとつぎつぎに折れていくのでございます。
例年にない洗濯バサミの壊れように、これまた、今年の暑さの威力を肌で感じた次第でございます。
また、思い返せば、今年はあちこちで、建物のタイルが暑さで膨張して割れていたのを何軒も目に致しました。
それほどの暑さであった、というわけでございます。
雑草や物ですらそうなら、酷暑の影響力たるや、況や我々をや、でございます。
明らかに、かなりのダメージは来ているように思います。
個人的にいいますと、大体、10月中旬辺りでやってくる、個人的なグッタリ感が、今年は例年にない速さで来るような感じがしております。
この数日で、(あ、来るな)という予兆がありありでして、豆乳を大目に買い込んだ次第でございます。
今年の酷暑の、心身への影響はかなりある、といって構わないかと存じます。
体力がないと自覚されている方は、よりいっそうの体調管理を申し上げる次第でございます。
例年なら無理のできることでも、よほどの事情がない限りそうはせず、床に就くべきかと存じます。
気候がよくなり体調も上向き加減になってからがんばっても、少しも遅くないものでございます。
また、体力に自身のある方も、少しは控えるのがよいかと存じます。
強度の高いものほど、脆いものでございます。
大丈夫だと思っていたらばたんと倒れてしまいかねません。
体力があれば、酷暑の影響が何割かなくなるというわけでもありません。必ずどこぞにガタがくるものでございます。
この2週間くらいは、ご自愛期間として、飲酒等は控える・青魚を食べるなりして、体調の維持と管理とをお図りくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年9月14日 9:50 AM |
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先だってのススメ(いもを毎日食べてるか?−https://dokugaku.info/2010/09/post-1133.html)にて、毎日、10個の物を食べる食生活をお勧めいたしました。
この10個食のよい点は、食生活の管理が実に楽であること、如実に体調に現れること、そして、毎回のメニューを考えずとも済む点にございます。
ちなみに、その10個とは、「肉」「魚」「卵」「豆」「乳製品」「海藻」「いも」「緑黄色野菜」「油脂類」「果物」の10品目でございます。
(今日はアレを食べてないから、コレにするかな)、なんて風に考えますと、家で食べるにしても、外で食べるにしても、中食を買うにしても、迷いがなくなってまいります。
お酒の席でも、今日はこれを食べてないから、といった感じに、つまみに選択肢が生まれて参ります。これがまた、新たな味覚の開発・知り及ばなかったつまみの発見につながるものでございます。
10個食べればよい、というだけですので、是非とも、お取り入れくださればと存じます。
しかし、1つだけ難しい食材があるのでございます。
それは、「果物」でございます。
ときどきなら食べれるのですが、果物を毎日となると実に厳しいのでございます。
まず、生の物でありますので、痛みやすいという切なる事情がございます。
独身の方ならご経験があるかと思いますが、果物が身体にいいと聞いて買ってはみたが、日々忙しくてなかなか食べることができず、腐らせてしまうことが実に多いうのでございます。
長期の保存が可能な缶詰も、いったん開けてしまえば、早く食べないとなりません。
こうした事情から、あまり果物を食べられていない人が多いのではないかと、忖度するものでございます。
わたくしの場合、冬は毎日りんごを食べるのでいいのですが、これが、暖かくなってくると痛む・腐る理由から、ときどきしか食べなくなっていくという次第なのでございます。
そこで今回、毎日の果物摂取に最適だと気付いたのが、タイトルのある「ドライフルーツ」でございます。
代表的なのは、レーズン・干し葡萄、あんず、各種ベリー類、バナナ、いまでは、トマトまで干されて売られてございます。
百貨店や大きいスーパーにいけば、専門の売り場にて、目にすることができるかと存じます。
ドライフルーツは意外に値段が割高なものが多いのですが、生の物と値段を比較すれば、それほどでもないという感を持てるように存じます。
そらまあ、干すという工程が入ってくる分、値段は高くならざるを得ないでしょう。
しかし、ドライフルーツには、値段以上のものがあるのでございます。
それは、栄養価でございます。干す分、滋養も豊富になっているわけでございます。
豆腐と高野豆腐では、別の食べ物になっているくらいに栄養価が違いまして、高野豆腐には、必須アミノ酸のほとんどが含まれており、最高峰の健康食品の1つでございます。
干ししいたけと生のしいたけを比較すると、干した方が圧するほど栄養価が高くなるのでございます。
プラスされる栄養の分をも踏まえれば、ドライフルーツというのは、穏当な値段であるかと存じます。
ドライフルーツは、コーヒーにはダメですが、紅茶のお供に抜群の相性でございます。
紅茶の時間に、しゃれた小皿に少し盛るなり、ティッシュの上に数粒載せるなりして、お茶を頂くのは、なんともエレガントで、洗練された感じがするものでございます。
クッキーや板チョコをがっつくよりかは、実に品と奥ゆかしさがございましょう。
また、ドライフルーツは、身体に吸収しやすい果糖が豊富とのことですので、疲れたとき、朝のぼおっとするときに食べると、内側からしゃんとするとのことでございます。
