独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

そこにはない、ということ

大切な事は、見極めのように存じます。

少しも燃えることがなく、心中沸き立つものもなく、知る喜びもわかる楽しみもない。

こんなお勉強でしたら、やめてしまうことを推奨いたします。

それは結局のところ、当の本人にとって不必要なのでございます。

今までに費やした時間やお金がもったいない、と思ってしまい、完全に止めてしまうのを躊躇している方もいらっしゃるかと思います。

しかし、当の本人にとって、その勉強と言いますのは、人生勉強の1種でもありまして、そのことが、「まったく自分に合わない」ことを知るためにあったのでございます。

その貴重な1知を得るために支払った代償なのでございます。

目下勉強していることに、興味や関心が少しも湧かない、一生懸命になれるものが無いこと自体が、そこには人生の接点が無いというだけのこと。

八百屋で靴下を探すような真似はやめるべきでございます。

そこにはない、のであります。

以降の生涯で、そのことが出てきたら完全に無視すればよい、というわけでして、今後、無駄に時間を使わないがために、その勉強があったのだと、お考えくださればと存じます。

やめるというのが、正しい選択なのでありましょう。

さて、しかし、少しでも、興味や関心の芽があるようでしたら、完全に止めてしまうのは、慎重になったほうが宜しいかと存じます。

人生といいますのは、一直線ではありません。

自分の本当の歓心や興味が、目の前に現れるというのは、実に稀な幸運なケースでありまして、そうしたものは、大概の場合、隠れているのでございます。

ですから、お勉強の過程で伸びてきた芽を、大切に育ててみれば、以後の人生におきまして、たくさんの果実が実る可能性を捨てきれないのでございます。

せっかく出てきた「芽」でございます。これも何か1つの「縁」でございます。

何かしらこころに感じるものがあるなら、もうちょっとだけ様子を見て、お育てくださればと存じます。

多少芽が伸びてから、やめるかやめないかを考えても、少しも遅くはありません。

実は、お勉強といいますのは、始めることややること以上に、やめることの方が難しいのでございます。

このあたりの線引きには、ゆっくりと腰を落ち着けてお考えくださればと存じます。

一時の激情で、せっかく伸びた芽を潰さないよう、ご助言申し上げる次第でございます。 

嫌なやつで勉強を進める

愛憎、なんてことを申します。

ヘビーな出だしですが、いつもススメ通りに、重い内容ではありませんので、お目汚しくださいまし。

さて、お勉強におきましては、やる気というのが重要な要素となってまいります。

お勉強の源泉とも言える、このやる気をいかに持つがお勉強では大切なのでございます。

何となく無風状態で、お勉強について、気持ちが乗らないときには、まず、「憎」から辿ることをお勧めいたします。

 憎々しいこと・憎々しい人を、思い浮かべます。

頭に想い描いただけで、かあっとなって血液が沸騰しそうな、あの小憎らしいどころか、刺してやろうと思った、あやつめの顔を思い出すのでございます。

そうすっと、くうっと、(勉強しよう!)(見返してやろう!)(心のなかで見下してやろう!)という、意気込みが沸いてくるのでございます。

 日本は法治国家でありますので、鉄パイプで殴ったりボールペンで刺して腹膜を破ったり断ち切りバサミを投げつけたり沸騰したやかんを投げつけたりしたら、問答無用で留置所に入ることと相成ります。

ですから、本当はそうしたいでしょうが、そこに向かうエネルギーをお勉強に逸らせて、お勉強にて憎悪を発散するといった次第でございます。

ま、こんなくらいに憎々しい人はおられないと思いますが、是非一度、にくったらしい奴・むかつく奴・腹立つ奴・殴ってやろう奴を思い浮かべてお勉強をしてみてください。

腹の底から熱くなったやる気が、吹き出てくるかと思います。

さて、次は、一転しまして、愛する人のことを思い浮かべてみます。

子供の顔、ご両親の顔、恋人の顔、大切な人の顔、恩人の顔、恩師の顔、そして最後に、思い出したように配偶者の顔を思い浮かべてみるのでございます。

そうしますと、(こんなことで屈してはならない)(負けちゃあいられない)(まだまだできる)(恥ずかしいことはできない)と、心中に発奮する力が湧いてくるのでございます。

