独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

フェレンギ人のバイブル19〜21

『19. 昇進の直後にあまりすぐ休んではならない。』
任命権者の気持ちになってみる。
昇進したということは、そっくりそのまま、任命権者の期待の裏返しでもある。
まあ、この中の奴でまともなのはこいつかな、程度の気分だったかもしれないが、それでも、選抜されたわけである。
彼らの期待感というのは、任命して着任したときが最も高い。
なぜなら、その任命がうまく行くかどうか、とても不安であるからだ。
だからこそ、一挙一投足を観察するのである。
どこに目があるかわからない。視線はよくよく注がれているといってもよい。
任命権者自身は、おそらく見ない。けれども、目の端の方で必ず見ている。
片思いの人をそれとなく窺うような感じで、見ている。
または、腹心の報告待ちかも知れないし、監視役のチェック待ちかも知れぬ、そのまま部下に探りを入れてくることもある。
着任直後の最低でも半年は、一生懸命、勤務に励むように、「振り」でもいいからしなくてはならないのである。
しかし、気分というのはすぐに薄れるものである。
ずうっーとハイテンション・高緊張で仕事をする必要もないわけで、任命権者の関心が薄れるのを待って、のんびり自分のペースで進めるがよいように考えるのである。
逆を言えば、それまでは、任命権者の意に適う「ペース」「人物」を演じて、安心させるべきなのである。
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『20. 顧客が汗をかいている時には、暖房を回せ。 』
場面は、穏当に冬であろう。夏に暖房を回すわけはない。
フェレンギ人のNo.20の言を読んで、頭に思い浮かんだのは、もの凄く暖房を効かせている店のことである。
その店は、知ってか知らずしてか、冬なのに汗をかくくらいに暖房を効かせている。
わかる範囲で考えてみるなら、寒々としたところでは、我々の財布は閉じるばかり、ということである。
薄暗い蛍光灯、効いていない暖房、つまらなさそうに立っているアルバイトの店員がいるところで、我々は気持ちよくお金を使うだろうか。
おそらく、最低限必要なものを買ったなら、そそくさと、滞店時間は3分以内で、退店するであろう。
我々は、目的で買い物をするというより、気分で買い物をする生き物である。
もちろんのこと、取り扱いの商品がダメなら、幾ら暖房を効かせてもダメではあるが、商品が相応で値段も穏当なものなら、買い物の環境がよければよいほど、アレコレと買ってしまうものである。
自分がどういうときに買い物をしたか、それも気持ちよく出来たかを考えてみれば、店内の「暖かさ」というのは、くつろぎを生み、ほっと一息つかせ、気持ちをほぐす、極めて効果の大きい演出のように思えるのである。
手垢の付いた喩えであるが、北風と太陽は、そのあたりの人間の機微・心理・体質を物語っているように思う。
商品がよく値段も相応なのに客足や客単価が伸びないのなら、店内温度に意を払う、または、空間全体に寒いところがないかを確かめても損はない。
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『21. 友情を金儲けに優先してはいけない。』
友達関係を、金儲けの関係にもってきてはならない。
または、友人関係は、金儲けの関係にはならない、発展しないということか。
確かにそうなのだ。
金儲けというのは、能力によって司られている。だから、無能な者には、それなりの仕事しか割いてはならないのである。
実力の多寡によってポストを決めなくてはならないが、友情が絡むと、適材適所がうまく機能しなくなるのである。
友情とはいえ、桃園の誓いのような、お互いのためなら死ぬ義兄弟の契りならまだしも、友情は単に友情である。
友人の恋人を取り合ったなんて、腐るほどある話である。
親兄弟子供を取り合ったなんて話は、ほとんどない。
友情とは、愛情未満、仲良し以上のものでしかないのである。
その程度の情であることを、胸に刻んでおくべきである。
会社は、その構成員の能力の大きさ分しか伸びない。
それが、友情が絡むと、才能がないのに、付き合いが長いからと言う理由で、重要なポストに就けてしまう。
大企業ともなればまあ、まだ、組織自体が固まっていて人材も多いから、多少の能力のなさも補えるが、
中小となればそうはいかない。
後々に、実に致命的な影響を及ぼす。おそらく、そこから組織は腐りだすだろう。
武士の嘘は武略と言う。金儲けにおいては、友情を犠牲にしても構わない。
しかしながら、愛情の方については、よくよく考える必要がある。

