お勉強といいますのは、気分がことのほか大切でございます。
気分がいいと、すらすらっとお勉強は進むものでございます。
わたくしたちは、感情の生き物であることを、常に意識の片隅にでも、置いていてくださればと存じます。
何かうまく行かなくなったときは、ご自身の感情について、いま一度、よくよくご検討くださればと存じます。
感情を無視してうまく行くことなど、ごく僅かでございます。
感情を無視してうまくいっても、所詮は砂上の楼閣でしかなく、あっという間に元の木阿弥になるのがオチでございます。
この点、感情というものを無視しないように、申し上げる次第でございます。
さて、感情でございますが、感情と意外に密接な関係がありますのは、食べ物でございます。
食事内容によって、わたくしたちの感情、気分は結構な影響を受けるのでございます。
結構というよりも、だいぶ、といってもよいでしょう。
何とも気が沈んでいるときは、食事の内容とその食べ方を調べてみることでございます。
味気のない弁当、いつが食事の時だか境目のない食べ方、飢えたら食べるという動物のような食べ方をしておりますと、必ず心の方は荒れてまいります。
身体のどこにも悪いところは無く、また、病気でもないのに、顔色の悪い人は、食生活がムチャクチャでございます。
ご飯と唐揚げと漬物しかない298円の唐揚げ弁当と、メイドインチャイナの冷凍品をバックヤードで揚げただけの安っぽいフライを2?3つ、ほいで発泡酒かなんかで、その日の食事を賄っていたりするのでございます。
ひどいものでございます。食べていて何も満たされることのない食事でございます。
わたくしたちが動物であればよかったのでございます。
飢えれば食べる、それでことは済みます。犬も猫もブンチョウも、味など関係ありません。容器も関係ありません。飢えれば食べる、ただそれだけの生き物でございます。腹が減れば、腐肉でも何でも食べる畜生でございます。
しかし、わたくしたちは、哀しいことに人でございます。
パンのみでは生きれないのでございます。
わたくしたちは、目の前のものを食べる以上のことを、欲する生き物・欲してしまう生き物でございます。
ちょっとの一工夫で、食事というのは変わるものでございます。
普段食べないものを果敢に挑戦して食べてみたり、いい鉢・いい皿を使ってみたり、テレビやディスプレイを消してみたり、音楽をかけてみたりと、誰かといっしょに食べたり招待しあったりするなど、いくらでも食べるということを変えることは可能かと存じます。
ただ食うだけの食事は、心を腐らせます。
おかゆを作るだけでも、まったく心の雰囲気は異なります。
ご飯を炊いて水を張った鍋に入れて、刻んだにらを入れて塩で味付け。
おかゆは大概と相性がいいので、炒めて辛みそで味付けをしたひき肉を入れてもよし、にらをその他の野菜にしてもよし、工夫の余地はたくさんございます。
めんどくさがらずに一手間を入れることが、よき食事への一歩かと存じます。
食事に手間をかけないのは、生きるのにも手間をかけないことでもございます。
よき食事がよき生活を生むように、よきお勉強・内実のあるお勉強にするものと存じます。
2010年11月9日 10:57 AM
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