独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

元気な人は肉食べる

わたくしたちは、食べたもので出来上がっております。

わたくしたちは、昨日食べたもので、先週食べたもので、先月食べたもので、出来上がってございます。

身体だけではありません。気分も、心も、感情も、食べたもので出来上がっているのでございます。

このことは、忘れがちな真理の1つでございます。重々、意をお払いくださればと存じます。

さてさて、ここ一番で元気を出したい人や、やる気を出したい人は、是非とも、肉を食べるようお勧めいたします。

肉食は太るとか、コロステロールが増えるとか、高脂血になるとか言われますが、それは、食べる部位が問題でありまして、赤身部分なら、がっつり食べてもよい様に思います。

血がべとべとになる霜降りなんて、月に1度も食べれば十分なくらいでして、毎日食べるなら、赤身でありましょう。

かの名映画監督の黒澤明氏が、かなりの肉好き・ステーキ好きだったのは有名な話でございます。

自分で食べるだけでなく、人にもごちそうしていたので、肉代がかなりのぼったとのことでございます。

その額や、税務署がやって来て問い質したくらい、かなりの額であったと伝説になっております。

黒澤映画の原点は、やはり肉だったのか、肉を食べていたからアレほど精力的に、また、徹底して画を追求するパワーとエネルギーがあったのだと、非常に合点がいった次第でございます。

また、突飛な例ではありますが、「町の肉屋には、町の情報が集まる」といわれております。

キーマンとなるような実力のある人の食べるものは、「肉」ということを暗示していて、実におもしろい現象だと思います。

町の有力者の健康状態を知っているのは、1に医者、2に肉屋とも言われているくらいでございます。

つまり、元気なら肉を食べるので肉屋への注文が増えるが、病気にでもなったりしたら、肉を食べなくなるから注文も減る、注文の増減で有力者の家の事情がわかってしまう、という次第でございます。

ちなみに、黒柳徹子嬢も、毎日肉を食べているとのこと。

何となく、肉の効用がお分かりいただけたのではないかと存じます。

江戸時代には、肉食を薬食いなんていいました。さもありなん、でございます。

ですから、わたくしたちも、元気を出したいときや、何だかお勉強が低空状態にあるときは、もりもりっと肉を食べるようにすべきかと存じます。

さてさて、肉を食べることについては、まず、いい肉屋を探すこと、これに限ります。

はずれが少ないのは、百貨店に入っている肉屋でありまして、一味違います。値段はかなり違いますが。

まずい肉を安く大量に食べるより、絶対にこっちの方が賢明でございます。

わたくしは、肉だけは肉屋直営しているスーパーで買っておりますが、一口でわかるほど、肉質も脂も違います。

価格を抑えつつも良質の肉を取り扱う優良店を、お探しくださればと存じます。

肉屋には、あたりはずれのあることを、如実に感じられるかと存じます。なぜ出版社は、肉屋のガイドブックを作らないのか、不思議でございます。

いい肉屋を見つけると、それだけで人生は変ります。

いい肉は活力の元でございます。いい肉は、医薬品以上の働きを致します。当雑文の1000日分の活力が、いい肉にはございます。

いい肉で、お勉強の不調ややる気の薄さを乗り越えてくださればと存じます。

そこにはない、ということ

大切な事は、見極めのように存じます。

少しも燃えることがなく、心中沸き立つものもなく、知る喜びもわかる楽しみもない。

こんなお勉強でしたら、やめてしまうことを推奨いたします。

それは結局のところ、当の本人にとって不必要なのでございます。

今までに費やした時間やお金がもったいない、と思ってしまい、完全に止めてしまうのを躊躇している方もいらっしゃるかと思います。

しかし、当の本人にとって、その勉強と言いますのは、人生勉強の1種でもありまして、そのことが、「まったく自分に合わない」ことを知るためにあったのでございます。

その貴重な1知を得るために支払った代償なのでございます。

目下勉強していることに、興味や関心が少しも湧かない、一生懸命になれるものが無いこと自体が、そこには人生の接点が無いというだけのこと。

八百屋で靴下を探すような真似はやめるべきでございます。

そこにはない、のであります。

以降の生涯で、そのことが出てきたら完全に無視すればよい、というわけでして、今後、無駄に時間を使わないがために、その勉強があったのだと、お考えくださればと存じます。

