独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

ドライフルーツ

先だってのススメ(いもを毎日食べてるか?−https://dokugaku.info/2010/09/post-1133.html)にて、毎日、10個の物を食べる食生活をお勧めいたしました。
この10個食のよい点は、食生活の管理が実に楽であること、如実に体調に現れること、そして、毎回のメニューを考えずとも済む点にございます。
ちなみに、その10個とは、「肉」「魚」「卵」「豆」「乳製品」「海藻」「いも」「緑黄色野菜」「油脂類」「果物」の10品目でございます。
(今日はアレを食べてないから、コレにするかな)、なんて風に考えますと、家で食べるにしても、外で食べるにしても、中食を買うにしても、迷いがなくなってまいります。
お酒の席でも、今日はこれを食べてないから、といった感じに、つまみに選択肢が生まれて参ります。これがまた、新たな味覚の開発・知り及ばなかったつまみの発見につながるものでございます。
10個食べればよい、というだけですので、是非とも、お取り入れくださればと存じます。
しかし、1つだけ難しい食材があるのでございます。
それは、「果物」でございます。
ときどきなら食べれるのですが、果物を毎日となると実に厳しいのでございます。
まず、生の物でありますので、痛みやすいという切なる事情がございます。
独身の方ならご経験があるかと思いますが、果物が身体にいいと聞いて買ってはみたが、日々忙しくてなかなか食べることができず、腐らせてしまうことが実に多いうのでございます。
長期の保存が可能な缶詰も、いったん開けてしまえば、早く食べないとなりません。
こうした事情から、あまり果物を食べられていない人が多いのではないかと、忖度するものでございます。
わたくしの場合、冬は毎日りんごを食べるのでいいのですが、これが、暖かくなってくると痛む・腐る理由から、ときどきしか食べなくなっていくという次第なのでございます。
そこで今回、毎日の果物摂取に最適だと気付いたのが、タイトルのある「ドライフルーツ」でございます。
代表的なのは、レーズン・干し葡萄、あんず、各種ベリー類、バナナ、いまでは、トマトまで干されて売られてございます。
百貨店や大きいスーパーにいけば、専門の売り場にて、目にすることができるかと存じます。
ドライフルーツは意外に値段が割高なものが多いのですが、生の物と値段を比較すれば、それほどでもないという感を持てるように存じます。
そらまあ、干すという工程が入ってくる分、値段は高くならざるを得ないでしょう。
しかし、ドライフルーツには、値段以上のものがあるのでございます。
それは、栄養価でございます。干す分、滋養も豊富になっているわけでございます。
豆腐と高野豆腐では、別の食べ物になっているくらいに栄養価が違いまして、高野豆腐には、必須アミノ酸のほとんどが含まれており、最高峰の健康食品の1つでございます。
干ししいたけと生のしいたけを比較すると、干した方が圧するほど栄養価が高くなるのでございます。
プラスされる栄養の分をも踏まえれば、ドライフルーツというのは、穏当な値段であるかと存じます。
ドライフルーツは、コーヒーにはダメですが、紅茶のお供に抜群の相性でございます。
紅茶の時間に、しゃれた小皿に少し盛るなり、ティッシュの上に数粒載せるなりして、お茶を頂くのは、なんともエレガントで、洗練された感じがするものでございます。
クッキーや板チョコをがっつくよりかは、実に品と奥ゆかしさがございましょう。
また、ドライフルーツは、身体に吸収しやすい果糖が豊富とのことですので、疲れたとき、朝のぼおっとするときに食べると、内側からしゃんとするとのことでございます。
もちろん、お勉強のお供にも、お腹にもたれない、甘い、脂肪が少ないと、かなり優れた一品でございます。
こんなにいいものを見過ごすのもアレですので、是非、スーパー等に行った際は、ドライフルーツに眼差しを向けてださればと存じます。

