独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

何ページやるか

独学におきましては、行き当たりばったりのお勉強を、強く忌避するものでございます。
というのも、今日は5ページ、明日は15ページ、明後日はゼロ、明々後日は3ページなどと、変えていくと、お勉強が一定化せず、なかなか習慣とならないからでございます。
これが、裏に綿密な学習計画などがあったり、試験範囲に精通していて、ここはこの程度が限界、あそこはこのくらいでもできるといった、調整の後でのページ数なら結構至極なのでございます。
そのまま続けても、まったく支障はないかと存じます。
しかし、背景に何もなく、ただ適当なページ数を進めるような泥縄のお勉強をしているのなら、考えをお改めくださるよう、ご助言する次第でございます。
正直、そういうやり方の方が、面倒くさいのでございます。
まず、テキストならテキストの、問題集なら問題集のページ数から数えるべきでございます。
そして、章ごとに単元ごとに、どれだけのページ数が割かれているかをも、数えるべきでございます。
そうすれば、何を何日でやるには、何ページずつやればいいか、ということに目算がつくのでございます。
おそらく、毎日のお勉強が一定化していない方は、これから何をするのかへの見当が、まったく付いていないかと存じます。
日々のお勉強が、どういう計画のもとで、どういう意図のために行われているかですら、把握してもいないでしょう。
ページ数を数え、何がどれだけあるのか、もくじにメモなりでもすれば、実感が湧いてくるように存じます。
1章が25ページあって、今週中にやり終えたいのなら、残り日数で25ページを割ればよいだけの話。
あと4日あるのなら、1日あたり6ページ強と相なるかと存じます。
何にも考えずに5ページやるのと、または、何の意識もなく10ページやるのとでは、「6ページ」の方が圧倒的にやりやすくなるかと存じます。
それは、明白な終わりがあることを知っていての、「6ページ」だからでございます。
これだけやればこの章は終わると思ってのお勉強と、先のことを何も知らずやるお勉強、適当に進めて気付いたら章が終わるといった見通しの薄いお勉強とでは、やはり、前者の方がやる気の維持が簡単なのでございます。
何となくお勉強が続かない方は、まず、何ページ進めるかを明白に知るために、数を数えることから着手くださればと存じます。
また、ページ数を数えていくうちに、ぼんやりと試験の全体像を見えてくるかと存じます。
正体不明の敵と戦うよりかは、対戦相手がはっきりしている方が、よっぽど戦いやすいことでありましょう。
今日明日にでも構わないので、数を数えていない方は、もくじの内で数えられるものは手あたり次第に数えて、余白にでもメモしてくださればと存じます。
なお、それら細かな数字は、中盤から終盤にかけて役に立つ指標にもなります。今のうちに済ませておいてください。
数を数えるなど、幼稚園の年長組か小学生の低学年だけがやることではありません。
大人にでも有用な手段なのでございます。地味な作業を無駄とは思わず、お数え下さればと存じます。

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積もり積もらせて

わたくしたちの努力というのは、目に見えないほど小さいものでございます。
しかしながら、それらはいくら小さくても、厳然としてあるものでございます。
努力をイメージするのには、キレイ好きな皆様の部屋の片隅にございます、綿ボコリを思い浮かべれば良いかと存じます。
あの綿ボコリには、それそこ何千何百もの、小さなホコリから為ってございます。
真っ暗な部屋に、1条の光が差し込みますと、目には見えなかったホコリを見ることができます。
十分な光度があるときには見えませんが、ホコリというのは、席を立っただけで、歩いただけで、もくもくと部屋のなかにたゆったているのでございます。
ただ、わたくしたちの肉眼では、そこにあるはずのホコリを見えないだけなのでございます。
綿ボコリとは、見えないホコリが積もりに積もって、ようやく、視覚できるに足る大きさとなった次第でございます。
努力というのもまた、かくの如きものでございます。
わたくしたちは、そのときそのとき、その瞬間で成長なりを実感できないのでございます。
日々の勉強では、おそらくは「できた!」という感じを抱かないかと存じます。
わたくし自身、今日の勉強でレベルが上がったぞ!みたいな体験をしたことがありません。
しかし、ある程度の時間が経ってから振り返ってみますと、明らかにできるように、何かしらの成長を実感できるのでございます。
もちろん、継続が前提でございますが、できた実感はないけれども、できるようになっていくのが、わたくしたちなのでございます。
日々の努力といいますのは、まさに、ホコリのようなものであるとお考えくださればと存じます。
努力といいますのは、すぐに形になるものでもありませんし、自力で形付けることができるものでもないのでございます。
続けていたら形になっていた、というのが、最もしっくり来るかと存じます。
ホコリを集めて綿ボコリを自作は出来ませんが、ほっておいて時間が経過すれば自然とできていたのと、非常によく似ているものでございます。
こつこつ、地道になどと申しますと、かび臭い処世訓ではありますが、確実に為す方法であるといえるかと存じます。
素早く、速く、効率的に「綿ボコリ」を作ることはできるでしょうが、どこかいびつで脆いのも事実でございます。
また、人によって、作れるか否かは大きく分けられることでしょう。
それよりも、やることをやり続け、自然と為るように仕向けた方が、結果が確かである以上、賢明ではないかと考える次第でございます。
努力とは積もりに積もらせて用いるもの、できあがるものであることに意をお払いくださればと存じます。
さすれば、むやみやたらに焦ることもなくなるかと思います。

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積もり積もらせず

独学で大切なことは、自身のストレスや不安を、きちんと発散していくことでございます。
独学で挑戦したが、1ヶ月と続かなかった、と告白してくれた方がおりました。
原因を聞いてみると、はっきりしたものがないのでございます。
何だか途中から「イヤ」になった、というのが、理由らしい理由でございます。
しかし、単純なようで、この「イヤ」という言葉は、実に強い言葉でございます。
とても多くの理由、感情、理屈、理論、論理、言い訳その他が凝縮されたのが、「イヤ」でございます。
ちなみに、この「イヤ」は、しつこいセールスを断るのに、「イヤ」は最適な言でございます。
「○○の未公開株を買いませんか?」とか、「証拠金取引はいかがでしょうか?」とか、「投資用マンションはいりませんか?」などと電話がしつこくかかってくるようなら、実に効を奏すかと存じます。
説得の多くは、理に訴えかけるものでございます。おトクですよ、とか、便利ですよ、とか、言われるものでございます。
わたくしたちはそういわれると、理で抵抗しようとします。お金がありませんから、今ので十分ですから、利回りが合いません、などなどでございます。
しかし、相手は何十何百と経験を積んだ猛者でございます。また、その理を上回る理をもって、交渉に持ってきます。税金がお安くなります、もっと節約できます、年利10%はカタイ、などと。
大人になりますと、「イヤ」とはなかなか子供じみていえないものでございます。しかし、だからこそ、強いのでございます。
畳み掛けるように質問されても、一言、イヤです、というと、相手はどうにもならないのでございます。
「各種施設が格安で利用でき、映画やコンサートのチケットも3割引に、指定ゴルフ場・温泉旅館は4割引になる××会員権はいかがでしょうか?」に、「イヤです」と答えると、そこで相手はぐっと詰まるのでございます。
イヤという言葉は、感情に由来するものであって、理ではないからでございます。相手は、どうにも攻められなくなるのでございます。
イヤです。イヤだからいいです。イヤなのでイヤです。
こんな風に言うと、おそらく百戦錬磨のセール人も、撤収を始めるかと存じます。
腕のあるセールス人ほど、時間を無駄にしません。まったく見込みがないことを悟れば、すっとパンフだけを置いて帰るなりすることでしょう。
ぐだぐだとセールされる時は、「すいません、もうイヤなのでいりません」とでもいえば、そこで大半の売りトークは終わることでしょう。
ま、このように「イヤ」には、大変強いパワーがあるのでございます。
これは、お勉強についても同様でございます。「イヤ」にまで、自身を追い込んではならないのでございます。
日々沸き起こる不安やストレスは、適度に解消しなければならないのでございます。
それらが心に巣くい出すと、お勉強の成果は少なくなるうえ、やる気の維持も一苦労となります。
そして悪いことに、それらが、積もりに積もった不安は恐怖を呼び起こし、ストレスをマックシングにまで押し上げます。
こうなると、試験勉強が「イヤ」なものにならざるを得ないのでございます。
いったん「イヤ」になりますと、そのパワー故に、正すのが難しくなってしまいます。
ですから、そこまで行かないように、散歩やお茶や、体操やストレッチや、飲食や酒、スポーツやら趣味やらで、不安とストレスを発散させるのでございます。
病気になると治すのが大変だが、病気になる前に適切な処置をするのは簡単なのと同様の理屈でございます。
「イヤ」になる前に手を打つのが、独学でございます。

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