お勉強と食べ物との関係の続きでございます。
基本的に、人という動物は雑食でございます。
それは、つまり、いろんな物を食べないといけない生き物である、といった次第でございます。
ライオンは肉ばかりを食べますが、それは、ライオンは体内でビタミンが合成できるからでございます。
だから、野菜を食べないのでございます。
葉っぱや草しか食べない動物も、同じく、自身の身体のなかで不足するものを作り出せるからこそ、単一の食べ物で済んでいるわけでございます。
わたくしたちの事情は、逆でありまして、生きていくのに必要なものを体内では作ることができず、外から得ざるを得ないのでございます。
だからこその、食文化でございます。
食文化の豊かさなどは、言い方を換えれば、いかにヒトが、生物として不完全なものかを現しているのでございます。
ミドリムシなんて、水に浮かんで太陽の光を浴びるだけでいいんだから、どっちが生物としては賢いのか、わかりません。
さてさて、前置きが長くなりましたが、わたくしたちは、不足するものを外から摂らざるを得ない生き物であることを、お忘れないようにして欲しく存じます。
イライラの元は、カルシウム不足なんていいますが、事はカルシウムだけではないように存じます。
おそらく、各種ビタミンが足りなくなっても、イライラは募ることでありましょう。
いや、イライラだけでなくて、不安や恐怖といった負の感情の原因にも、なるように思います。
必要な栄養素がなくなれば、最終的に死んでしまうのですから、身体は不足したものを補わせようと、不安や恐怖の感情を抱くようになっても、別段、不思議なことではありません。
先日のススメでもいいましたが、もし、やる気があるのにもかかわらず、お勉強の方がひどく不調であったり、イライラしたり、不安が頭から離れられないときは、食生活の方を、一度お見直しくださればと存じます。
逆を言えば、今の食生活で不足しているものを、パクパクと食べるだけで、事態が好転するかもしれない、といった次第でございます。
肉・野菜・くだもの・穀物、やはり、どれも必要なのでありましょう。
1つだけ言っておきますと、食のタブーのある文化・地方・国では、必ずといってもそのタブーの代替となるものがございます。
たとえば、インドは肉食を避ける人がおりますが、インドという土地には、豊穣な世界でも有数の豆食文化があるのでございます。
肉を食べずとも、豆で肉の栄養を補えたわけでございます。
わたしたちの母国、日本も肉食がタブーでしたが、米、麦、その他の穀物、野菜、魚といった食材が豊富にあったからこそ、タブーが成立したように存じます。
一説によりますと、食のタブーが起きるのは、食料が豊かな土地であるとのことでございます。たくさんあるから、食べなくなるわけで、もともとも土地が痩せ食糧生産が乏しいところには、起きようがないといった理屈でございます。さもありなん。
さて、このように、ある食べ物を食べないとしても、ウラにはちゃあんと、栄養が補えるような仕組みになっているわけでございます。
それほどに、人間の身体は外から、足りない栄養を摂取しなくてはならない生き物である証左でありましょう。
野菜をあまり食べられないなら、ジュースを飲むとか、漬物を酒の肴にしたり、発酵食品を摂ってないないのなら、舐め味噌をつまみにしたり、果物をほとんど食べないのなら、ぶどう酒にするとか、そういった工夫で、足りないものは補えます。
中食旺盛な昨今でございます。 今の食事にもう一品つけることも、そう難しいことではありません。
そのちょっとした工夫は、下手な栄養ドリンク・サプリメント代、医療費・治療費を補って余りあるものをもたらすように存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | Tags: 食事 | 2010年11月9日 11:27 AM |
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お勉強といいますのは、気分がことのほか大切でございます。
気分がいいと、すらすらっとお勉強は進むものでございます。
わたくしたちは、感情の生き物であることを、常に意識の片隅にでも、置いていてくださればと存じます。
何かうまく行かなくなったときは、ご自身の感情について、いま一度、よくよくご検討くださればと存じます。
感情を無視してうまく行くことなど、ごく僅かでございます。
感情を無視してうまくいっても、所詮は砂上の楼閣でしかなく、あっという間に元の木阿弥になるのがオチでございます。
この点、感情というものを無視しないように、申し上げる次第でございます。
さて、感情でございますが、感情と意外に密接な関係がありますのは、食べ物でございます。
食事内容によって、わたくしたちの感情、気分は結構な影響を受けるのでございます。
結構というよりも、だいぶ、といってもよいでしょう。
何とも気が沈んでいるときは、食事の内容とその食べ方を調べてみることでございます。
味気のない弁当、いつが食事の時だか境目のない食べ方、飢えたら食べるという動物のような食べ方をしておりますと、必ず心の方は荒れてまいります。
身体のどこにも悪いところは無く、また、病気でもないのに、顔色の悪い人は、食生活がムチャクチャでございます。
ご飯と唐揚げと漬物しかない298円の唐揚げ弁当と、メイドインチャイナの冷凍品をバックヤードで揚げただけの安っぽいフライを2?3つ、ほいで発泡酒かなんかで、その日の食事を賄っていたりするのでございます。
