調子付く、という言葉がございます。
強い意思と燃える気合と、そして、精神の力を駆使してお勉強をするのも結構ではございます。
しかし、疲れるというのも事実でありまして、できることなら、そうした「奥の手」「切り札」といったものは、日常のお勉強では使わない方が宜しいかと存じます。
それらは、言うなれば、消耗品でありまして、使えば必ずなくなるものでございます。
また、副作用も大きく、使えば使うほど、そこかしこに痕跡といいますか、影響があるものでございます。
じゃあ、といってはなんですが、それらの代わりに何かあるのか、という次第でございます。
それが今回のススメにて見ていく、「調子」でございます。
調子よくやっていくと、そんなにがんばろうと思っていないのに、すらすらっと日々の日課なり学業なり予定なりを消化できてしまうのでございます。
調子がよいと、やることの質・量が、プラス何割かされるわけでありまして、やる以上は、調子よくやっていくべきなのでございます。
それでは、調子よくするためにはどうしたらいいのか、というわけでございます。
まず、先日のススメでも申しましたように、躊躇しないことが挙げられるかと存じます。
そして、きっちりと今日のやるべきこと・できたらすること・余力があればやることを明白にしておきます。
次に、お気に入りの音楽やお茶、お茶菓子を用意しておきます。
あ、いい忘れましたが、お勉強に取り掛かる前に、気になること、やっておくべきこと、重要な雑事・雑用は済ませておきます。
済ませられないものや、時間がかかりそうなものは、近くのメモ用紙なり手帳にその旨を書き、併せて消化する日も記入いたします。
これで、いくぶんか、心にはスッキリ感が生まれるかと思います。
基本的に、調子よくするには、前もっての準備が必要でございます。
あまりよろしくありませんのは、ばたばたしてお勉強に取りかかり、そして、10分ばかり経って、あ、あれをしなくちゃと、忘れていた雑事・雑用に向かい、それを済ませてから、再度お勉強に入るような、まあ、なんとも落ち着きのないやり方でございます。
こうした雑用に追いまくられるようなお勉強では、身に付くものも身に付きませんし、上がってきた調子もぶった切られてしまいます。
せっかく調子が付いてきたのに、それを自分で潰してしまうのは、少しくもったいないかと存じます。
自分が気持ちよくお勉強ができるような準備、お勉強が邪魔されないような処置、お勉強に集中できるような環境作りを意識しておりますと、自然と、調子のよいお勉強ができるように存じます。
それは、一方で、実に合理的な時間の使い方・雑用の処置の仕方・お勉強の間の取り方、でもあるのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | Tags: 勉強 | 2010年10月26日 9:38 AM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
本日のススメは、ほとんどお勉強に関係がございません。
その点を踏まえた上で、お読みくださればと存じます。
また、以下に述べることは、あくまで個人的なことでしかありませんので、ご了承くださればと存じます。
さて、本日のススメは、タイトルにありますように、ひじきと抜け毛についてでございます。
お勉強といいますのは、結構な数のストレスがございます。
まず、お勉強そのものがストレスでありまして、加えて、本試験のプレッシャーがございます。
本試験が近づきますと、胃はキリキリと痛み、表情も険しくなってまいります。まるで、営業ノルマ未達成の営業のような態になるのでございます。
そもそも、お勉強というのは、わからないことを勉強するのですが、人間にとっては、わからないことそれ自体が、強いストレスになるものでございます。
そして、睡眠不足や蓄積される疲労、焦り、もどがしさ、歯がゆさもストレスになって参ります。
その上、1つの場所に長時間、動かずにじっとしていなければなりません。これも、結構なストレスになるものでございます。
このように、お勉強中は、かなり高いストレスに晒されることになるわけでございます。
ですから、お勉強に慣れるまでは、体調のバランスが崩れることも多いのでございます。
このお勉強のストレスの現われの1つに、抜け毛がございます。
お勉強をしている周辺を軽く掃除してみれば、抜け毛の意外な量に驚くかもしれません。
そして、落ちている毛の多くは、細いといいますか、柔らかいといいますか、何だか元気がない風なのでございます。
もしも、これをお読みの方で、お勉強のストレスが髪のほうに出てきている方は、是非とも、「ひじき」をお試しくださればと存じます。
わたくし自身の経験なのですが、ひじきを毎日食べると、明らかに、抜け毛が目に付かなくなるのでございます。
この事に気付き始めたのは、実は1年も前からでございます。
ひじきを食べていると抜け毛は少なく、食べなくなると多くなるような気がしてならないのでございます。
事の発端は、近くに業務スーパーという、飲食店の卸といいますか、大型のスーパーができて、惣菜屋や弁当屋が使う巨大な調理済みひじき(1kg!)が売られているのを発見したのでございます。
値段もそこそこで、味もまあまあでしたので、買って毎日、食事のたびにパクパクと食べたのでございます。
そうすると、周りを見てもベッドを見ても、櫛を見ても、床を見ても、抜け毛が減ったような気がするのでございます。
そして、飽きて食べなくなると、次第に床や机に落ちていたり、まくらに付着している抜け毛が目に付くようになったのでございます。
