独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

1つの結論より代案3つ

困ったとき、どうしたらよいかわからないとき、途方に暮れたとき、あまりに複雑で何をすべきかわからないとき、着手に戸惑うとき、こうした際の考えるコツがございます。
それは、ただ結論のみを求めないことでございます。
完全な正解のみを求めようとすると、余計に解決が遅れるのでございます。
近道かと思っていたら、逆に意外に遠かった、というのことは結構ございます。
一直線に結論や正解を求めることが、逆に、正しい解決から放れていっていることも、ママあるものでございます。
しかも、結論や正解のみにまい進するのは、意外にしんどいのでございます。
あーでもない、こーでもないと思考は逡巡し、頭はあっという間に消耗します。
疲れると、当然ではありますが、よく考えることができなくなります。
また、唯一の解決方法を求めると、頭がどんどんと硬直して来るのでございます。
どうしてそんなことで悩んでいるの?という人が時折おられますが、こういう人は、どんな助言も受け付けないことが多々ございます。
頭が固くなりすぎて、思考に幅がない故に、何物も受け付けられないのでございます。
唯一の解を求めたが故に、余計に苦しむというよい例であるかと存じます。
このため、ますますよい考えや突破法が見えなくなっていくのでございます。
そもそも、正しい解・正しいやり方・正しい方法などは、そう簡単に見つからないものでございます。
すぐさま見出すことができるなら、もう遠の昔に、解決していてしかるべきでありましょう。
うんうん唸っても解決が見いだせられないのは、それが、難しいからでございます。
すぐには答えが出ないことなのに、すぐさま解決しようとするから、余計な力がはいって、殊更に疲れるといった次第でございます。
皆さんもご経験があるかと存じますが、「うまくいく」ときというのは、自分の考えている斜め上の、予想外のところから、ひょっこりと訪れるものでございます。
しかし、頭が硬直していたり、考えが萎縮していたりすると、なかなか、それが見えてこないのでございます。
何か難問なり課題に接して、うんうんと頭をひねりにひねっても解が見つからないときは、「正解」を直接的に求めないことが大切かと存じます。
唯一の完全なる解を求めるのではなく、あーしたらいい、こーしたらいいんでないかい程度の、アイデアや思い付き、思い為しを求めるのでございます。
それも、3つくらいを求めるのでございます。
難しいことを相手にするときは、唯一のものを求めるのではなく、代案3つ考えようとすると、意外な角度や視点で問題を見ることとなるので、考えやすくなるのでございます。
代案をいくつか設けて、そこからアプローチしていくと、ふっと解決策が見つかるものでございます。
難しいことには、唯一ではなく複数の点から、攻めてみることでございます。

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作り話で慰めを

お勉強におきましては、忘れること・できなくなることは日常茶飯事でございます。
読めていたところが読めなくなる、解けていたところが解けなくなる、やったはずなのに少しも記憶に残っていない、こうしたことも、本当によくあることでございます。
こうしたことは、お勉強をする者であれば、自然現象なものでありまして、誰だって経験するものでございます。
合格者となった人だって、受験生の当時は、わたくしたちと同じように忘れてはがっかりして、できなくなっているのを知っては冷や汗をかいてきたものでございます。
ですから、多少のできないや忘れたが発生したとしても、それほど気にせず、落ち込まずに、お勉強を再開してくださればと存じます。
しかし、頭ではそうわかっていても、ときにどーーんと奈落に落ちることもございます。
疲れていたり、体力が低下していたり、プライベートがうまくいかず、何と言いましょうか精神障壁が脆くなっているときだと、普段なら笑って済ませるような「できない・忘れた」が、ぐさりと心に突き刺さることもございます。
こうした際は、勝手な作り話で結構でございます。うまく自分を騙すことが肝要かと存じます。
よくある作り話としては、今ここで間違えたのは、本試験にて間違わないためである、という理屈でございます。
つまり、本試験なら間違えてしまったであろうことを、なんと『幸運』なことに、今この時に先取りした、という塩梅でございます。
今ここでその間違いの所在を知り、対策を練りさえすれば、本試験では間違えず、失点を阻止できるというわけでございます。
同じ間違えたでも、こんな風に考えてみれば、少しは得をした感じにもなるわけでございます。
この理屈は、忘れたときにも応用可能でございます。
つまり、受験生なら確実に憶えておかねばならないことをうっかりわすれてしまっていても、「今ここで自分の忘却ポイントを発見できたことで、本試験では確実に記憶を引き出せるようになった」といった風に考えた方が、記憶の乗りも違ってくることでありましょう。
ああ、忘れていると嘆き悲しんで徒労感に苛むよりも、よっぽど憶えは良くなるものでございます。
こんな問題を間違えるなんて!とか、こんなこと忘れなるなんて!といったように、テンションを下げるくらいなら、そこでぐっと踏みとどまって、前向きに解釈してできるようになれば済む話でございます。
いったん心のテンションが下がってしまいますと、元に戻るのに余計な手間がかかってしまいます。
ならば、落とさないことが大切でございます。
作り話というのはいくらでも、それこそ想像力いかんでいくらでも創出できるものでございます。
本試験で間違えず、今ここで間違ったんだからええんちゃう、くらいに楽観して考える方がうまく行くように思います。直前期以外は。
落ち込むことで心中のストレスが浄化されたり、新たな活力が得られるという人なら、それでよいのでございます。
しかし、わたしのようにいったん落ち込むとだらだら・うだうだとするようであれば、作り話でもってテンションが下がるのを阻止すべきかと存じます。
難しくはありますが、自分の性格なり思考の癖、心の傾向といったものにも、意をお払いくださればと存じます。

