独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

無駄時間は5分から

お勉強で大変なのは、お勉強そのものと言うよりかは、時間の捻出であるかと存じます。
本日のススメは、いかに時間を捻出するかについて、見ていきたいと思います。
時間について考える際に、最も重要なのは、役に立っていない時間を見つけることにございます。
例えば、なんの意図も目的もなく、ネットの網目の中にたゆたう時間でございます。
試しに、昨日したネット時間の内で、どのくらいが、今日という時間に役に立っているでしょうか。
振り返ってみれば、本当に、役に立っていないことでしょう。
下手をしたら、自分が何を見て、何を読んだのかすら、定かでないように思います。
こうしただらっとした時間は、お勉強に振り替える最たるものであるかと考えます。
とはいえ、こうした時間をお勉強に振り替える際は、急激に変えないように、とご助言する次第でございます。
まず、5分からですな、振り向けるのは。あとは、自由にネットなりをしても宜しいのでございます。
2〜3日の間は5分だけで結構でございます。
そして、追々と慣れてきたら、10分、15分と、振りかえる時間を増やしていくのでございます。
どうして、こんな風にするのかといいますと、急激に変えても元の鞘に戻るのみ、だからでございます。
急には生活は変らないし、習慣も変わることはないのでございます。
急に1時間や2時間の時間を変えないようにするのでございます。
1時間や2時間とはいえ、1日の4〜8パーセントを占めてございます。このあたりの割合を、踏まえておくべきかと存じます。
急には変えず、1週間なら1週間、1時間なら1時間を、だんだんとお勉強の時間に振り分けていくのでございます。
じょじょにやることで、だらだら時間への未練は薄れていきます。
次第に、何であんな無駄で詰まらないことをしていたのだろう、とさえ思ってくるように存じます。
こうなったら、しめたものでありまして、お勉強時間の捻出に、「仮」に成功したといってもよいように思います。
さてさて、こうなったとしても、まだまだ油断はできません。
ここが肝要なのですが、だらだら時間をお勉強に振りかえてみたときに、ストレスが高まっていないかをチェックするのでございます。
いらいらっとしてないか、何か心に来ているものがないかを、調べてみるのでございます。
このときは、お勉強自体の、わからない・できない・憶えられない由来のストレスは、度外視します。
だらだら時間が、自身にとってどのような時間であったかを計るためでございます。
もしかしたら、必要な時間かもしれないのでございます。
何か心にくるものがあるのでしたら、お勉強に振り分けただらだら時間を、少し元に戻してみるようにご助言する次第でございます。
心に晴れるものがあれば、それは、あなたにとって必要な時間であったのでしょう。
また、心には何にもない、逆に、やらなくなって清々した、というのでしたら、完全無欠の純粋なムダ時間でしたので、お勉強に振り分けて、大正解であったといえましょう。
時間の使い方というのは、実は、自分自身への取り扱いでもあるので、1週間か2週間、経過観察をしてみるくらいの慎重さでもっても、有用であるように存じます。
自分を無視して、自分の勉強もありますまい、と考える次第でございます。

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過去を引きずる人

過去を引きずるというのは、功罪の面からいいますと、罪の方が大きいのではないかと考える次第でございます。
済んでしまったことは、本当に済んだことでありまして、それはどうしようもないのでございます。
新しい恋人ができない、という方がおられます。
そういう人は、得てして、昔付き合っていた人のことをいつまでも引きずってございます。
携帯のアドレス帳には記録が残っておりますし、写真はもとよりメールまでもが大切に保存されているのでございます。
ふっきれたよとか、何も気にしてないなどという人が、得てして、こんな未練を残しているのでございます。
本当に何ともないなら、消去したとしても、少しも苦にならないわけでございます。
このような人に良縁がないのも、当然といえば当然の話で、付き合う相手・いいなと裏で思っている人からしたら、当の本人はいつも上の空、どこを見ているのか、自分を見ているのかわからないのでは、たまったものではありません。
自身がどっぷり昔を引きずっているに、出会いという将来を計ろうとしているのでございます。
出会いがないと愚痴る前に、携帯の履歴やメモリ、身辺の整理からはじめるべきかと存じます。
過去を抱える人に、縁は過去にしか向かっていないわけでございます。
さて、お勉強におきましての、過去との付き合い方は、非常に重要でございます。
お勉強におきまして、「過去」が問題となってくるのは、一度、不合格になってしまったときでございます。
再勉強・再受験のときに、過去というものは、ありありとわたくしたち自身に覆いかぶさって参ります。
めんどくさいなあという徒労感、落ちたという屈辱、去年やったことをもう一度やるという虚無感、かったるさが、心に満ち満ちてくるのでございます。
こうなってきたときに、まず、ご指摘しておきたいのは、それはどっぷりと過去に浸りきっている、ということでございます。
基本的に、心がそんな状態でお勉強を再開しても、少しも効は奏さないのでございます。
心や頭の2割3割が、そういった過去に利用されているわけですから、通常のお勉強はその分だけ、割を食うわけでございます。
不幸にも不合格となった際は、その不合格という過去をどう引きずらないかが、今後は重要となってまいります。
不合格という過去を断ち切るには、徹底した反省と敗因の分析でございます。
何をしていなかったから落ちたのか、何が不足していたから落ちたのか、何がよくなかったのか、何をもっとすべきだったのか、あれこれと考えることは尽きないように存じます。
失敗や過ちは、そこから教訓を汲み取って、未来にあてがうのが最もよい解決策でございます。
落ちた経験の意味を汲み取り、何とも思わないところまでに到達するのは厳しいでしょう。
が、不合格の過去を思い出せば、次こそ絶対に合格してやる、くらいの気合が生まれるくらいにまで、消化してくださればと存じます。

