独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

お茶とお菓子

お勉強のお供といいますと、その筆頭は、お茶でございます。
お茶あってのお勉強、といっても過言でないほど、お茶はお勉強におきまして重宝するものでございます。
別段、のどが渇くから、というわけではないのでございます。
飲み物としての利点のほか、「お茶を入れる・お茶をたてる」という点に、よい物があるのでございます。
それは、気分転換でございます。
お勉強といいますのは、うんうんと机の前に座り続けておれば、進むものではありません。
ときどきは、間を入れるほうが、全体的な進み具合というのは良くなるものでございます。
さて、この間に、何を入れるかが問題なのでございます。
メールや雑誌・漫画などを合間に入れてしまいますと、一気に集中が途切れてしまい、以後のお勉強に、少なからず悪影響があるのでございます。
この点、お茶を入れるといいますのは、カップを選び、急須を用意し、お湯を沸かし、その間にお茶の葉を用意し、お湯が沸いたらカップと急須を温め、温まったらお茶の葉を入れます。
そして、3分ほど待ちます。この3分という時間が、何とも落ち着くための時間といいますか、気を入れなおす時間といいますか、これまでのストレス時間を断ち切る時間といいますか、何とも、気分が変る一瞬なのでございます。
そして、お茶が程よく出てきたら、カップに注いで頂くという塩梅でございます。
1杯のお茶を楽しめずにいるのなら、または、1杯のお茶ですら満足に冷静に入れられない状態ならば、お勉強が効を奏す状態ではない、ということができましょう。
お茶を楽しむといいますのは、自身の心のバロメーター・指標といっても宜しかろうと存じます。
お茶を持って我が心を御計りくださればと存じます。
さて、お茶といえばお菓子でございます。このお菓子も、お勉強とは相性がよいのですが、1つだけ、問題がございます。
それは、虫歯でございます。
お勉強といいますのは、大きなストレスを身体に与えるものでありまして、このストレスは、身体の抵抗力を弱めてしまうので、得てして、口の中の虫歯菌を抑えきれなくなってしまうのでございます。
ですから、お勉強中に甘いお菓子を食べていると、虫歯ができやすくなってしまうのでございます。
ここで、登場してまいりますのが、一杯のお茶、でございます。
お茶といいますのは、皆さんご存知のように、高い殺菌作用がございます。
もともとお茶というのは、生水を安全に飲むために入れるものでございました。
安全な水道水のない時代では、生水というのは大変危険な代物であったのでございます。
そこで、生水を沸かして殺菌し、そして、熱に耐性のある菌を倒すために、お茶の葉を入れたという次第でございます。
お茶というのは一種の消毒薬でありまして、今のように、嗜好品ではなかったわけでございます。
このお茶の本来の役目に着目したのが、お茶とお茶菓子というタッグであるかと存じます。
甘い菓子を食べれば、虫歯菌がハッスル致しますが、それをお茶で殺菌して、虫歯になるのを防ぐといった次第でございます。
お茶とお菓子は、味の面・頂き方の面で非常なる相性のよさでありますが、虫歯を防ぐ意味でもよきものがあるかと存じます。
お勉強の合間に頂くお菓子には、常にお茶を添えて、虫歯予防をお図り下さればと存じます。
なお、お茶の消毒作用は、口臭にも効果があることを付記しておきたく存じます。

出がらしはやめましょう

お勉強のお供といえば、飲み物。その飲み物の中でも、殊更、お茶というのは重宝するものでございます。
お茶というのは、そもそも、薬扱いをされておりました。
一杯でもお茶を飲むことによって、まず、気分の方が落ち着きます。
お勉強というのは、落ち着きというのが、重要でございます。
ばたばたしてたり、気が急いていたり、焦っていたり、何かに心が奪われていたり、とこんな状態でありますと、全く読んだこと・見たこと・書いたことは、頭に入っていかないのでございます。
ですから、心気を抑えることから、落ち着かせることから、始めなければならないのでございます。
この点、お茶という飲み物は、最適であるかと存じます。
お茶1つで、お勉強への入り方も、ぐっと異なってくるかと存じます。
お茶は、紅茶でも、緑茶でも、ほうじ茶でも、番茶でも、とうもろこし茶、マテ茶、何でも結構でございます。
自分に最もしっくりと来るお茶を見つけて、是非とも、お勉強のお供に加えてくださればと存じます。
また当サイトでは、「トウガラシ+紅茶」なども試しております。興味のある方は、先の鍵括弧内の語句にて、検索をおかけくださればと存じます。
シナモンなどの香辛料とお茶を組合せば、更に、しっくりくるお茶生活が満喫できるように存じます。
さてさて、今回のススメでは、お茶の飲み方に1つだけ、物申しておきたく存じます。
それは、出がらしをやめるということでございます。
よく、出がらし茶という、個性の出るお茶の飲み方をする人がおられるかと存じます。
実はわたくしも、出がらし茶派でありました。
出がらしに走る人は、お茶の葉がもったいない、お茶の葉を変えるのが面倒、お茶なんて色さえついておればよい、みたいに考えているのではないかと、忖度するものでございます。
しかしながら、これは、完全なる誤りでございます。
出がらし茶などは、味もまずいことながら、身体によくないと申し上げる次第でございます。
といいますのも、出がらし茶をやめた途端に、胃のしくしくした痛みが消えていったからでございます。
これまで、お茶を飲みすぎると胃がちくちく・ムカムカしてくることが多々ございました。
ですから、日に3杯と、厳密に飲む量を決めていたのでございます。
しかし、最近、毎度のお茶のたびにお茶の葉を変えて、出がらしをいっさい飲まないようにしたところ、胃の痛みもなく、むかつきもなく、多少飲みすぎても、何の不都合も出てこないのでございます。
そして、こう気がついたのでございます。
胃の不愉快は、お茶の飲みすぎではなくて、出がらし茶が原因ではなかったのだろうか、と。
以前は、紅茶など気分が悪くなるので全然飲まなかったのですが、今では、イギリス人並みに飲んでいる次第でございます。
もし、お茶というものが苦手な方は、もしかしたら、出がらしが原因かもしれません。
本当に、出がらしをやめたところ、ぴたっとお茶由来の胃の問題が解消したことを、申し上げておきたく存じます。
思いますに、出がらしでお茶の葉を節約したところで、お茶というのは時間が経つにつれて、風味は飛んでいくものでございます。
よほどの高級茶でない限り、出がらしで、スプーン1杯・2杯のお茶の葉を節約したところで、大きな経済効果はないように存じます。
逆に、胃のシクシク感・嘔吐感が増えてしまう分、損をしているように存じます。出がらし茶は、けむったい人への嫌がらせくらいにしか、役に立たぬように思います。
もし、お茶の葉を使いまわしたり、ティーバックを何度も使うような方で、胃の不調を訴える方がおられるようでしたら、一度、出がらしをおやめくださればと存じます。
出がらしは身体によくない、ということを実感しましたので、当雑文にて、ご報告したく存じます。