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紅茶+トウガラシ

以前、当ススメにて、「紅茶+塩+しょうが」という雑文を述べさせていただきました。
紅茶に塩としょうがをいれると、風味が漢方チックになって、夏の暑い最中では意外に飲める、思いのほかいける、という内容でございました。
このしょうが紅茶、女性には不評でしたが、得てして男性には好評でありました。
こういう飲み方があるのかと、意外に好意的に受け入れられた次第でございます。
女性に不評だったのは、おそらく、紅茶のイメージを崩すためかと存じます。
紅茶と言うエレガントな飲み物に、しょうが焼きやうどんの薬味に使うしょうがを入れる、コンロ近くにある調味料の塩を入れるのが、ゆるせないと申しますか、イヤだったのでありましょう。
しょうが紅茶は、湯飲みでも飲めるものでして、実にジジ臭いものがございます故に、数万もしたお気に入りのカップに、外道の飲み物を注ぐなんて、本当にアレでアレかと存じます。
ま、健康には良さそうでありますので、これも1つの飲み方として、風邪を引いたときなど、お試しにやってみてくださればと存じます。
しょうがの発汗作用と塩のミネラル補給、紅茶の清涼感が、風邪には実に相性がよいように思います。
さて、今回も、女性からは不評を買いそうな紅茶の飲み方をご紹介したく存じます。
それは、タイトルそのままで、紅茶にトウガラシを入れて飲む、という飲み方でございます。
要領は簡単でございます。ティーポットに茶葉を入れて、そこに鷹の爪なり、乾燥したトウガラシを少量、入れるのでございます。
ポットに入れる代わりに、カップの方に少々のトウガラシを入れておくのもようございます。
そして、3分経てば飲む、と言った次第でございます。なお、あまり時間がたちますと辛くなり過ぎますので、この点、注意かと存じます。
このトウガラシ紅茶の利点は、発汗でございます。一口飲めば、じっとりと汗をかきだします。
そして、トウガラシの内臓への刺激でございます。何とも、すっきりするといいますか、しゃんとするのでございます。ぼおっとしていても、心の底から、目が覚めます。
紅茶自体のカフェインと相成って、目も身体も意識も、一段と明瞭になるように思います。
飲んだ後、何ともすがすがしくなるので、是非、お試しをばくださればと存じます。
さて、このトウガラシ紅茶ですが、砂糖は合いません。トウガラシの辛味で、砂糖の甘みはほとんど感じられなくなります。変な味になるので、お勧めできません。
塩を入れると、なんかスープ風になってしまい、これまた、一味足らなくなるといいますか、お勧めができません。たまねぎかトマトがほしくなるのでございます。
トウガラシを入れただけで、そのままを飲むのが、1番宜しかろうと存じます。
このトウガラシ紅茶の発端は、エチオピアのコーヒーの「葉」飲料から得たものでございます。
エチオピアでは、コーヒー豆のほうも飲むのですが、コーヒーの葉のほうも飲むのでございます。
コーヒーの葉を煎じて、そこに香辛料や塩、トウガラシを入れた飲み物でございます。
コーヒーの葉にトウガラシ!→ンならば紅茶でわ!と、小学生並の発想にて、思いついた次第でございます。
このトウガラシ紅茶、ぐったりしていた内臓もしゃっきとするかと思います。1日に1杯くらいは良かろうかと存じます。
まあ、別に紅茶でなくても、麦茶でも緑茶でも良さそうな気もしますが、それは今後の実験としたく存じます。
なお、トウガラシの赤色はβカロチンというもののようで、目の疲労回復によいとのことでございます。
目にやさしい点でも、お勉強のお供には、よいのではないかと考える次第でございます。

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思ったことは一致しない

「わたくしたちの、予想や推測の類は早々に当たらない。」
このごく単純な事実を、胸に秘めておくのは損ではないように考える次第でございます。
雨が降るだろうか、と思っても振らないことは多々でございます。
これは振らないと思っていたら、逆に、ざあざあ振りになったことも、これまた多々あるかと存じます。
最も身近でな天気ですら、わたくしたちの予想は当たらないのでございます。
予想を当てるには、たくさん予想するしかない、と言われております。
スポーツ新聞では、連日、競馬の予想で1杯でございます。これだけ予想をしても、早々にあたらないと言うわけでございます。
わたくしたちは、非常に不確かで曖昧な世界を生きている、なんて取りとめのないことが言えるわけですが、これは、逆にもいえるわけでございます。
自分のふと思ったことや感じたことも、これまた、外れると言うわけでございます。
こんなことをしてしまったけど、いいのだろうか、と心中思うものがあっても、周りは1つも気にしていないことは多々ございます。
足の太さや腕の太さ、体重を気にするご婦人はたくさんおられますが、関取並に太っているならまだしも、大半の男性はそんなところを少しも気にしておりません。
恐らく全然違うところを見ているはずでありまして、その真意は心の底でございます。
体重云々は、基本的に口実でしかないのでございます。
3キロ太ると絶望感に陥る人もおられるかと存じますが、体重の上下で愛情が上下するような男性を、わたくしは、これまで、一度たりとも見たことがありません。
体重で愛情が変るというのは、そもそも愛情がなかったのでありましょう。
体重は、方便に使われているのでございます。
このように、世の女性の切実な思い「こんなに太って!」などは、思うほど、誰にも影響していないものでございます。
お勉強に関しても同様でございます。
こんなんで大丈夫なのか?と、日々のお勉強に不安を抱いていても、まあ、継続さえできれていれば、穏当に合格するものでございます。
たとえば、本屋などで、本試験でライバルとなる受験生と遭遇したと致しましょう。
(うう、できそうな奴だ)と思って、我が身の不甲斐なさを思いを馳せても、もとは、自身が自信がないからそう見えているだけでありまして、本当にその人が確かな実力の持ち主かどうかはいえないものでございます。
よくよく、ご自身の生活を振り返ってみて、自分の予想の類が当たったのかどうか、お調べくださればと存じます。
的中したものなどほとんどなく、100個に2〜3つくらいが関の山ではないかと思う次第でございます。
わたくしたちの予想が当たらないというのなら、わたくしたちの感じている漠然とした不安なども同様なのでございます。
一時はやりました「バカの壁」という言葉がございますが、得てして名言でありまして、人間は自分で、自分から、勝手な思いを抱いて、それが最も大事なこととして・尤もなこととして、それがどんな馬鹿げたことでも守りに守ろうとする性分を、的確に現してございます。
漠然としていてあやふやで、不確かな上に、そうそうに的中のしない心中のことなどは、無視するなとはいいませんが、話半分程度にお考えくださればと存じます。
世の中のことのほとんどは、そんなに素晴らしくよいものでもないし、七転八倒するほど悪くもないものでございます。

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