| カテゴリー: 過去のススメ |
お勉強におきましては、忘れること・できなくなることは日常茶飯事でございます。
読めていたところが読めなくなる、解けていたところが解けなくなる、やったはずなのに少しも記憶に残っていない、こうしたことも、本当によくあることでございます。
こうしたことは、お勉強をする者であれば、自然現象なものでありまして、誰だって経験するものでございます。
合格者となった人だって、受験生の当時は、わたくしたちと同じように忘れてはがっかりして、できなくなっているのを知っては冷や汗をかいてきたものでございます。
ですから、多少のできないや忘れたが発生したとしても、それほど気にせず、落ち込まずに、お勉強を再開してくださればと存じます。
しかし、頭ではそうわかっていても、ときにどーーんと奈落に落ちることもございます。
疲れていたり、体力が低下していたり、プライベートがうまくいかず、何と言いましょうか精神障壁が脆くなっているときだと、普段なら笑って済ませるような「できない・忘れた」が、ぐさりと心に突き刺さることもございます。
こうした際は、勝手な作り話で結構でございます。うまく自分を騙すことが肝要かと存じます。
よくある作り話としては、今ここで間違えたのは、本試験にて間違わないためである、という理屈でございます。
つまり、本試験なら間違えてしまったであろうことを、なんと『幸運』なことに、今この時に先取りした、という塩梅でございます。
今ここでその間違いの所在を知り、対策を練りさえすれば、本試験では間違えず、失点を阻止できるというわけでございます。
同じ間違えたでも、こんな風に考えてみれば、少しは得をした感じにもなるわけでございます。
この理屈は、忘れたときにも応用可能でございます。
つまり、受験生なら確実に憶えておかねばならないことをうっかりわすれてしまっていても、「今ここで自分の忘却ポイントを発見できたことで、本試験では確実に記憶を引き出せるようになった」といった風に考えた方が、記憶の乗りも違ってくることでありましょう。
ああ、忘れていると嘆き悲しんで徒労感に苛むよりも、よっぽど憶えは良くなるものでございます。
こんな問題を間違えるなんて!とか、こんなこと忘れなるなんて!といったように、テンションを下げるくらいなら、そこでぐっと踏みとどまって、前向きに解釈してできるようになれば済む話でございます。
いったん心のテンションが下がってしまいますと、元に戻るのに余計な手間がかかってしまいます。
ならば、落とさないことが大切でございます。
作り話というのはいくらでも、それこそ想像力いかんでいくらでも創出できるものでございます。
本試験で間違えず、今ここで間違ったんだからええんちゃう、くらいに楽観して考える方がうまく行くように思います。直前期以外は。
落ち込むことで心中のストレスが浄化されたり、新たな活力が得られるという人なら、それでよいのでございます。
しかし、わたしのようにいったん落ち込むとだらだら・うだうだとするようであれば、作り話でもってテンションが下がるのを阻止すべきかと存じます。
難しくはありますが、自分の性格なり思考の癖、心の傾向といったものにも、意をお払いくださればと存じます。
意味なく
2010年8月30日 5:05 PM
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