そうこうして、ひじきを食べたり食べなかったりして、1年経った今、個人的には、ひじきは明らかに抜け毛を予防する、と結論した次第でございます。
わかめでも、こんぶでも、おそらくは抜け毛によいのでしょうが、毎日は食べられないもの。
この点、ひじきは少しあればつまみにも、一品にもなります。また、大豆の水煮と合わせれば、また、味も変ってまいります。調理済みなのですぐに食べられます。
しかも、ひじきは冷凍が効きますので、大型で大量に買っても、冷凍庫での保管が可能でございます。
下手や養毛剤や育毛剤以上に、わたくしは、毎日のひじきの方が抜け毛には効果があると思ってございます。
抜け毛はお勉強だけに限りませんが、何だか髪の張りがなくなってきたり、抜け毛が目に付くようになれば、ひじきを買って来て、毎日、少量でもいいので、ご摂取くださればと存じます。
あと、蛇足ではありますが、ひじきを毎日食べますと、お通じがかなり良くなりますので、これが体内の老廃物や余分な脂肪分の排出に一役買っているのではないか、とも思ってございます。
| カテゴリー: 調理・料理・軽食 | Tags: 海藻 | 2010年10月25日 9:55 AM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
『34. 平和はビジネスに役立つ。』
平和だからこそ、商売は成り立つ。
近くで暴動多発地帯や治安が悪いところでは、お客様そのものが寄り付かないから、商売にならない。
やって来る者は、入店五分後には強盗になりそうな、性質の悪い者が大半であろう。
じわじわダメージの来る万引きの被害も厳しい。
それ以上に怖いのは、従業員の質である。
外から来る盗人や強盗は、まだ自衛の策も立つだろうが、内側の敵は遺憾ともしがたい。
もろ、だからである。売上金に手は付けられるし、商品も同様に、いくらでも懐に入れられる。
取引先の銀行はどこで、いつ入出金に行くのか、売上金はどこに保管するかまで、オープンになってしまう。実に危険だと言わざるを得ない。
1商店の内実がそうなら、地区で、地域で、街で、市で、ビジネスがうまく行かないのも、ごく自然の理である。
これまで日本では、水と安全はタダと言われてきたが、逆にいえば、それらが、諸外国と比べれば比較にならないほど上質のレベルで提供されていたからこそ、ここまでの経済発展を遂げたともいえるのである。
ちなみに、中国で最も信用にならないのは、警察である。マフィアより信用できない。
また、ちなみに、資源大国のオーストラリアで鉄鋼業が起きなかったのは、そして、今後も工業は発展しないだろうが、水が悪かったからである。
左がかった白痴平和論者の言ではないが、平和こそ経済と雇用の最たるものである。
今こそ、わたしたちの足元がこれまでどうだったか、そしてこれからどうなるのか、その認識を改めるべきである。
安保が弱まっただけで、海賊に襲われるのが、わたしたちの住む世界である。
『35. 戦争はビジネスに役立つ。』
アメリカの貿易赤字で面白い話がある。
アメリカの貿易赤字は巨額なものがあるのだが、統計上、この赤字には、あるものが含まれていないとのことである。
そのあるものとは、アメリカの輸出した武器の額である。
そう、アメリカは、日本を含め世界の西側陣営に武器を輸出しているが、その輸出分の学は、統計上、貿易扱いにはならず、除外されているのである。
そら、○○国に武器を何億ドル分輸出しました、なんておっぴらにすれば、その国の戦力が明らかになってしまう。だからこそ、貿易扱いにならないのであろう。
戦闘機から対空ミサイル、対艦ミサイル、銃器類、衛星使用料、イージスシステムなどなど、日本の防衛で、アメリカ製品の恩恵を受けないものを探すことの方が難しいくらいだ。
日本でそうなら、台湾やイスラエル、引いてはEU各国も、内国軍事面でのアメリカ依存はかなりの割合であろう。
アメリカの貿易赤字を大きく叫ぶマスコミであるが、その統計の実を洗ってみれば、実に不可思議なことになってしまう。おそらく、武器輸出分を含めれば、数字は様変わりするだろう。
話が少しずれたが、戦争とビジネスの線引きは実に難しいこと、いうなれば、戦争とビジネスは非常に相性がいい、もっといえば、相似通うものであることを知っておいても損はないだろう。
一時期、貿易摩擦ではやった「経済戦争」という語句があるが、今では、戦争が経済、「戦争経済」なのである。
『36. 多くのフェレンギ人は、もはや自分をあざ笑うことができない。』
頭髪が薄くなれば、誰でも悩むだろうか。
わたしはそうではないといえる。もし、自分がガンを患い、抗ガン剤治療を選択したとしよう。
抗ガン剤の副作用で髪の毛が抜けたとする。
こうした場合、禿を悩むだろうか。悩まない。
禿ではなく、自分の命の方を、ガンの治療の成否や再発の有無を悩むであろう。
禿で悩めるのは、生きられるからでしかないのである。明日があることを、微塵も疑っていないのだ。
これと同じ理屈で、悩みとは悩みではない。真に問題がある場合、人はもう悩めないのである。
それを受け入れるしか他ないからである。
悩めること自体が、ある意味、余裕がある証なのである。
フェレンギ人も、自分の商売や金の汚さに、心中思うことがあるのだろう。
しかし、それもいってしまえば、嘲られる分、まだまだ商売に身が入っていない証左なのである。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年10月22日 1:15 PM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |