独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

嫌なやつで勉強を進める

愛憎、なんてことを申します。

ヘビーな出だしですが、いつもススメ通りに、重い内容ではありませんので、お目汚しくださいまし。

さて、お勉強におきましては、やる気というのが重要な要素となってまいります。

お勉強の源泉とも言える、このやる気をいかに持つがお勉強では大切なのでございます。

何となく無風状態で、お勉強について、気持ちが乗らないときには、まず、「憎」から辿ることをお勧めいたします。

 憎々しいこと・憎々しい人を、思い浮かべます。

頭に想い描いただけで、かあっとなって血液が沸騰しそうな、あの小憎らしいどころか、刺してやろうと思った、あやつめの顔を思い出すのでございます。

そうすっと、くうっと、(勉強しよう!)(見返してやろう!)(心のなかで見下してやろう!)という、意気込みが沸いてくるのでございます。

 日本は法治国家でありますので、鉄パイプで殴ったりボールペンで刺して腹膜を破ったり断ち切りバサミを投げつけたり沸騰したやかんを投げつけたりしたら、問答無用で留置所に入ることと相成ります。

ですから、本当はそうしたいでしょうが、そこに向かうエネルギーをお勉強に逸らせて、お勉強にて憎悪を発散するといった次第でございます。

ま、こんなくらいに憎々しい人はおられないと思いますが、是非一度、にくったらしい奴・むかつく奴・腹立つ奴・殴ってやろう奴を思い浮かべてお勉強をしてみてください。

腹の底から熱くなったやる気が、吹き出てくるかと思います。

さて、次は、一転しまして、愛する人のことを思い浮かべてみます。

子供の顔、ご両親の顔、恋人の顔、大切な人の顔、恩人の顔、恩師の顔、そして最後に、思い出したように配偶者の顔を思い浮かべてみるのでございます。

そうしますと、(こんなことで屈してはならない)(負けちゃあいられない)(まだまだできる)(恥ずかしいことはできない)と、心中に発奮する力が湧いてくるのでございます。

