独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

時間への意識をば

独学におきましては、焦らないことが大切でございます。
ほんとうに、急がば回れというのは名言でありまして、急ぐあまり目的地もはっきりしていないのに走り出すよりかは、その場でぐるぐる回っていた方が、最終的には、早く着くのでございます。
時間が惜しいから、もったいないから焦るわけですが、お勉強におきましては、この焦りが逆に問題の解決の障害になっていることもございます。
この点、くれぐれも勘違いなさらないようにして欲しく思います。
早くやろうとしたことが、逆に遅くしたなんてことは、ほんとうにありふれた事象でございます。
さて、でございます。
急ぐな、焦るながモットーの独学ではありますが、だからといって、ノロノロとしておけばよい、というわけではありません。
独学の基本は、「テキパキ手早く」でもあるのでございます。
すぐできることならば、そのとき、その瞬間に、その5分か10分、15分でやってしまうのが独学でございます。
すぐに済むこと、たとえば、語句や用語の意味のチェックや、不安に思っているところの読み直しなどは、ほんの5分、お湯を沸かすくらいの時間があればできてしまいます。
グダグダと長引かせると、その分だけ、気持ち悪さが残ります。
そういう気分になることのほうが、損でございます。
ですから、躊躇せず、さっさとやってしまうのでございます。
独学の時間といいますのは、一定ではないのでございます。
できるならすぐにやる、できないなら先送り、ひどくできないのであれば、日々に小分けして対策を取っていきます。
重要ならすぐにやり、重要でないことは空いた時間にやる、といった塩梅でございます。
独学の時間というのは、高速でもあり低速でもあり、ゆっくりでもあれば素早くでもあるのでございます。
非常に幅があると申しますか、やるべきことはじっくり、それこそ1週間以上の時間をかけますが、どうってことないそれほどのものではないのは、ざっと見ただけで済ませてしまうのでございます。
事毎に、緩急をつけるわけでございます。
難しいことや苦手なことは、時間をかけてやらないと悪化する一方でございます。
ささっと短時間で終わらせようとすればするほど、事態は悪化するものでございます。
ですから、ゆっくり、焦らず、長期的な観点からやっていくのでございます。
逆に簡単なことや、できていること、それほど重要でないことに多くの時間を割いても、やる気は湧きませんし、かったるいだけでございます。
そのままゆっくりを続けると、余計に疲れてまいります。ですから、ぱぱっと手早くやっていくわけでございます。
自分にしっくり来る時間の使い方を憶えますと、非常に気持ちよく進んで参ります。
時間への意識をちょっぴりでもお持ちくだされば、また、既にお持ちの方は、より洗練してくださればと存じます。

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試験勉強中の今だから

独学では、勘違いしてはならないことがございます。
間違えてならないのは、唯一、本試験のその時でございます。
それか、模試や本試験に準じた大規模なテストのときのみ、なのでございます。
ほんとうの意味で、間違えてはならないのはごくわずか、数えるくらいしかないのでございます。
ですから、日々のお勉強では、間違えたり忘れたりしても構わないのでございます。
毎日のお勉強においては、ミスや忘却を気にする以上に、どうしてそれらが起こったのかを特定し、原因を究明し、今後2度と起こらないようにすることが肝要なのでございます。
反省だけならサルでもできる、と申します。
悔やむだけなら、誰でもできるのでございます。
大切かつ重要なことは、間違いを認め受け入れ、今後そうしないようにする事でございます。
この点は、これぐれも勘違いをなさらないようにしてくださればと存じます。
ところで、悔やむくらいでありますから、日々のお勉強にて、自分の過ちや間違い、ミスや忘却を見つけるにつれて、おそらく、心の中にはどす黒いものが沸き出るかと存じます。
しかしながら、それらをある一定のところで抑えて、エネルギーの矛先を前向きに転換することも大事でございます。
心のバランスとをとるというか、目の前の衝撃に耐えるというか、いなすというか、そういう練習も、日々のお勉強のなかでやっておくべきなのでございます。
というのも、本試験になればなるほど、落ち着くことが重要になるからでございます。
本試験では、必ずこれまでに見聞きもしたことのない新しい問題や、難問奇問珍問の類に遭遇することとなります。
もちろんのこと、これらの問題は、早々に解くことができませんから、問題文を読んだ途端、(なんだこりゃ!)とショック状態になるのでございます。
本試験というときに、いちいち見知らぬ問題と遭遇するたびにショックを受けていれば、合格などできたものではありません。
ですから、多少のショックには動じないようにする練習を、日々のお勉強からしておかねばならないのでございます。
その練習のよき材料となるのが、日々のお勉強でのわからない・できない・忘れたことなのでございます。
多少のことでは動じない練習と、また、たとえ動じたとしても、すっと落ち着けるように練習しておいて欲しく存じます。
人間は慣れの生き物ですので、できないことなどを何度も経験しておきますと、その分だけ、図太くなると申しますか、腰に粘りが出るといいますか、逆境に強くなるものでございます。
(こんなこと、幾らでもあったわい。何とななるべさ!)といった塩梅でございます。
日々のお勉強で不可避的に遭遇する、わからない・できない・忘れた事を、返す刀で自分の肥やしにしてくださればと存じます。
失敗や間違いは成功のもと、といいますが、わたくしには、やはりそのように実感する次第でございます。
時と場所さえ間違わねば、失敗や間違いは妙薬なのでございます。