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フェレンギ人のバイブル16〜18

『16. 取引は、取引だ。(より良いカモが現れるまでは...)』
フェレンギ人のいう取引とは、うまい取引のことを言う。
利益の少ない取引は、フェレンギ人にとって真の意味での取引ではない。単に、字句の上での取引なのである。
うまい取引とは、良い客との取引を言う。
本当に、業績が回復するのは、本当によい顧客との取引である。半端ではない利益が生まれる。一息つくのもよい顧客との取引である。
しかし、よい顧客はそのあたりにはいない。故に、探さねばならないのである。
顧客とは探すものである。そのあたりに居る者ではない。
自分から良い客となる人々を探さねばならない。
どうすれば目の前の人たちが、よい「客」になりうるか、咬み出すように考えねばならないのである。
モバイルの無料ゲームは、当初、ゲーム好きの中高生をターゲットにしていたが、蓋を開けて見れば、大人の、特に長時間拘束される職業の人に愛用されていたのである。
ま、カモにされているわけだが、我々は、本当に、自身のサービスや商品が、誰に求められているかを、よくよく考えねばならないのである。
まず、自分が誰のよき顧客なのか、そこから知らねばなるまい。
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『17. バーゲン品は大抵高くつく。』
要らないものはただでも高い、という。
これは、古代ギリシアからの言である。
わたし自身が思うことは、ひとたび「安さ」の魔法にかかって、心の中に「お得感」ができあがると、どんどんと財布の紐が緩んでくることである。
スーパーなり量販店の、最も人の出入りが多いところには、得てして、お買い得品がある。
それも、熟考を重ねた上での安いという、回りくどい安さではなく、ひと目で体感してしまう安さなのである。
1.5リットルのコーラや水が、100円以下の98円で売られていれば、誰だって安く感じる。
この安さ感、いい買い物感、引いては、お得感が次の買い物への呼び水となるのである。
頭の中には、得したという印象が残っていて、今日の買い物すべてうまく行ったような「気」になってしまう。
得した気分になっているから、それほど必要でないものでも買ってしまうし、財布の紐は緩んでいるから、これまた、普段買わないものにも手が伸びる始末となる。
わたしたちは、得てして、バーゲン品だけを買って帰るような芸当はできない。
しわい人でも、お目当てのバーゲン品を買った「ついで」に、その他のもの買ったり、購入予定のものを見て帰ろうかなと思うものである。
なぜなら、せっかく移動時間を費やしてまで、買いに来たからである。その時間と手間の元は取らねばなるまい。
けちな人間は、時間ですら無駄に使いたくないのである。そして、新たに欲しいものを見つける次第となる。
バーゲン品で得したと思ったら、こっそり損をしていないか、または、内に潜んだ新たなキャッシュアウトの機会(あ、こんどこれ買おうかなという思い)が生じていないか、確かめてみるべきである。
理由無き安売りはない。
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『18. 親戚の贈り物には用心しろ。』
何年も交渉がなかったのに、突然、連絡があったときは何かある前触れと考えてよい。
おそらくは、借金の話であろう。それか、保証人の話であろう。それか、マルチの勧誘か、健康食品・健康器具の販売である。
やばい話になればなるほど、直接的には攻めてこない。
計画的に、外堀を埋めるかのように、目的を図らんとするのである。
そこで、フェレンギ人は「用心」といっているのである。
特に、値の張る贈り物が来たときは、「あ、何かあるな」と思ってよかろう。
贈り物を頂いたら、即、次の日にでも家内か自分で百貨店に行き、値段相応の贈り物を返しておくべきである。
今の世は、インターネットの商取引サイトも多数もあるのだから、即、お返しの贈り物は可能である。
ぐずぐずしていることが、欲に絡め取られている証拠だ。
ぐずぐずすればするほど、心中の恩の意識は増殖する。
贈り物の返しは、建前では一種の礼儀作法であるが、しかし、本音のところでは、交渉する際の立ち居地の補強であり、心理的な武装のひとつでもある。
数千円の贈り物をもらい続けたばっかりに、親戚のバカ息子の就職の保証人になってしまった人を知っている。
会社の金を使い込んで、その請求が回ってきて、酷い目にあったという。
特別に何もないのに、親戚から贈り物が来たときは要注意である。血のつながりがあるが故に、断りにくくく、理性を発揮できなくなる。
貰いっ放しという「欲」が、そうさせるのである。
返せ、返せ。熨斗をつけて返せ。
転ばぬ先の再贈呈である。