ひどいものでございます。食べていて何も満たされることのない食事でございます。
わたくしたちが動物であればよかったのでございます。
飢えれば食べる、それでことは済みます。犬も猫もブンチョウも、味など関係ありません。容器も関係ありません。飢えれば食べる、ただそれだけの生き物でございます。腹が減れば、腐肉でも何でも食べる畜生でございます。
しかし、わたくしたちは、哀しいことに人でございます。
パンのみでは生きれないのでございます。
わたくしたちは、目の前のものを食べる以上のことを、欲する生き物・欲してしまう生き物でございます。
ちょっとの一工夫で、食事というのは変わるものでございます。
普段食べないものを果敢に挑戦して食べてみたり、いい鉢・いい皿を使ってみたり、テレビやディスプレイを消してみたり、音楽をかけてみたりと、誰かといっしょに食べたり招待しあったりするなど、いくらでも食べるということを変えることは可能かと存じます。
ただ食うだけの食事は、心を腐らせます。
おかゆを作るだけでも、まったく心の雰囲気は異なります。
ご飯を炊いて水を張った鍋に入れて、刻んだにらを入れて塩で味付け。
おかゆは大概と相性がいいので、炒めて辛みそで味付けをしたひき肉を入れてもよし、にらをその他の野菜にしてもよし、工夫の余地はたくさんございます。
めんどくさがらずに一手間を入れることが、よき食事への一歩かと存じます。
食事に手間をかけないのは、生きるのにも手間をかけないことでもございます。
よき食事がよき生活を生むように、よきお勉強・内実のあるお勉強にするものと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | Tags: 食事 | 2010年11月9日 10:57 AM |
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時間あってのお勉強でございます。
基本的に、お勉強というのは、時間の捻出術といってもよいかと存じます。
試験というのは、やったものから合格するものでございます。
ですから、幾ら卓越した理解力や記憶力があろうと、時間がないために十分な勉強時間が取れなかったならば、結果は不合格となってしまうのでございます。
なかには、比較的短い受験期間で受かる、短期合格者といわれる方々がおられます。
しかし、彼らも、その短い受験期間中は、猛勉強して勉強時間を稼いでいるはず、でございます。
彼らも人の子でありまして、超人ばかりではないことにご留意くださればと存じます。
やはり、試験とは、行なわずしては、合格できない次第なのでございます。やはり、これが真実でありましょう。
さてさて、話を最初の方に戻します。
逆を言うなら、なのでございます。
理解力や記憶力が優れていても、勉強時間が確保できなければ、試験には受からないわけでございます。
ならば、こちら側としては、多少、理解や記憶に劣っていても、時間を確保してお勉強の時間を設けることができたなら、卓越した人たちと十分に張り合えることができるわけで次第でございます。
頭の性能の差を、時間という名の物量で埋める、といった次第でございます。
お勉強の時間をどう設けるか。
ここに、お勉強の眼目があるように存じます。
お勉強の方法ややり方は、確かに合格の重要な要素でございます。
しかし、そのお勉強の元手ともなるべき「時間」が少なすぎれば、宝の持ち腐れとなってしまいます。
いくら優れた方法ややり方でも、慣れるのには時間がかかることでしょうから、どのみち、時間というのは必要になってくるものでございます。
意識1つで、無駄時間というのは、すっと有用な時間に変ります。
まずは、メモすることから、時間を計測することから始めてみてください。自分では、短い時間と思っていても、調べてみたら驚くほどの時間を費やしていることがございます。
わたくしのケースで言えば、携帯のメールでございます。
2行から3行のことなのに、10分くらいかかっておりました。
小さなボタンを押すのに時間がかかっていたのですが、パソコンの方に転送して、キーボードから打つようにすると1?2分と相成った次第でございます。
愛する人とのメールなら、打つ時間は愛を育む大切な時間ではありますが、何てことのない応答返信などは、かかる時間は短ければ短いほどよいもの。仕事のメールも同様でございます。
どうぞ、日々の生活のなかで、あまり使われていない時間・無駄な時間・何のことかわからない時間をお探しくださればと存じます。
見つけたら、やらなくても・なくてもいいのでは、とまず考えます。ここが第1段階。
やらなくてはいけないのなら、どうすれば短くできるかを考えて見ます。ここまできて第2段階。
2段階まできたら、少し様子を見て、やるべきかどうか考え直します。
最初、自分では意味がないと思っていたことが、意外に自分にとって意味があったことは多々ございます。
こういうものは減らしてもなくしてもなりません。
少しも問題がなければ、変更を加えます。
一工夫・二工夫をくわえまして、有用なお勉強の時間にお変えくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | Tags: 時間 | 2010年11月8日 10:28 AM |
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