やめるというのが、正しい選択なのでありましょう。

さて、しかし、少しでも、興味や関心の芽があるようでしたら、完全に止めてしまうのは、慎重になったほうが宜しいかと存じます。

人生といいますのは、一直線ではありません。

自分の本当の歓心や興味が、目の前に現れるというのは、実に稀な幸運なケースでありまして、そうしたものは、大概の場合、隠れているのでございます。

ですから、お勉強の過程で伸びてきた芽を、大切に育ててみれば、以後の人生におきまして、たくさんの果実が実る可能性を捨てきれないのでございます。

せっかく出てきた「芽」でございます。これも何か1つの「縁」でございます。

何かしらこころに感じるものがあるなら、もうちょっとだけ様子を見て、お育てくださればと存じます。

多少芽が伸びてから、やめるかやめないかを考えても、少しも遅くはありません。

実は、お勉強といいますのは、始めることややること以上に、やめることの方が難しいのでございます。

このあたりの線引きには、ゆっくりと腰を落ち着けてお考えくださればと存じます。

一時の激情で、せっかく伸びた芽を潰さないよう、ご助言申し上げる次第でございます。 

嫌なやつで勉強を進める

愛憎、なんてことを申します。

ヘビーな出だしですが、いつもススメ通りに、重い内容ではありませんので、お目汚しくださいまし。

さて、お勉強におきましては、やる気というのが重要な要素となってまいります。

お勉強の源泉とも言える、このやる気をいかに持つがお勉強では大切なのでございます。

何となく無風状態で、お勉強について、気持ちが乗らないときには、まず、「憎」から辿ることをお勧めいたします。

 憎々しいこと・憎々しい人を、思い浮かべます。

頭に想い描いただけで、かあっとなって血液が沸騰しそうな、あの小憎らしいどころか、刺してやろうと思った、あやつめの顔を思い出すのでございます。

そうすっと、くうっと、(勉強しよう!)(見返してやろう!)(心のなかで見下してやろう!)という、意気込みが沸いてくるのでございます。

 日本は法治国家でありますので、鉄パイプで殴ったりボールペンで刺して腹膜を破ったり断ち切りバサミを投げつけたり沸騰したやかんを投げつけたりしたら、問答無用で留置所に入ることと相成ります。

ですから、本当はそうしたいでしょうが、そこに向かうエネルギーをお勉強に逸らせて、お勉強にて憎悪を発散するといった次第でございます。

ま、こんなくらいに憎々しい人はおられないと思いますが、是非一度、にくったらしい奴・むかつく奴・腹立つ奴・殴ってやろう奴を思い浮かべてお勉強をしてみてください。

腹の底から熱くなったやる気が、吹き出てくるかと思います。

さて、次は、一転しまして、愛する人のことを思い浮かべてみます。

子供の顔、ご両親の顔、恋人の顔、大切な人の顔、恩人の顔、恩師の顔、そして最後に、思い出したように配偶者の顔を思い浮かべてみるのでございます。

そうしますと、(こんなことで屈してはならない)(負けちゃあいられない)(まだまだできる)(恥ずかしいことはできない)と、心中に発奮する力が湧いてくるのでございます。

「愛は力なり」…なんて何だか名言集にありそうな感じでありますが、やはり、愛は力であるように存じます。

このように、まったく正反対である、愛憎からわたくしたちは、やる気を得られるわけでございます。

正反対のものから、同じ効果を得られるのは、不思議なものでございます。

隣で寝ている人の顔を見ると、殺意が湧いてきた、というのもあながち”虚”ではないのでありましょう。

愛ゆえの殺意も、あったりするのではないかと、冬を迎えながらも独り寝を決め込むわたくしでございます。