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理で割り切る

心配事や不安事は、たくさんあるものでございます。
それはそれで、仕方のないものでございます。
といいますのも、そういう心性と言いますか傾向の故に、人類は生き延びてきたからでございます。
もし、わたくしたちに、ゴリラのような握力と腕力があれば、こんなにも心配するような機能は身心に備わらなかったでしょう。
ちなみに、チンパンジーの子供でも、握力は100kgを超えます。
100kgの握力のある人間などは、130kg級のヘビー級レスラーやアメフト並のガタイの人しかおりません。
人間で最も体格のいい人でも、ゴリラやチンパンジーの子供と戦えば負けるのでございます。
いうまでもなく、人間には毛皮も羽もありませんし、毒もありませんし、牙も、爪も、跳躍力も、走る遅さも飛びっきり、でございます。ノラネコにいい大人が負けます。
子供を生めば普通に生きていくのに10年以上の期間がかかるという、これまた、自然界においては、破格の遅さでございます。ミドリムシなど、細胞分裂すれば即成人、でございます。
このように、自然界の生物のなかで、最も脆弱だからこそ、わたくしたちには、先の不安要素を探知し、危険を予想する機能が備わっているのでございます。
心配事や不安事があることこそ、人間である証なのであります。
ですから、これをなくそうとしたり、根絶しようとしたり、気付かないようしたり、抑圧するのは、よくはないのでございます。人間であることを止めるのか?、というわけでございます。
しかし、ずっと不安や心配を抱えるのは、たまったもんじゃありません。
ですから、よくよく整理をすべきかと存じます。
本当に危ないのかどうか、心配すべきかどうか、心を砕くべきかどうか、利益があるのかどうか、その「理」を「整える」わけでございます。
失敗をして、暗く落ち込んだと致しましょう。しかし、落ち込んでいれば、物事がうまく行く、または、失敗を解消するような名案が沸く、と思うのであればそうすればよいでしょう。
しかし、まあ、心の張りは無くなるし、心が低調なら、身体もドンくさくなりますし、身体が動かなくなれば、ますます頭の方の回転も、遅くなってくるでしょう。
余計に、解決からは離れて言っているわけでございます。ならば、落ち込んでいても、暗い気持ちでいても全く仕方がない、わけでございます。
このように、自身のおかれた状況を、「理」で整理していくうちに、不安なことでも限界といいますか、MAXといいますか、そういった辺りが見えてきて、涼やかに過ごせるようになるものでございます。
疲れて勉強すべきかどうか、悩むときがございます。
やるべきかどうかは、ここの判断でありますが、わたくしなら、過去、疲れたときにやったときの勉強の成果を思い出してみるでしょう。
よかった方が多いならやりますし、疲れてやっても成果が無かったのなら、軽く一当てだけやって寝ちゃうでしょう。
また、疲れていてもできる勉強はありますから、それをやって寝ることでしょう。
何が何でも勉強をしなくてもいいわけですし、疲れているなら軽く寝るなり風呂に入って血行を良くしてやればいい、など、いろいろの「理」を見出せるかと存じます。
お猪口一杯の冷酒を飲んでやる、というのもいいでしょう。少量の酒は気付け薬でもございます。
ほとんどの心配事・不安事は、「理」を踏まえれ行けば、全貌が明らかになると申しますか、軽くなっていくものでございます。
解決し難い、割り切り難いのは、仏教で言われます愛別離苦・生病老死くらいでございます。
あとはまあ、巨額な借金・負債くらいでございます。
このあたりは、「理」では何ともしがたいものがありますが、逆に言えば、それ以外のことは、「理」で割り切っていける、考えていけるわけでございます。

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