フェレンギ人のバイブル25〜27

『25. 疑心暗鬼が良いビジネスパートナーを作る。』
信用とは、最初からあるものではなく、追々と築き上げられていくものである。
どんなに堅牢な建物でも、建築中に1回や2回は、倒壊の危険はあったことだろう。
ビジネスの信用も、同じように、何度か崩壊の危険があって、それを乗り越えたからこそ、より紐帯が強くなるという面がある。
詐欺話をよくよく見れば、よくもまあ、なんでそんなに簡単に人を信じるのか、と思うことしきりである。
幾多の疑心暗鬼を経て、よい商売仲間に恵まれた人を、プロのビジネスマンとするなら、まさに、ド素人こそが、ホイホイと人を信じるのだ。
いや、信じるというのではなく、自分で考えるのを放棄したり、考えることを誰かに委ねてしまうのだ。
それこそ、ビジネス素人である。
さて、「ウチは○○さんとしかアレしませんから」とよく言う。
互いの信頼感に裏づけされた、一見、よさげな言に見えるが、根保証でも取っておかぬ限りは、または、自分が相手の生死を握る取引をしてない限りは、スカスカ頭のお花畑発言であることがよくわかるだろう。
一寸先は闇。
常に目を光らせておくべしと、お金大好き☆フェレンギ人はいうのである。
ビジネスにおいては、疑うことが礼儀である。
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『26. この銀河中の金持ちの大多数は、その富を相続ではなく盗むことで築いた。』
盗むは、単純な意味での窃盗ではなかろう。
よほどの値の張るもなら、窃盗する価値もあろうが、刑務所に入るリスクを思えば、なかなかに窃盗に踏み切れはしない。
盗むこと、というのは、『盗むようなこと』ではないだろうか。
経験のある人しかわからないけれども、儲かるときというのは、本当に信じられないほど、がっつりと利益が上がる。
売価を高くしていても売れるので、原価などないかのごとく、になっていくのである。
こういう超儲かり現象が起きるのは、市場が新しくて、まだ、商品が行き渡っていないときに起きる。
本当に、売価が高くても売れるので、原価などあってないようなときがあるのである。
財布から合法的にお金を盗むかのような、うまみのある新商売を、見出せということなのだろう。
次の富豪は、新商売から生まれる、ということでもある。
私事だが、インターネットのドメインなんて、本当に、世界中からお金を盗むようなビジネスだなあ、とつくづく思う。額は少なくとも、世界中だから、スゲエと思う。しかも、商品の数は無限である。
また、この言は、財産は相続できても、金儲けの技は相続できないことを、つまり、やり様によっては、一文の相続がなくとも、富は築けるという、フェレンギ人の前向き精神を述べている。
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『27. 木が一番役立つのは、あんたがそれを伐採したあとだ。』
フェレンギ人版の、「明日の100より、今日の50」である。または、「取らぬ狸の皮算用」でもある。
空虚な机上の論、意見の上の意見に止まって、現在と現実を見ない危惧を、フェレンギ人はいう。
見ているだけではダメで、自分で現に手にして、加工して、使えるようにして、ようやく、道は開けるのだ。
見ているだけ、あーだこーだいうだけで、何になろうというわけだが、フェレンギ人は、「あーだこーだ」ということの、我々の心理に釘を刺す。
「あーだこーだ」ということが、何かをしていると、思い込んでいる人がいるのだ。
更にいう。
「あーだこーだ」と言っているのを、読んだり聞いたりすることが、何かをしていると思っている人がいるのだ。
新聞・テレビ、ビジネス書やビジネス本の類である。
それは、決して、あなたがビジネスをしている事にはならない。
そうしたことは、役に立たないわけではない。単に、役に立つ50番目、60番目にあるだけの話である。
本当に役に立つのは、自分の仕事にある1番のみ、である。
この点、優先順位の低いものや意味の少ないもので、自分の仕事を埋めないよう、薄めないようにと、フェレンギ人は言うのであろう。
※ ちなみに、「フェレンギ人」とは、『スタートレック』に登場する、金儲け☆大好き星人です。