独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

諦めはあきらめて2

諦める際の、判断について一言申し述べておきたく存じます。

「諦め」の言葉遊びでございます。

諦める際は、「空き」はあるのかどうかを確かめることを、推奨いたします。

空きの代表的なものは、まず、「時間的な空き」でございます。

試験というのは、努力が結果にストレートに反映致します。

お勉強に時間を割けば割くほどに、高確率で合格できるようになるのでございます。

たくさん勉強をしたら合格する可能性も上がるわけでございます。

ですから、そもそもの時間がないと勉強ができず、勉強ができなければ、それ相応に合格の可能性は低くなってしまうのでございます。

平均勉強時間が1000時間かかる試験ならば、穏当に、1000時間要ると踏んで、時間の配分や計画を見ておくべきでございます。

お勉強には、そもそも時間が要ることを、いうなれば、時間の空きがあるのかどうかを、まずもって確認です。

どう塩梅しても、合格に必要な勉強時間が捻出できないのであれば、潔く、お勉強は諦めるべきでございます。

物理的に無理ですので、状況の変化等があって、時間ができたときに再開、としたほうが賢明でありましょう。

次の空きは、「場所の空き」でございます。

勉強する場所というのは、想像以上に重要でございます。テレビの音が鳴り渡るリビングや、子供が走り回っている中では、到底、上質なお勉強は不可能でございます。

独りになるところが絶対に必要なのでございます。

学校の銅像で有名な、薪を背負って読書する二宮金次郎は、アレはアレですよ、薪を運ぶという個人的な時間と空間と場所があったからこその読書でありまして、集団のガヤガヤした中なら、到底、勉強などできなかったことでしょう。