もちろん、お勉強のお供にも、お腹にもたれない、甘い、脂肪が少ないと、かなり優れた一品でございます。
こんなにいいものを見過ごすのもアレですので、是非、スーパー等に行った際は、ドライフルーツに眼差しを向けてださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年9月13日 8:00 PM |
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『16. 取引は、取引だ。(より良いカモが現れるまでは...)』
フェレンギ人のいう取引とは、うまい取引のことを言う。
利益の少ない取引は、フェレンギ人にとって真の意味での取引ではない。単に、字句の上での取引なのである。
うまい取引とは、良い客との取引を言う。
本当に、業績が回復するのは、本当によい顧客との取引である。半端ではない利益が生まれる。一息つくのもよい顧客との取引である。
しかし、よい顧客はそのあたりにはいない。故に、探さねばならないのである。
顧客とは探すものである。そのあたりに居る者ではない。
自分から良い客となる人々を探さねばならない。
どうすれば目の前の人たちが、よい「客」になりうるか、咬み出すように考えねばならないのである。
モバイルの無料ゲームは、当初、ゲーム好きの中高生をターゲットにしていたが、蓋を開けて見れば、大人の、特に長時間拘束される職業の人に愛用されていたのである。
ま、カモにされているわけだが、我々は、本当に、自身のサービスや商品が、誰に求められているかを、よくよく考えねばならないのである。
まず、自分が誰のよき顧客なのか、そこから知らねばなるまい。
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『17. バーゲン品は大抵高くつく。』
要らないものはただでも高い、という。
これは、古代ギリシアからの言である。
わたし自身が思うことは、ひとたび「安さ」の魔法にかかって、心の中に「お得感」ができあがると、どんどんと財布の紐が緩んでくることである。
スーパーなり量販店の、最も人の出入りが多いところには、得てして、お買い得品がある。
それも、熟考を重ねた上での安いという、回りくどい安さではなく、ひと目で体感してしまう安さなのである。
1.5リットルのコーラや水が、100円以下の98円で売られていれば、誰だって安く感じる。
この安さ感、いい買い物感、引いては、お得感が次の買い物への呼び水となるのである。
頭の中には、得したという印象が残っていて、今日の買い物すべてうまく行ったような「気」になってしまう。
得した気分になっているから、それほど必要でないものでも買ってしまうし、財布の紐は緩んでいるから、これまた、普段買わないものにも手が伸びる始末となる。
わたしたちは、得てして、バーゲン品だけを買って帰るような芸当はできない。
しわい人でも、お目当てのバーゲン品を買った「ついで」に、その他のもの買ったり、購入予定のものを見て帰ろうかなと思うものである。
なぜなら、せっかく移動時間を費やしてまで、買いに来たからである。その時間と手間の元は取らねばなるまい。
けちな人間は、時間ですら無駄に使いたくないのである。そして、新たに欲しいものを見つける次第となる。
バーゲン品で得したと思ったら、こっそり損をしていないか、または、内に潜んだ新たなキャッシュアウトの機会(あ、こんどこれ買おうかなという思い)が生じていないか、確かめてみるべきである。
理由無き安売りはない。
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『18. 親戚の贈り物には用心しろ。』
何年も交渉がなかったのに、突然、連絡があったときは何かある前触れと考えてよい。
おそらくは、借金の話であろう。それか、保証人の話であろう。それか、マルチの勧誘か、健康食品・健康器具の販売である。
やばい話になればなるほど、直接的には攻めてこない。
計画的に、外堀を埋めるかのように、目的を図らんとするのである。
そこで、フェレンギ人は「用心」といっているのである。
特に、値の張る贈り物が来たときは、「あ、何かあるな」と思ってよかろう。
贈り物を頂いたら、即、次の日にでも家内か自分で百貨店に行き、値段相応の贈り物を返しておくべきである。
今の世は、インターネットの商取引サイトも多数もあるのだから、即、お返しの贈り物は可能である。
ぐずぐずしていることが、欲に絡め取られている証拠だ。
ぐずぐずすればするほど、心中の恩の意識は増殖する。
贈り物の返しは、建前では一種の礼儀作法であるが、しかし、本音のところでは、交渉する際の立ち居地の補強であり、心理的な武装のひとつでもある。
数千円の贈り物をもらい続けたばっかりに、親戚のバカ息子の就職の保証人になってしまった人を知っている。
会社の金を使い込んで、その請求が回ってきて、酷い目にあったという。
特別に何もないのに、親戚から贈り物が来たときは要注意である。血のつながりがあるが故に、断りにくくく、理性を発揮できなくなる。
貰いっ放しという「欲」が、そうさせるのである。
返せ、返せ。熨斗をつけて返せ。
転ばぬ先の再贈呈である。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年9月10日 9:35 AM |
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