「愛は力なり」…なんて何だか名言集にありそうな感じでありますが、やはり、愛は力であるように存じます。

このように、まったく正反対である、愛憎からわたくしたちは、やる気を得られるわけでございます。

正反対のものから、同じ効果を得られるのは、不思議なものでございます。

隣で寝ている人の顔を見ると、殺意が湧いてきた、というのもあながち”虚”ではないのでありましょう。

愛ゆえの殺意も、あったりするのではないかと、冬を迎えながらも独り寝を決め込むわたくしでございます。

腹が満ちれば眠くなる

お勉強といいますのは、得てして、夜の時間帯に行なわれるものでございます。

夜は寝るものと申します。

昼の仕事や家事・育児などの疲れから、夜ともなれば、どうしても眠たくなってしまうものでございます。

この眠気を何とかおさえながら、お勉強というものをしなくてはならないのですが、眠気というのは2つあるように存じます。

1つは、先にいいました、疲れからきた眠気でございます。

頭や身体を使ったのなら、その使った際に、何らかのエネルギーなりを消費したわけでございます。

また、そのエネルギーの使用後に出てまいります、廃物もたくさんあるわけでございます。

眠くなるといいますのは、そられの補充ないしは、掃除のために催されるとは、考えすぎでありましょうか。

身体や頭を酷使した日ほど眠くなるのは、その分だけ、補充と清掃をしなくてはならないからでありましょう。

しかし、この疲れは、お風呂に入って身体をゆでれば、代謝も活発になり、どんどん、溜まったカスといいますか老廃物を排出しますので、しゃっきとするものでございます。

お風呂から出た後は、少しも眠くないし、少々眠いときにお風呂に入りますと目が覚めるのは、身体全体から悪いものが出切ったからと言えるわけでございます。

あとは、食事でエネルギーを補給すれば、それほどには、眠くならないものでございます。

しかし、この食事というのは、見落とされがちなのですが、強烈な睡魔の元なのでございます。

結論から申します。

もし、夜にお勉強が控えているようでしたら、夕食は、量少なめでお腹にもたれないものを食すよう、ご助言する次第でございます。

といいますのも、食べ過ぎたり消火に手間取るものでお腹をいっぱいにしてしまうと、どうしても胃腸に血液が集まってしまい、強烈に眠たくなってしまうのでございます。

食べてすぐ寝ると牛になる、なんていいますけれども、言うなれば、食べると眠たくなるという人間の生理を示しているとも読めるわけでございます。

夜、どうしても眠たくなってお勉強が滞りがちになる、という方は、食べる物と量とを、調整くださればと存じます。

眠たくなる筆頭の食べ物はお米ですので、ご飯の量を減らします。

わたくしがよくやるご飯の量減らしは、納豆であります。ご飯を半膳ほどにして、納豆を2パックほどかけていただきます。

また、イモを食べるようにしております。

このようにすると、食べた感が多分にあるので、ご飯由来の眠気を防ぐことが可能でございます。

それかいっそのこと、ご飯は、おかゆにしてしまいます。

おかゆですと、幾ら量を食べても半分以上は水ですので、米の食べすぎにはなりません。

胃腸に優しく、食べた満腹感も得やすく、低カロリーで、調理も簡単。粥食は、もっと見直されて宜しいように存じます。

ちなみに、目が覚める食べ物は肉。低脂肪の赤み部分をさっと焼いたのを食べれば、元気よくお勉強できるように存じます。受験生を抱えている方は、一度お試しください。

食事の内容と量を変えてみると、想像以上に、夜は眠たくなくなるように存じます。

コーヒーをがぶ飲みしたり、無色カフェインを摂るよりかは、身体に負担なく、夜のお勉強ができるように存じます。