独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

三日坊主という現象

お勉強と深いつながりがありますのは、「飽き」でございます。
「継続」がお勉強の最大のコツならば、「飽き」は最大の敵である、ということができます。
しかし、人は、飽きる生き物でございます。
どんなにおいしいものでも、毎日1週間食べ続ければ、飽きてしまいます。
どんなに綺麗な人でも、3日も経てば10人並みになるものでございます。
毎日見ても、聞いても、飽きるどころか常に何か新しい発見があるものを、逸品と申します。
美術や音楽、工芸品の中でも、そう数があるわけでもありません。
人はどうしても飽きてしまうものなのでございます。
ですから、「飽き」をどうするかなのでございます。
まず釘を刺しておくのは、前提である「飽き」は必ず生じるという点でございます。
「飽き」なんて起きない、発生しないなどと、考えないようにしてくださればと存じます。
息をするのと同じくらいに、人は飽きるのでございます。飽きはいうなれば、生理現象と同じくらいに起きるのでございます。
ですから、「飽き」を無視して、お勉強を考えてはならないのでございます。
大体、お勉強が失敗する人の話しを聞いてみますと、「飽き」を全く無視して、計画を立てたり、お勉強を進めているのでございます。
毎日20ページやる、10問やる、なんてスローガンもどきは、人が飽きる生き物であることを完全に無視した言でありましょう。
わたくしなら、飽き性の自分を踏まえて、「10問・5問・0問・5問・10問する!」などと計画を練るかと存じます。
ちなみに、0問のところは、テキストを読んでみたりこれまでの復習をしたり、憶えるべき事を憶える記憶や暗記の作業の日です。
またのちなみに、10問→5問と減らすのは、同じだけやるとつまらないし、5問の日には10問分の復習もしなけばならないので、適切な量の確保の意味で減らしております。
ま、こんな風に、飽きを踏まえて考えていくわけでございます。
とはいえ、こんな風に変化をつけてやっていても、ドツボに嵌るが如くに、お勉強に飽きるときもございます。
そういうときは、お勉強のことを心から忘れて、リフレッシュする日に充てるようにしております。
飽きているときに無理をすると、更なるスランプに陥ることが多かったためでございます。
基本的に、三日坊主という現象は、意志の問題ではなく、やり方の問題であるように考える次第でございます。
わたしたちは機械ではありませんので、自身の身体と心の生理に従って物事を為すべきかと存じます。

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頭に血がのぼる

タイトルのままのお話でございます。
時折、全く読めなくなったり、解けなくなったり、書けなくなったりすることがあるかと存じます。
おかしいな、ついさっきまでは、スラスラできていたのにな、という思いを、味わったことがあるかと思います。
わたくしには、こういう現象がとみに多いものでありまして、昼過ぎともなれば、計算ミスはするわ、忘れ物はするわ、考えても名案は少しも湧かないわ、眠たいわ、メールの文章が1つも出てこず真っ白なことがよくあるのでございます。
それで、これではたまらんちん、というわけで、原因を探求していたのでありますが、体調不良や疲労は別にして、ある原因を見出したのでございます。
それが、本日のススメにある「頭に血」でございます。
できないときの自分をアレコレ思って見ますと、大概、頭がぽわぽわしていたり、ぼわぼわしているのでございます。
そのほか、頭がぼおっとなんとも空虚で白濁しているときや、非常に頭が重いときも、事が捗らないことを発見したのでございます。
これらこそが、頭に血がのぼった状態ではないか、というわけでございます。
脳というのは1番血液を必要とするところのようで、そういえば、考えに考えたり、読むに読んだり、解きに解いたりすると、だんだんと頭も重くなってくるものでございます。
それは即ち、頭の脳にどんどんと血液が入っていっているからこそ、その血流の分だけ、重くなるのではないかというわけでございます。
ロダンの考える人は頬杖をついていますし、考えるときというのは、机に肘をのせて頬杖付いて考えるのも、頭を使うと増加した血液分だけ、頭が重くなるからでは、と考え付いたのでございます。
頭のぽわぽわも、これまた、血流増加現象の1つではないかと、考えた次第でございます。
ですから、試しに、頭が重くなってきたり、ぽわぽわしたり、いくら考えても頭の中が真っ白のときは、一旦作業は中止して、他事をするようにした次第でございます。
大事なのは立ち上がって何かをすることかと存じます。座っていると、足の方に血が回らないからでございます。
その中でも、最も効果があったのが、散歩でございます。
30分ほど歩いて作業を再開すると、驚くほど進捗は上がりました。
そういえば、会議では少しも案が出ないのに、休憩の移動の際の立ち話でふと、打開案が出るのはよくあることでございます。
以上の事は、わたくし自身の頭への観察から引き出したものでありますので、お読みの皆さん全員に適うものではないかと思いますが、「頭の血」の観点から、作業の進み具合を見ていくと、意外なる改善につながるように思います。
結局、お勉強というのは、頭がよく動くときによく進むものであり、乳白色に濁った頭では、どれほど意思の力を用いても、進むのは遅々たるものになるかと考える次第でございます。
うまくいかない状態なら、その状態のままグダグダ続けるよりも、、さっと作業を切り替え何か他事をするなり身体を動かすなりして、再度、仕切りなおしたほうが、心身と進捗ともによいものがあるかと思います。
我が事ながら、意外に「頭の血」は、事の成否を握っているように思うのでございます。

