本試験などが近づきますと、自信について語られたりするものございます。
しかし、この自信でございますが、あればよい、という代物ではないことを、指摘しておきたく存じます。
有体に言えば、自信があり過ぎても困る、のでございます。
わたくし自身が思い返すに、最もしんどい思いをしたのが、まさに、自信のあるところだったからでございます。
自信の無いところというのは、まるでトゲのように、ちくちくと心を刺すものではあります。
気分のよいものではありませんが、テキストの集中的な読み込みや、徹底した集中演習など、ある程度の対処なり対策を取っていけば、自然と解消するものでございます。
自信がなくてアウトとなるのは、全く手付かずのまま、その自信の無いところを放置した場合でありまして、そらまあ、ダメでしょという次第でございます。
自信がなくても、相応の努力と注意を払ってきたならば、多少自信がなくても大丈夫であることを、指摘しておきたく存じます。
これに対しまして、自信のあるところといいますのは、当の本人ができると思っておりますから、それほど省みられこないことが多く、かなり手薄となっているのでございます。
そのため、考え違いや憶え間違い、理解不足や記憶不足が、そっくりそのままになっていることがあるのでございます。
そして、まだマシなケースでは、模試のときにできない事に気付いて愕然としたり、最悪なケースでは、本試験の最も大事なときに、自信のできなさを発見してしまうのでございます。
硬いものほど壊れやすい、柔らかいものは壊れにくい、とよく申しますが、自信にはピッタリな言であるかと存じます。
試験勉強の全体が、ガラガラっと、グラグラっとするのは、自信のあるところ・自信のあったところからなのでございます。
本当に、弱い不安のあるところからではなくて、強いはずの自信のあるところから、挫折や放棄が始まるのでございます。
自信のあるところができてないことが判明したしますと、その他のところもできないのではないかと、自信喪失の波が、それ以外のところにも連鎖していくのでございます。
疑心暗鬼となって、心は重く、気は晴れず、本当に困ったこととなるのでございます。
思いますに、自信といいますものは、?調子が落ちていっているときで、?その落下振りを阻止することができず、?このまま行けば深みにはまりそうな予感があるときに、「自信」云々を考えるべきでございます。
こうしたときに、「自信を持とう」と活を入れて、これまでやってきたことを信じれば、だいぶ、気持ちも治まってきますので、効果的であるかと存じます。
自信といいますのは、その字の如く、信じるということでありますので、理屈を超えているのでございます。
人生におきましても、根拠もクソもなく、信じなければならないときが、時たまあるものでございます。
それがたまたま、試験勉強のときに起きたのでございます。
こうしたやばそうなときこそ、自信の出番でありまして、それ以外の、普通のときや何とかなっているとき、況や好調のときなどは、自信云々は考えずとも良いかと存じます。
それ以上に、そんな時間や余分なエネルギーがあるなら、テキストの1ページ目か読み直すなり、索引で知らない単語や語句がないかをチェックした方が、よっぽど合格に資するものがあるかと存じます。
古今の例を引くまでもなく、自信過多が崩壊の始まりとなった、組織なり企業なり個人なりは、多々ございます。
自信はあり過ぎても厄介なものということを、改めてご認識くださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年9月22日 9:42 AM |
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人生の至福といいますのは、お買い物でございます。
このケチなわたくしですら、買い物袋を2個も3個も、それ以上を持つのは、それほど不愉快なことではありません。
買い物したなあ、という日は、なかなかに気持ちのよいものなのでございます。
しかし、あまりに多岐に、日用品から食料品、パソコンパーツから服、靴まで買いますと、持ち方にも意を払わねばなりません。
柔らかい食べ物袋の近くに硬いものを入れた袋を持たないといった按配でございます。
宰領するものが増えれば増えるほど、分けたり整理したりして、荷物を整理しなくてはならないわけでございます。
お勉強につきましても、同様でございます。
あまりにやることが多くて、てんてこ舞いというときは、やはり、やるべき対象を整理しなくてはなりません。
AもBもCもDも、ついでにEもある、あ、Fも見直しておかないと、てな感じに、ごちゃごちゃになってきたら、ひとまず、そこでストップでございます。
まあ、とりあえずは、重要度の順にまとめます。
この前の問題演習でできなかったAとCは1番最初に、次はEをして、BDはぶっちゃけやらなくてもいいてな感じでわけていきます。
これだけでも、何をすべきか、きっちりと心に映えるのではないかと存じます。
あるいは、難易度順にまとめるのもよいかと存じます。
簡単な順・できそうな順でも構いませんし、難しい順番にするのもようございます。
気分の乗らないときは簡単なものからで、または、のびのびに・先送りに先送りされた事項があるのであれば、難しい順にして、いのいちに消化してゆけば良いかと存じます。
それか、時間のかかる順もようございます。
時間のかかるものが後に控えていると、それだけで気重になるものでございます。
ですから、先にかかるものをやってしまって、勢いをつけるといった塩梅でございます。
また、逆の、すぐ終わるものを先頭に持ってくるのもようございます。
ぱぱっと2個か3個済ませて、これまた、勢いをつけるといった次第でございます。