「愛は力なり」…なんて何だか名言集にありそうな感じでありますが、やはり、愛は力であるように存じます。

このように、まったく正反対である、愛憎からわたくしたちは、やる気を得られるわけでございます。

正反対のものから、同じ効果を得られるのは、不思議なものでございます。

隣で寝ている人の顔を見ると、殺意が湧いてきた、というのもあながち”虚”ではないのでありましょう。

愛ゆえの殺意も、あったりするのではないかと、冬を迎えながらも独り寝を決め込むわたくしでございます。

腹が満ちれば眠くなる

お勉強といいますのは、得てして、夜の時間帯に行なわれるものでございます。

夜は寝るものと申します。

昼の仕事や家事・育児などの疲れから、夜ともなれば、どうしても眠たくなってしまうものでございます。

この眠気を何とかおさえながら、お勉強というものをしなくてはならないのですが、眠気というのは2つあるように存じます。

1つは、先にいいました、疲れからきた眠気でございます。

頭や身体を使ったのなら、その使った際に、何らかのエネルギーなりを消費したわけでございます。

また、そのエネルギーの使用後に出てまいります、廃物もたくさんあるわけでございます。

眠くなるといいますのは、そられの補充ないしは、掃除のために催されるとは、考えすぎでありましょうか。

身体や頭を酷使した日ほど眠くなるのは、その分だけ、補充と清掃をしなくてはならないからでありましょう。

しかし、この疲れは、お風呂に入って身体をゆでれば、代謝も活発になり、どんどん、溜まったカスといいますか老廃物を排出しますので、しゃっきとするものでございます。

お風呂から出た後は、少しも眠くないし、少々眠いときにお風呂に入りますと目が覚めるのは、身体全体から悪いものが出切ったからと言えるわけでございます。

あとは、食事でエネルギーを補給すれば、それほどには、眠くならないものでございます。

しかし、この食事というのは、見落とされがちなのですが、強烈な睡魔の元なのでございます。

結論から申します。

もし、夜にお勉強が控えているようでしたら、夕食は、量少なめでお腹にもたれないものを食すよう、ご助言する次第でございます。

といいますのも、食べ過ぎたり消火に手間取るものでお腹をいっぱいにしてしまうと、どうしても胃腸に血液が集まってしまい、強烈に眠たくなってしまうのでございます。

食べてすぐ寝ると牛になる、なんていいますけれども、言うなれば、食べると眠たくなるという人間の生理を示しているとも読めるわけでございます。

夜、どうしても眠たくなってお勉強が滞りがちになる、という方は、食べる物と量とを、調整くださればと存じます。

眠たくなる筆頭の食べ物はお米ですので、ご飯の量を減らします。

わたくしがよくやるご飯の量減らしは、納豆であります。ご飯を半膳ほどにして、納豆を2パックほどかけていただきます。

また、イモを食べるようにしております。

このようにすると、食べた感が多分にあるので、ご飯由来の眠気を防ぐことが可能でございます。

それかいっそのこと、ご飯は、おかゆにしてしまいます。

おかゆですと、幾ら量を食べても半分以上は水ですので、米の食べすぎにはなりません。

胃腸に優しく、食べた満腹感も得やすく、低カロリーで、調理も簡単。粥食は、もっと見直されて宜しいように存じます。

ちなみに、目が覚める食べ物は肉。低脂肪の赤み部分をさっと焼いたのを食べれば、元気よくお勉強できるように存じます。受験生を抱えている方は、一度お試しください。

食事の内容と量を変えてみると、想像以上に、夜は眠たくなくなるように存じます。

コーヒーをがぶ飲みしたり、無色カフェインを摂るよりかは、身体に負担なく、夜のお勉強ができるように存じます。

フェレンギ人のバイブル43〜45

『43. 銃を突きつけるより耳を愛撫する方が、しばしば効果的だ。』

人は、恐怖や脅かしには屈しない。

その場だけは、屈するのであって、裏では着々と復讐の準備を整えているものである。

人は棺桶のふたが閉じるまでわからないというが、立派な墓が建っていても、誰も墓参りに来ないなんて故人は、それこそ掃いて腐るほどある。

逆に、小さくても、常に香華の絶えない墓もあるわけである。

再度いうが、人は脅しに屈しない。暴力と恐怖で統治に成功した国家などない。必ず滅びたのが、歴史の教えるところである。

では、人は、何に屈するかというと、甘言である。耳に優しい言葉である。

このフェレンギ人の言葉については、自分をもとにして考えると実によくわかる。

自分の好きな人はどんな人か。どんな人が友達か、どんな上司を尊敬しているか、どんな部下に慕われているか。

そう考えたときに、暴力的ですぐ切れるような人を選んではないし、選んでもない。

そんな人とは、仕方がないから付き合っているだけである。

そんな人からの頼まれごとは、優先順位でいえば下の下で、決して、気持ちよく行うことはなかろう。

誰が、暴力的で脅しをかけてくるような人と、付き合おう。パートナーとして付き合おうか。

世間は自分の鏡である。

自分がそうなら、他人は己を映す鏡のように、同じに決まっている。

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『44. フェイザーを持った奴と議論するな。』

フェイザーとは、米ドラマ「スタートレック」作中に出て来る、光線銃のこと。

その通りである。議論は、議論のできる人か、議論をしても殴り返してこない人とやるべき。

よく議論を吹っかけられる人は、そういう安全な人と思われている。

うっとおしいなら、知的武装をすべし、である。

よく練られたブログを見つけてきて読むだけでも、一言は持てる。

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『45. 儲けには限度がある。しかし損に限界はない。』

儲けに限度があるのは、必ず競合企業が出て来るからである。

だからこそ、利益は頭打ちとなる。

ある商売が儲かっているかどうかを調べるには、競合点がどのくらいあるかを調べてみる。

ある地域に、同じようなお店があれば、その地域なり地区は、人の流れやその他があるのであろう、その商売に適しているということだ。

儲けのないところに、新しい店はできない。

たとえば、漬物屋なんてのは、街に老舗の一軒でもあればいいわけで、街には一軒分くらいの需要しかないというわけだ。

なら、よほどの勝算がない限り、ライバル店がでてくることもない。

逆に、余剰の利益があるところでは、ライバル店はそれを目指して、つぎつぎに新規開業する。

ラーメン通りができるのも道理であって、その周辺は、ラーメンの需要があまりあるのである。

このように、利益というのは、他店の出店でいつの日か必ず逓減するものであるから、それを踏まえて、商売の舵を取っていかねばならないというわけである。

そして、大切なのは、儲けとは逆に、損は、いくらでも膨れてしまうことである。

 どうしてか。

単純なのだが、損は誰かの利益だからである。

人件費は従業員にとっては給料であるし、家賃は、大家や貸しビル屋にとって、売り上げのかなめである。

水道ガス電気も言わずもがな、仕入れも仕入先の売り上げとなっている。

あなたは、誰かにとっての利益となっているわけで、油断したり、ぐずぐずしていて売り損ねていては、鼻毛の一本までむしられる定めなのである。

コストをダダ流ししていれば、砂糖に群がる蟻のように、最後の1かけらまで吸い取ろうとするだろう。

よき経営者は、明日からコスト削減を考えない。コスト削減は常のことである。

「稼ごうとして、儲けさせてはならない」と、フェレンギ人なら言うだろう。