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フェレンギ人のバイブル10〜12

『10. 死んだ顧客は、生きている奴ほど買い物しない。』
フェレンギ人は道徳や死生観を語らない。
死んだ顧客とは、生死の意味での「死」ではなく、商売の意味での「死」である。
つまり、お金を落とさない、ほとんど来店しない、ほぼ一見の客のことをいう。
生きている奴とは、まさに逆の意味で、週に何度も来店し、お金を落としていく客のことである。
フェレンギ人は、買いもしない死んだ顧客に顧客層を絞らぬよう、注意を述べている。
商売において、顧客層の絞込みは実に重要である。
絞込みを間違うと商売・店はひどく傾くし、とてもとんちんかんなことになってしまう。
どの客層に絞っているか、その客層の絞込みでよいのか、どういう背景があったからその客層なのか、その客層に絞ることは正しいことなのか(他の客層は離れないのか)、よくよく考えるべきである。
たとえば、昨今では、観光地が外国人の誘致に一生懸命だが、呼び込みに一生懸命になった結果、従来の顧客層である日本人が離れてしまった温泉地・名所旧跡は、数限りなくある。
これこそ、まさに生きた顧客と、死んだ・または早晩に死に絶える顧客を取り違えた結果であろう。
最もダメというか、失敗しやすいのは、玉虫色の、全方位型の絞込みである。
それが可能なのは、巨大な売り場面積を誇り、膨大な商品を在庫として抱える体力があり、商品を管理できる情報システムを持った組織である。できる人・組織は、ほとんど数が限られる。
やはり、中小の資本では、顧客層を絞らざるを得ないもの。
商売においては、目の前の顧客が生きているのか、死んでいるのかを量った上で、ほんとうに生きた人たちに向かって門戸を開くべきである。
いくら大切に見える人でも・おいしく見える人でも、死んでいる人・死んだ人・死ぬ人だと買い物をしない。
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『11. ラチナム以外にも輝いて見えるものもある。』
ラチナム (latinum) とは、フェレンギ人が通貨として用いている物質(液体金属)のこと。
要するに、お金以外にも輝いて見えるものがある、お金だけがすべてではない、ということ。
お金はすべてではないが、お金は多くを担うものである。
お金があるから、わたしたちの社会システムは動いている。
月給とは我慢料と言う。お金がもらえるから我慢ができる。
お金があるから、流通システムは円滑に働く。
心の問題の解決も、多くはお金による。謝罪だけでは気が済まない生き物が我々である。
土下座をされたら赦せるのか?ってなわけ。
このように、お金がすべてではないが、お金があるから、そして、お金でしか解決できないのが、我々の社会の大半である。
また、フェレンギ人は、お金がすべてではない、などと言う人には要注意だと、言っているのであろう。
悪い人は、お金以外のものを、あちこちから照らしたり蛍光塗料を塗ったりして輝かせ見せるだろう。
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『12. 一度売れたものは、二度売れる。』
逆に言えば、1度も売れないものは、2個も3個も売れない、ということになる。
スター・アイドル・芸人・芸能人に、当てはまるように思える。
一度売り出しても売れなかった者、プッシュをされたが上にいけなかった者は、得てして、それ以後はダメである。
逆に、一度でも、時代の旋風なり注目を浴びた者なら、ちょこちょこと顔を出すことがある。
わたしの記憶では、「見栄晴」である。何の芸もないが、欽ちゃんファミリーで顔が売れたのか、今でもちょくちょく、雑誌等で顔を見る。一度売れたら二度三度売れるわけだ。
商品についても、この言は実によく当を得ているように思う。
一度も売れないもので棚をいっぱいにするな。
一度も売れないものを売ろうとするな。買わせるな。
二度三度売れるもので棚を占めよ。欲しがらせよ。欲しがらせることが売ることだ、ということだろうか?
また、こうともいえる。
一度売った商品は、それを買った人にもう一度買ってもらえる可能性が高い。
ポテチを買った人は、他のジャガイモ菓子を買うよりかは、やはり、馴染みとなったポテチを買うであろう。
人は習慣の生き物だから、一度買ったものをもう一度買う可能性は高い。
よほどのクズ品でない限り、買い続ける可能性がある。
自身のビールやジュースの買い方を振り返ってみれば、フェレンギ人のいうことが当っているのがわかる。

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