独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

時間がお勉強の元手

時間あってのお勉強でございます。

基本的に、お勉強というのは、時間の捻出術といってもよいかと存じます。

試験というのは、やったものから合格するものでございます。

ですから、幾ら卓越した理解力や記憶力があろうと、時間がないために十分な勉強時間が取れなかったならば、結果は不合格となってしまうのでございます。

なかには、比較的短い受験期間で受かる、短期合格者といわれる方々がおられます。

しかし、彼らも、その短い受験期間中は、猛勉強して勉強時間を稼いでいるはず、でございます。

彼らも人の子でありまして、超人ばかりではないことにご留意くださればと存じます。

やはり、試験とは、行なわずしては、合格できない次第なのでございます。やはり、これが真実でありましょう。

さてさて、話を最初の方に戻します。

逆を言うなら、なのでございます。

理解力や記憶力が優れていても、勉強時間が確保できなければ、試験には受からないわけでございます。

ならば、こちら側としては、多少、理解や記憶に劣っていても、時間を確保してお勉強の時間を設けることができたなら、卓越した人たちと十分に張り合えることができるわけで次第でございます。

頭の性能の差を、時間という名の物量で埋める、といった次第でございます。

お勉強の時間をどう設けるか。

ここに、お勉強の眼目があるように存じます。

お勉強の方法ややり方は、確かに合格の重要な要素でございます。

しかし、そのお勉強の元手ともなるべき「時間」が少なすぎれば、宝の持ち腐れとなってしまいます。

いくら優れた方法ややり方でも、慣れるのには時間がかかることでしょうから、どのみち、時間というのは必要になってくるものでございます。

意識1つで、無駄時間というのは、すっと有用な時間に変ります。

まずは、メモすることから、時間を計測することから始めてみてください。自分では、短い時間と思っていても、調べてみたら驚くほどの時間を費やしていることがございます。

わたくしのケースで言えば、携帯のメールでございます。

2行から3行のことなのに、10分くらいかかっておりました。

小さなボタンを押すのに時間がかかっていたのですが、パソコンの方に転送して、キーボードから打つようにすると1?2分と相成った次第でございます。

愛する人とのメールなら、打つ時間は愛を育む大切な時間ではありますが、何てことのない応答返信などは、かかる時間は短ければ短いほどよいもの。仕事のメールも同様でございます。

どうぞ、日々の生活のなかで、あまり使われていない時間・無駄な時間・何のことかわからない時間をお探しくださればと存じます。

見つけたら、やらなくても・なくてもいいのでは、とまず考えます。ここが第1段階。

やらなくてはいけないのなら、どうすれば短くできるかを考えて見ます。ここまできて第2段階。

2段階まできたら、少し様子を見て、やるべきかどうか考え直します。

最初、自分では意味がないと思っていたことが、意外に自分にとって意味があったことは多々ございます。

こういうものは減らしてもなくしてもなりません。

少しも問題がなければ、変更を加えます。

一工夫・二工夫をくわえまして、有用なお勉強の時間にお変えくださればと存じます。

フェレンギ人のバイブル40〜42

『40. たとえ旅行先であろうとも儲けられるなら、儲けろ。』

いつでも儲けについては、鼻を利かせておく。あるところにあるものを、あるところにもっていくだけで、儲けることはできる。

たとえば、立ち飲みという酒飲所は、人口がある程度見込める都市部なら、うまくいく萌芽がある。

酒飲みなら、独りで飲む酒がいかに身体に悪いかを、よくよく知っているからだ。

また、黙って飲む酒が、どれほどまずいかを知っているからだ。

話の弾まない、通じない配偶者と、誰が飲みたがろう。

そして、飲酒量である。酒飲みはあるだけ飲むので、家で独りで飲むと、酒量は跳ね上がるのである。

身体にもの凄く悪いし、次の日にも障る。

居酒屋というのは集団で行くものなのだが、常に集団で飲めるわけでもないし、気兼ねがする。

独りで行って独りで飲める飲酒所というのは、そうないのである。

昔は酒屋が立ち飲みどころとして機能していたが、いまでは、飲ましてくれる酒屋などない。

だからこそ、潜在的な需要は高いように思われる。以前、どんな飲食店が入っても撤退していた店舗が、立ち飲みになるや、順調に客足が伸びている。

ま、以上は立ち飲みの店の話だが、これだけに限らない。商売の種は、いつも自分とは別のところにある。

旅に出る、旅行に行く、出張の際は、その土地の風俗をよくよく観察してみることである。1?2つは商売の種はある。

———————————————————————

『41. 金はものを言う。しかし金を沢山持つことは、それ以上の効果がある。』

お金をたくさんもったことがないので、よくわからない。

しかし、逆はよくわかる。

なんともいうことを聞いてしまうのは、貧乏人よりかは、お金持ちの人である。

色が白いのは七難隠すというけれども、お金にも、同じような機能があるように思われてならない。(目くらまし、ともいう。)