お勉強というのは、個人的な作業でありますから、どうしても、独りにならないといけないのでございます。

そこで、独りになる場所があるかどうかを、お確かめくださればと存じます。

図書館や公共施設など、勉強場所を開放しているところは多々ございます。

また、お金はかかりますが、カフェやファストフードも、独りになれるところでございます。

長居すると嫌な顔をするカフェもございますが、カフェ激戦区では、誰一人客のいない活気のない雰囲気を恐れますので、時と場合によっては内心喜ばれるところもございます。

そうしたところを、見つけてお勉強するのが宜しいかと存じます。

最後に、「気力的な空き」でございます。 

心に、お勉強のことが入る空きがあるのかどうかを、お確かめくださればと存じます。

お仕事や家事・育児で、忙しくてんてこ舞いな毎日になったのなら、お勉強は諦めた方が宜しいかと存じます。

もう1個荷物を背負うような真似はしないほうがよいでしょう。下手に無理をしたら、全部ダメになります。

プライベートが宙ぶらりんのときや、目の前の仕事にも慣れ、そつなくこなしていて余力があるときが、お勉強に入るベストなときかと存じます。

心や精神力というのは、見えないからいくらでも無理ができてしまいます。

 しかし、無理を続ければ破綻が待っているのは、世の習いでございます。

気持ちに空きがなく、お勉強が入らないのであれば、諦めが宜しいかと存じます。

以上、諦める際には、上記3つの「空き」の有無から、ご判断くださればと存じます。 

軽食の効用

腹が減っては戦はできぬ、と申します。

お勉強を始めるにあたっては、本当に軽くで結構でございます。

何かを口にしてから、お勉強を始めるべきかと存じます。

お勉強といいますのは、身体を動かしませんから、腹ごしらえなど必要ない、とお考えになる人がおられるかと思いますが、まったくの間違いでございます。

人体の摂取するエネルギーの半分は、脳が消費してございます。

お勉強はご承知のとおりに、頭を酷使する作業でございます。

おそらくは、肉体作業・肉体労動のみならず、スポーツ・運動以上の、エネルギーが必要になるのでございます。

小説家や物書きといわれる頭脳職の方の近くには、必ず大福や団子といった甘々の和菓子があったと申します。

商売の手土産というのは、大概が甘いものでございます。それは、仕事というものが、頭のエネルギーを必要とするからではないか、というわけでございます。

小さな子供さんたちも、これまた甘いものを欲しがりますが、それもさりなんで、子供にとっては世界のほとんどが未知なる物、未体験のものでございます。

毎日新しく見聞きするもので、頭がどれほど、視聴覚情報を処理しているか、お考えくださればと存じます。そらほしがるでしょ?という次第でございます。

虫歯がアレですが、食べたあとに口をすすぐだけで、虫歯菌の増殖はかなり抑えられますので、甘いものは大目に見ていただければと存じます。

個人的な所感ではありますが、大人でも、馬鹿ほど甘いものを欲しがらない傾向があるように存じます。頭を使わないから、甘いものが欲しくならないのでしょう。

さてさて、エネルギーといいますのは、使い果たして補給するよりも、使う前に補給しておくのがコツでございます。

疲れ方が断然違うからでございます。

換言するなら、集中力の保ちが違う、のでございます。

一番に推奨する軽食は、甘いものでございますが、糖を含む炭水化物であれば、何でもよいように存じます。

 最悪、あめちゃん1個でも、構いません。パン一枚かじるのでも構いません。

ロシア風紅茶のように、スプーンにジャムを盛って、それをお茶といっしょに舐めるだけでも構いません。

少しでも何かを食べて、お勉強をして見てください。

そして、生きた経験として、お腹が空いた状態で、どれだけのお勉強が可能か、お調べくださればと存じます。

何かを軽く食べておくのが、いかによきお勉強に資するか、お分かりいただけるかと存じます。

 

不合格は不合格だ、が…

試験勉強といいますのは、合格を目指して行なうものでございます。

逆を言うなら、不合格にはなりたくないがために、がんばるものだ、ということもできましょう。

不合格となるのは、実に、実に嫌なものでございます。

合格発表の日、自分の受験番号がないときは、心底がっくりして意気消沈してしまうものでございます。

落ちたんだ、ということはわかっているけど、あと2回から3回は、自分の名前を探してしまうものでございます。

この〇ヶ月のがんばりはなんだったんかなあ、と気が重くなるのは、実に、実によくわかります。

おそらく、発表後、1ヶ月か2ヶ月くらいは、こうした気の重さが続くように思います。

できることなら、さっさと気持ちを切り替えて、これまでやってなかった趣味などを、ばんばんとやっていただきたく存じます。

しかし、一生懸命、心からがんばってきた人は、そうも簡単に切り替わらないものでございます。

さて、しかし、そうはいっても、そんなダウンな状態が続きますと、復帰に時間がいっそうかかってしまうので、切りのいいところで踏ん切りつけて、前向きな姿勢をお取りくださればと存じます。

さて、以下に述べる事は、理想論でありますので、お目汚しください。

まず、全てを見通して、最適な解なり方策を練るなんてことはできないのでございます。

試験は水物でありまして、合格者と不合格者を分けたものは、ホンのちょっとした事でございます。

決して、能力的に劣っているわけでも、やり方が悪かったわけでもありません。

人生には、天使のいたずらとでもいうような、変な瞬間があるものでございます。歯車が噛み合わないときもあるものでございます。

長い目で見れば、こういうときもあるさと、視点を少し伸ばしてお考えくださればと存じます。

そして、長い目で見れば、不合格によって被った徒労など、所詮は「1年」の話しでございます。

ついふらふらと押した印鑑で、数年数十年をダメにすることだってあるんでございます。

ついつい軽い気持ちでしたことが、巨額な負債を背負い込むことだってございます。

不合格など、何の経済上のリスクもないし、社会的な信用を失ったわけでもありません。

失敗のレベルからすれば、なんてことはない種類にカテゴライズされるものでございます。

自分以上に困っている人、重荷を背負っている人だっているのですから、置かれた自分というものを、もっと客観的に見てくださればと存じます。

不合格という現実は、過大に考えれば過大になるけど、幾らでも過小に考えることも可能でございます。

いってしまえば、結果は不合格になったとはいえ、みっちりと勉強できた時間があったことこそ、人生のなかで穏やかな日々とも言えるのでございます。

毎日借金取りに追われている人、金策に回っている人も、本当にたくさんございます。

勉強できたことが、好日だったんだと思えば、不合格のことなどあまり思わなくなるものでございます。

また、もう1年勉強をするということは、合格後の勉強を先取りしているんだと、考えられなくもありません。

基本的に、試験に合格しても、合格後に勉強しなくてはならない事は多々ございます。

いざ実務を執る身になって、試験勉強でやってません、とか、試験で出そうになかったので見てません、なんて言い訳は効きません。

そんなことにならないための勉強を今、みっちりとやっているんだと思えば、再びの試験勉強にも、新たな意味を見出せるように思います。

不合格を単に無駄で徒労で失敗したこととだけとしか考えないか、意味を深めて「次」を見て取るかは個人の自由でございます。

わたくしは、よくよく自身の経験から汲み取る人が、成功できる人のように思います。