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スピードアップはします

結論からいいますと、お勉強というのは多少、遅くてもよいというのが持論でございます。
といいますのも、やっていくうちに、問題を解くスピードなり、テキストを読む速さなりは、どんどん速くなってくるからでございます。
最初から序盤にかけては、もの凄く遅々たる歩みでございますが、ある程度、お勉強の方が進んで実力が備われば、自然と速くなって参ります。
テキストの読み込みにおきましても、問題集や過去問の演習におきましても、1回目よりも2回目、2回目よりも3回目の方が総じて速いものでございます。
やることをちゃんとやっていけば、必ず速くなって参ります。
というのも、やるべきポイントや見るべきポイントがわかってくるからでございます。
具体的には、テキストのどこを憶えればよいのか、何が問われるのか、よく問われる単元はどこか、出題される表やリストはどれか、しつこく聞かれた重要語句・用語は憶えているかなど、読んだり解いたりする上で大切な情報が把握されるために、否が応にも速くなって来るのでございます。
例えば、引越しで見知らぬ町に住むようになったときは、最初はよく知らない道でどこに行くのも時間がかかるものでございます。
しかし、だんだんと何がどこにあってどのくらいの距離があるかがわかってくるにつれて、移動時間は短くなるものでございます。
お勉強も、これと同様の事情にあるのでございます。
的確でポイントを絞ったお勉強をしていけば、自然とスピードは増すものであることを、意識の片隅にでも置いてくださればと存じます。
ですから、序盤や中盤にかけて、自身の歩みの遅さに戸惑ったり、遅いからといって焦ったり、不安になったりする必要はないのでございます。
また、意図的に、速くやろうと考えなくてもよいのでございます。
やることさえやっていれば、速くなっていくのですから、目の前のやるべきことや自分の課題を確実にこなしていくほうが、よほど、スピードアップに貢献するものでございます。
無駄に速くやろうとして杜撰な勉強になった結果、ますます実力が付かなかったというのは、失敗談の典型でございます。
ちなみにわたくしは、速くやろうと考えてお勉強をしたことはありません。最終的には速くなることを知っているからでございます。
逆にいえば、ある程度のお勉強をこなしているのに進みが遅い、といいますのは、単に実力が付いていない証でございます。
実力とは、否が応にも速さと比例するものでございます。
そこそこ勉強はしているが遅いという人は、自身のお勉強を内容をきちんと点検してみて、重要語句や用語を確実に憶えているかどうか、定義や条件などの試験で問われやすいものをおさえているかどうかを確かめることでございます。
問題集や過去問でも、1つ1つの選択肢にまで検討を加えているかどうか、これまた、確認でございます。
お勉強におきましては、意識的に速くする対策などは必要はありませんが、実際に速くなっていないのは、お勉強のどこぞに欠陥がある証でもございます。
速さの点から、お勉強の内実をお確かめくださればと存じます。
実力とともに速くなるわけでありまして、速くやれば実力が付くわけではないのでございます。

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