独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

散歩くらいだらだらしよう

時間に追われているわたくしたちでございます。

レジでもたもたしているだけで、イライラっとして来るわたくしでございます。

昼休みとかの時間に限られたときならまだしも、何でもないときでもイラっとしてしまいます。

たかが数分でございます。じゃあ、その数分で何か有意義なことをしているのかというと、ネットの世界で小詰まらない、読んで後悔するような、山なし・落ちなし・意味なしの散文を読んでいるのが関の山でございます。

時間を節約に節約しても、片方でばかばかしいことに時間を労していれば、無意味でございます。

イラっとしただけ、変な表現ですが、損なのでございます。

多くの場面でイラっとしてしまいますが、できるだけ、無意味なイラつきはなくすようにしたいものでございます。

人生、そうそうに腹の立てることはありません。

ある温厚な武士の言葉に、「腹立てたるときは、切るときでござる」なんて申しております。

イラっと腹を立てたなら、切り捨てるのがその武士の仕儀なのでございます。

だからこそ、腹を立てない、怒らない。イラついたら相手も死ぬし、自分も社会的に死ぬからでございます。

わたくしもこれに倣って、むかついたときは相手をぶちのめして、生きながら※※※※※※※することくらいをするときである、として、軽々しく腹を立てないようにしている次第でございます。

ま、イライラは、解消のできない不発散系ストレスが募りますので、できるだけしないように、心を飼いならすべきかと存じます。

さてさて、本題に入りたいと思います。

タイトルにありますように、散歩なのですが、常日頃、時間に終われているのなら、散歩にあたる時間くらいは、「意識して」まったりゆったりとしたいものでございます。

わたくしも以前までは、せかせか歩いていたのですが、散歩のときになぜ、出勤途中のような急ぎ足で歩かないといけないのか、と気付きまして、それ以後は、全く身体全身の力を抜いてだらだらと歩を進めております。