贈り物をくれる人は、何ともいい感じがするし、昔お小遣いをくれたおじは、今でもいい人にしか見える。

こざっぱりして清潔な服装をした人は、何となく安心できる。

着古したジャンパーしか着てない競馬場にいそうな人は、何とも信用できない。

お金も持っていそうな人の意見は、何でも無批判に受けれいてしまいそうになる。

お金というものの性質と、お金の使い方に通じよと、フェレンギ人は言っているように思われる。

逆を言えば、お金をそういう風に使ってくる人には要注意ということだ。みすぼらしい詐欺師はいない。

———————————————————————

『42. 利益を得ることが明白であるときにのみ、話し合え。』

素人は、空理空論が好きである。いや、実体験がないから、空理空論となる。

いやいや、実際にやってみるのが怖いから、空理空論となる。

怖いから、実体験が・経験が積み上がらない。

だから、空理と空論とが、ぐるぐると巡りめくることとなる。

玄人は、実務を語るという。物を語るという。

抽象的なことは少ししか喋らない。

売り場では何がなく、何がよく出て、何が起きているかを語る。取引先の雰囲気、営業マンの話し方を語り、車の乗り方を見る。

玄人ほど、現実的で事物的である。

言い方が抽象的過ぎるのでいい直すと、何が不足しているか、何が多いのかを語る。何を持っていくのかを考える。

商売というのは、基本的にそれらである。

フェレンギ人は、会議のための会議、空理のための空理に対して、強く警鐘を鳴らす。

経営学や経済学で商売は動かない。それらの学は結果である。

動くのなら、大学教授やコンサルタントだけが経営者となることとなる。しかし、世の企業を見れば、経営者・経営陣のなかで彼らの名を見ることは稀である。

話し合いで商売ができるわけでなし。

利益が出ることを、咬み出だすように、身をもって知ってから、話し合いが始まるのである。

話し合って利益が生まれるわけではない。逆。

お勉強の小休憩

お勉強といいますのは、基本的に、根を詰めないほうがよろしゅうございます。

といいますのも、あまりに無理をしてがんばりすぎると、途端に嫌気が増し増すからでございます。

お勉強がうまくいくかどうかは、ひとえに、継続に拠っております。

ですから、何時間も、ずっとにずっと、机の前にかじりつくよりかは、1時間ごとにでも、休憩時間をはさんだ方がよいように思います。

まず、小さな休みをはさむことで、疲労が過度に溜まるのが抑えられます。

ほんとうに、疲労というのは馬鹿にできないものでありまして、お勉強が嫌になるときというのは、決まって心身とも疲れているときでございます。

試しに、どのような状態のときに、お勉強が嫌になるかを、調べてみてください。

パンとバターとハムと紅茶でお腹がいっぱいで、元気はつらつとしているときに、お勉強は嫌になりません。

洗い立ての寝巻きと、こざっぱりとした清潔なシーツ、お日さまのにおいのする毛布で、ぐっすりと寝たあとの爽快なときに、お勉強は嫌にならないものでございます。

大概、ボロぞうきんのように心は汚れ、頭は濁り、鉛のように体が重いときのお勉強が、嫌になるもんでございます。

ま、以上のことは、極端な話ではありますが、お勉強の嫌化と疲労とは、切っても切れない関係にあることを、頭の片隅にでも置いていてくださればと存じます。

そのほか、小休憩の利点は、目の疲労を和らげます。

ずっと同じところを見ている、というのは、目の仕組みからすると、ずっと同じところでピントを合わせているといった次第でありまして、目の周りの筋肉を酷使に酷使しているのでございます。

そこで小休止をはさんで、机の前から移動しますと、それだけでも、目はピントあわせから解放されますから、すっと目の疲れも和らぐ゙といった次第でございます。

さて、小休憩なのでありますが、できるだけ、勉強中の自分とかけ離れたことをすべきでございます。

まず、立ち上がりましょう。腕をぶんぶん振って、肩を回しましょう。お勧めなのは、第一に身体を動かすことでございます。

じっとしていたのですから、血の巡りは悪くなっております。

できるなら、散歩に出かけて鬱々を発散しましょう。

次に、推奨するのは雑用の消化でございます。

新聞紙の山を整理したり、そのあたりの散らかりを掃除しましょう。

風呂を洗ってみましょう。靴を磨いてみましょう。窓を開けて新鮮な空気を入れましょう。

これらは、文字を追うお勉強の作業とはまったく異なりますから、すっと頭の中がクリアになるかと思います。

お勉強の小休憩で推奨できないのは、本を読むこと、携帯をいじること、パソコンをする、ネットに接続するといったことでございます。

こうしたことは、お勉強時の自分とよく似ていて、あまり、休んだことにならないのでございます。

逆に、目が疲れたり、頭の同じところを使うのでしょうか、疲労が増えてしまうというのが、個人的な感でございます。

テキストや問題集で、さんざん小さな文字を見続けてきたのでございます。

小休憩のときくらいは、小さな文字で目をいじめるのはどうか、と思います。

まあ、気が晴れれば何でもよい小休憩ではございます。

しかし、過ごし方を変えてみるだけで、ぐっと疲れは和らいで、リフレッシュできますので、どういう小休憩が自分に適うのか、いろいろと編み出してくださればと存じます。

わたくしは、散歩と雑用とが、小休憩のメイン作業でございます。