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フェレンギ人のバイブル22〜24

『22. 賢者は風の音にも金儲けのタネを聞き分ける。』
タレスが、自身の天文学の知識を利用して、オリーブの先物で金儲けをしたことは有名である。(オリーブの搾取機械をすべて借り占めた。)
賢者と言うのは、常に開いている人であるように思う。
賢者は、膨大な百科事典的、文法的、数式的な知識でいっぱいになった人ではない。
なぜなら、彼らは閉じてしまっているからである。
彼らの知識の仕入先は決まっている。権威のある業界紙、論文集、博士号、ブランド名が、彼らの源泉である。
それらを豊富に引用すれば、誰かを説得はしやすいだろう。理屈めいたことを言えるだろう。ひとまず整理のついた言が吐けるだろう。
しかし、引用することは、物事を考えたことには、決してなりはしないのである。
必要なのは、自身の耳目と頭であろう。金儲けは、引用でするものではない。
なお、本当に儲かるのは、何物でもなかったものにある、と思うのだけれども、いかがであろうか。
個人的には、ぶつぶつ付きのしゃもじを作った人は、かなりの賢者要素があるように思う。
米作開始の弥生時代以来、何億というしゃもじが作られてきたろうが、突起が付いているしゃもじの方がご飯が引っ付き難いなんて、誰も気が付かなかったし、やりもしなかったのである。
しゃもじという、ほんとうに何でもない物からでも、富は生まれるのである。
タレスは星空から金儲けをした。賢者は、何物からでも学ぶことができるし、知ることもできる。
何物でもないことの叡智に気づく人が賢者である。
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『23. 最後のコインに手を出してはいけない。だがその他は全てつかみ取れ。』
考えられるのは、わたしたちの心理的なことである。
最後のことというのは、かなり憶えているのである。途中のことは、よく忘れているのである。
たとえば、会食等で、最後の最後まで皿を離さず食べている人がいるとする。
その人は、進行係であったり座持ち・場持ちをするために、会食中は全く食べずに飲まずにいたとする。
だから、自分が食べるのは、常に最後の方になってしまうのだが、これが毎度のことになると、彼はよく食べる、と言われるようになるのである。
彼なり彼女が、少し太っていたのなら、必ずそう言われるようになるだろう。
「最後」は記憶に残りやすいのである。
今回の言のコインについても、それまでに幾ら太っ腹なところを見せても、最後の最後までがっついていると、悪評の方が強くなってしまうのである。
いいイメージを演出してきたことが、すべてムダになってしまう。
だから、最後の最後は、自身のイメージを買うために、他に譲るのである。
謙譲の徳は持たずとも、謙譲のふりはすることができる、とフェレンギ人は見ているのだ。
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『24. いつ儲かるかなんて人には聞くな。』
まず1つは、かつがれているケースがある。
カモにされている人が、カモっている人に聞く時がある。「いつ儲かるの?」と。そんな馬鹿な話はない。
カモが鴨南蛮の料理人に、「いつ火が通りますか?」と聞くようなものだ。
自分の置かれた位置がわからないし、判断もできないし、そして、それらを考えようとしないから馬鹿なのである。
自分の頭脳を他人に預けていないかどうか、よくよく省みることである。預けるにしても、担保は取ろう。
さて、次に考えられるのは、将来的に、いつ儲かるかなんて誰にもわからない、ということである。
学者や研究者、評論家、作家、ライター、マスコミは、現在の読者のために奉仕するものである。
現在の読者のために、コメントなり、文章なり、論文を発表・販売する。
もしその金儲けが、耳目を集めてよい評判「そう」ならば、持ち上げるだろう。
数々の賞賛記事を思い出してみよう。
もし、彼らの利益を害したり、世評で悪い評判「そう」ならば、叩くであろう。
数々のバッシングを思い出してみよう。
現在の読者を念頭において書くのが、一流のプロであって、将来どうなるかについては、書けはしないのである。
そういう体裁をしているが。
もし、そんなことをしたら、ゴッソリと部数は落ちるか、今後のキャリアは道が閉ざされるだろう。
わたしたちは、いつ儲かるかが実に不確実であるから、他の何かに意見を求めようとする、それも、手っ取り早いものを。
しかし、儲かりそうか儲かりそうかでないかは、現場に立っているわたしたち自身が1番よく知りうる立場にあるし、なおかつ、儲かりそうかどうかは、心の底ではわかっているような気がする。
他人の儲かるか儲からないかは、一瞬でわかるのに、自分たちのそれはわからない。
そのあたりの機微を飲み込んだ上で、各種情報に接するべきかと思う。
※ ちなみに、「フェレンギ人」とは、『スタートレック』に登場する、金儲け☆大好き星人です。

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