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フェレンギ人のバイブル13〜15

『13. する価値がある全てのことは、金のためになる。』
どういう背景で語られたのかは知らないが、個人的には、「常に見なければならないこと」と考える。
常に見るとは、先入観や手垢の付いた価値判断に縛られたり邪魔されたりすることなく、フラット且つ平静に、物事を目の中に入れていかねばならない、ということだ。
この言のうち、ひっかかるのは、「する価値」という部分である。
即断に価値のある・なしを決めてしまったために、儲け損なったということは多々ある。
こんなもの!と思っていたら、意外に売れていた、なんてことは世に溢れている。
こんなの長く続くか!と思っていたら、予想以上に長く売れ続けている、なんてことは多々ある。
たとえば、「お茶」で、緑茶や麦茶が自販機で売れるかと一蹴されたいたら、今では飲料水販売の堂々たる一角を担っている。
「する価値がある全てのこと」を、いかに自身の血肉とできるか、意識の範疇に入れるかが、「金」になるかどうかの最も基本的なことであるように思った。
価値がない、ムダ、と言われていたものが、既存の市場を奪って今では堂々たる市場を築く。
インターネットは以前、便所の落書きやら無編集テキストのだだ漏れ、などと揶揄されていた。
もう、こんなことをいう人はいないだろう。
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『14. 盗品は、100%利益になる。』
窃盗は100%利益になる、でないところがミソである。
窃盗という行為と、盗品という物の分類名では、天と地ほど違う。
お金も洗えばきれいになるように、盗品も洗えばきれいになる。
盗品を扱っても、善意の第三者ともなりうるのだ。
しかし、盗品を扱うのは、まず、盗ませるためのコスト、盗人の維持・管理のコスト、秘密の流通コスト、ロンダリングのためのコストがかかるから、盗品が100%利益になるとはいえない。
盗品とわかれば、買い手に買い叩かれる。
なら、何を以って「盗品は100%の利益となる」と言い切るのだろうか。
当たり前だが、自分で盗めば逮捕のリスクがあるから、拘留・懲役の時間だけ、いうなれば時間給を損する。
技術ややり方を盗むのは、こんなもの当たり前のことであって、わざわざ盗品というに及ばない。
まさかフェレンギ人が、傘や自転車を盗んだり、万引き程度のものを言っているのではあるまい。
おいら的には、盗品販売はよほどの人的・物的システムを作り上げないと、100%の利益にならないと思う。
逆に、盗品が100%利益になる程のシステムを作った者だけが、盗品から利益を上げられるというのだろうか。
どうしてそう言えるのか、フェレンギ人に質してみたい。
要研究事項。
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『15. 利口者は馬鹿なふりをする。』
小利口な者では、まだまだ、馬鹿なふりができない、ということ。
おちゃらけてひょうきんな人が、いざとなったら氷のような理性と莫大な見識を持っていることは多々ある。
利口な人は、利口な風に・頭がよい風に見せることもできるし、馬鹿なふり、何もしらないふりもできるというわけである。
もし、馬鹿なふりができないのであれば、未だ利口ではない、ということなのだ。
頭がよいといわれたら、それはまだまだ利口ではないということ。
アホだね、馬鹿だねといわれるようになって、利口の序の口となる。
目的を達するのが頭のよさであるなら、相手の財布を紐を緩めるには、どうしたらいいか、なのである。
したり顔をした店員・見下すような雰囲気の人間に、人は好意をもつだろうか、財布の紐を緩めるだろうか。

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