そのほか、機械的にするのもようございます。
やるべきことを紙に書き出して、そっくりそのまま、なんの考えもなく、ブルドーザー並みの力技にて紙の上の個々を消化して行くのも、手っ取り早くて単純でようございます。
紙に書き出したものを、あいうえお順やABC順にソートして、粛々と消化していくのもよろしいでしょう。
物事をいいますのは、やる順番を変えることで、かなりやり易くなったり、やりにくくなったりするものでございます。
やるべきことにたくさん囲まれている際は、上記のような手を加えてお取り組みくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年9月21日 10:24 AM |
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『19. 昇進の直後にあまりすぐ休んではならない。』
任命権者の気持ちになってみる。
昇進したということは、そっくりそのまま、任命権者の期待の裏返しでもある。
まあ、この中の奴でまともなのはこいつかな、程度の気分だったかもしれないが、それでも、選抜されたわけである。
彼らの期待感というのは、任命して着任したときが最も高い。
なぜなら、その任命がうまく行くかどうか、とても不安であるからだ。
だからこそ、一挙一投足を観察するのである。
どこに目があるかわからない。視線はよくよく注がれているといってもよい。
任命権者自身は、おそらく見ない。けれども、目の端の方で必ず見ている。
片思いの人をそれとなく窺うような感じで、見ている。
または、腹心の報告待ちかも知れないし、監視役のチェック待ちかも知れぬ、そのまま部下に探りを入れてくることもある。
着任直後の最低でも半年は、一生懸命、勤務に励むように、「振り」でもいいからしなくてはならないのである。
しかし、気分というのはすぐに薄れるものである。
ずうっーとハイテンション・高緊張で仕事をする必要もないわけで、任命権者の関心が薄れるのを待って、のんびり自分のペースで進めるがよいように考えるのである。
逆を言えば、それまでは、任命権者の意に適う「ペース」「人物」を演じて、安心させるべきなのである。
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『20. 顧客が汗をかいている時には、暖房を回せ。 』
場面は、穏当に冬であろう。夏に暖房を回すわけはない。
フェレンギ人のNo.20の言を読んで、頭に思い浮かんだのは、もの凄く暖房を効かせている店のことである。
その店は、知ってか知らずしてか、冬なのに汗をかくくらいに暖房を効かせている。
わかる範囲で考えてみるなら、寒々としたところでは、我々の財布は閉じるばかり、ということである。
薄暗い蛍光灯、効いていない暖房、つまらなさそうに立っているアルバイトの店員がいるところで、我々は気持ちよくお金を使うだろうか。
おそらく、最低限必要なものを買ったなら、そそくさと、滞店時間は3分以内で、退店するであろう。
我々は、目的で買い物をするというより、気分で買い物をする生き物である。
もちろんのこと、取り扱いの商品がダメなら、幾ら暖房を効かせてもダメではあるが、商品が相応で値段も穏当なものなら、買い物の環境がよければよいほど、アレコレと買ってしまうものである。
自分がどういうときに買い物をしたか、それも気持ちよく出来たかを考えてみれば、店内の「暖かさ」というのは、くつろぎを生み、ほっと一息つかせ、気持ちをほぐす、極めて効果の大きい演出のように思えるのである。
手垢の付いた喩えであるが、北風と太陽は、そのあたりの人間の機微・心理・体質を物語っているように思う。
商品がよく値段も相応なのに客足や客単価が伸びないのなら、店内温度に意を払う、または、空間全体に寒いところがないかを確かめても損はない。
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『21. 友情を金儲けに優先してはいけない。』
友達関係を、金儲けの関係にもってきてはならない。
または、友人関係は、金儲けの関係にはならない、発展しないということか。
確かにそうなのだ。
金儲けというのは、能力によって司られている。だから、無能な者には、それなりの仕事しか割いてはならないのである。
実力の多寡によってポストを決めなくてはならないが、友情が絡むと、適材適所がうまく機能しなくなるのである。
友情とはいえ、桃園の誓いのような、お互いのためなら死ぬ義兄弟の契りならまだしも、友情は単に友情である。
友人の恋人を取り合ったなんて、腐るほどある話である。
親兄弟子供を取り合ったなんて話は、ほとんどない。
友情とは、愛情未満、仲良し以上のものでしかないのである。
その程度の情であることを、胸に刻んでおくべきである。
会社は、その構成員の能力の大きさ分しか伸びない。
それが、友情が絡むと、才能がないのに、付き合いが長いからと言う理由で、重要なポストに就けてしまう。
大企業ともなればまあ、まだ、組織自体が固まっていて人材も多いから、多少の能力のなさも補えるが、
中小となればそうはいかない。
後々に、実に致命的な影響を及ぼす。おそらく、そこから組織は腐りだすだろう。
武士の嘘は武略と言う。金儲けにおいては、友情を犠牲にしても構わない。
しかしながら、愛情の方については、よくよく考える必要がある。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2010年9月17日 10:27 AM |
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