帰宅のときは、今日は仕事から解放されたのですから、ぶらぶらっと散歩をかねて歩けばよいように思います。

ぶらつき感、気を抜いた歩き方というのは、「モヤモヤさまぁーず2」をご参照くださればと存じます。

あれほどのドまったり振りを前面に出しつつ、あのおもしろさですから、まったくのプロの技でございます。

日々、イラっとストレスが溜まるからこそ、心底のだらりが意味が出て参ります。

多くの視聴者は、モヤさまを見て、ドまったりの散歩を疑似体験しているのでありましょう。

日々の時間に追われる生活が、わたくしたちの行き方の節々にまで染み込んでございます。

解放すべきとき・力を抜くべきときは、100%、なまこのように、意識してお過ごしくださればと存じます。

よくよく流されないよう、ご注意くださればと存じます。

集中は切らさない

弘法、筆を選らばず、なんて申します。

しかし、わたくしたちは、大帥様のような偉人ではありませんから、道具はもとより身の回りのことについて、アレコレと心を練らなくてはならないのでございます。

お勉強におきましては、環境作りが大切でございます。

というのも、お勉強におきましては、集中することが、とても大事だからでございます。

集中した状態でお勉強をしますと、通常以上に、理解度や記憶の具合が良くなるものでございます。

お勉強の成果は、どれだけ集中した状態を保てるかにあるように考える次第でございます。

ですから、わたくしたちは、いかに集中状態を保てるかに、意を払わねばならないのでございます。

よく、お勉強をするところには、漫画や雑誌、本、テレビなどを置かないようにいいますが、それらはお勉強への集中を害するからでございます。

携帯の電源も落としておき、手元や視界に入らないところに置いておくべきでございます。

こうした処置は、当たり前といえば、当たり前といえましょう。

他に気が散るものがあると、集中を持続するために、余計な力が入ってしまいます。

集中しなkればと思いながら、その気になるものを忘れようと・意識の外に置こうとするのは、実にかったるい作業でございます。

ブレーキを踏みながらアクセルを踏むが如しでありまして、エネルギーを倍、使っているようなものでございます。

そんな状態が続くと、1時間もすれば、ぐったりとしてしまうでしょう。

蛇足ながら、そのぐったり感が、精神的な疲労の蓄積につながり、たまりにたまったところで、お勉強は挫折と相なる次第でございます。

 思い返してみますと、基本的にわたくしたちは、いつ理解して、いつ憶えたのか、というお勉強で最も肝心なことが、わかっておりません。

いつ起きたのか、いつそうなったのか、実際には誰も知らないものでありまして、気がついたら憶えていたり理解できていたりするわけでございます。

この、理解や記憶というのは、やはり、集中状態のときに起こっているのではないかと、考える次第でございます。

また、びりびりと集中しなければならないときもございます。

難しいところや難解なところ、ボリュームの多いところは、片手間なお勉強では到底、やり終えることができません。

どうしても集中して、自身の力をそこ1点に絞り込んで、取り組む必要が出て来るわけでございます。

もの凄く難解なところや複雑なところでも、集中に集中してやりますと、ばりばりと消化できること多々でございます。

 集中が、お勉強の多くを為しているとお考えくださればと存じます。

 お勉強の際、せっかく高まった集中をぶった切るのは、全くもったいない行為でございます。

子供が泣いたとか、自家用車につけた車上荒し用のブザーが鳴ったとか、焦げ臭い、膀胱がぱんぱんなど、こうした事情があるのでしたら、お勉強の中断も仕方がありませんが、できるだけ、集中を切らさぬよう、処置すべきでございます。

配偶者に呼びつけられないよう、くれぐれも手厚い処理をしておくか、前もって用事を済ませておくべきでございます。ちょっとばかり寂しい顔をするかもしれませんが。

お勉強で重要なのは、集中に入ることと集中を維持することでございます。

お勉強そのものの作業と同じくらいに、集中は大事でありますので、ご配慮くださればと存じます。

合否の境は、どれだけ集中した時間を確保できたか、でございます。

同プレッシャー同ストレス

必ず、完全な休み・完全なるオフの日をお取りになりますよう、ご助言させていただきます。

まず、わたくしたちが踏まえておかねばならないのは、お勉強をしていますと、同じようなプレッシャーと同じようなストレスが募るということでございます。

金属疲労というのは、同じところに同じような力が継続して加わった際に、起きる現象でございます。

どんなに硬いものでも、同じところに同じような力で押されたりこすられたりすると、いつしか、必ず、そこが壊れてしまうのでございます。

一滴一滴の水でも、石を穿つのと同じ理屈でございます。

お勉強をしていますと、大概は、同じようなプレッシャーとストレスに遭遇するものでございます。

たとえば…

お勉強をしなくちゃ。勉強しないと。こんなんで受かるのか。不合格になったらどうしよう。できない。忘れた。

まあ、こんな風な思いを、お勉強を続けている間は、常に抱いているものでございます。

これらのプレッシャーやストレスの1つ1つは、耐え難いものではありません。

強度としては、それほど強くはないのでございます。

しかし、お勉強といいますのは、大概が長丁場にわたるものでございます。

ここが、重要なところでございます。

1つ1つのプレッシャーやストレスの強度は低くても、それが、長時間・長期間、晒されますと、結構なダメージとなってしまうのでございます。

そら、しなくちゃ・しなくちゃと、毎日毎日思っていれば、ぐったりもしてくることでありましょう。

低プレッシャー・低ストレスの困ったところは、急に顔を現す点でございます。

ぱたんと、急に、なぜだか、不思議に、やる気というものがなくなってしまうのでございます。

どうしても、したくなくなってしまうのでございます。どれほど、鼓舞してみても、メンドクサイ気持ちが先に立ってしまうのでございます。

 こうならないのが、独学のコツでございます。

いったん、『どうしてもしたくない状態』になってしまいますと、そこから抜け出すのに結構な時間がかかってしまうのでございます。

当然の如く、かなりのロスとなってしまいます。

また、無理やりお勉強してしまうと、よりいっそうやらなくなって完全挫折してしまうこともあるので、かなり危険な状態でもございます。

 再度申しますが、こうはならないのが独学のコツでございます。

こうならないためには、完全に、お勉強から離れる完全な休息の日を、10日に1日・2週間に1日は、もって欲しく思います。

言ってしまえば、お勉強からの解放日を設けるのでございます。

その日だけは、完全にお勉強のことは忘れます。1ページ読むとか1問でも解くとかすら、行ないません。

1秒ですら、お勉強のことは、頭に思いません。まったくお勉強をゼロにしてしまいます。

お勉強は1日遅れるかもしれませんが、あとあとのお勉強の長期離脱のリスクは、かなり減るように思います。

お勉強といいますのは、継続が重要ではありますが、継続することで生じる長期離脱リスクにも、手を打ってくださればと存じます。

休むのも、お勉強の1つでございます。