必ず、完全な休み・完全なるオフの日をお取りになりますよう、ご助言させていただきます。
まず、わたくしたちが踏まえておかねばならないのは、お勉強をしていますと、同じようなプレッシャーと同じようなストレスが募るということでございます。
金属疲労というのは、同じところに同じような力が継続して加わった際に、起きる現象でございます。
どんなに硬いものでも、同じところに同じような力で押されたりこすられたりすると、いつしか、必ず、そこが壊れてしまうのでございます。
一滴一滴の水でも、石を穿つのと同じ理屈でございます。
お勉強をしていますと、大概は、同じようなプレッシャーとストレスに遭遇するものでございます。
たとえば…
お勉強をしなくちゃ。勉強しないと。こんなんで受かるのか。不合格になったらどうしよう。できない。忘れた。
まあ、こんな風な思いを、お勉強を続けている間は、常に抱いているものでございます。
これらのプレッシャーやストレスの1つ1つは、耐え難いものではありません。
強度としては、それほど強くはないのでございます。
しかし、お勉強といいますのは、大概が長丁場にわたるものでございます。
ここが、重要なところでございます。
1つ1つのプレッシャーやストレスの強度は低くても、それが、長時間・長期間、晒されますと、結構なダメージとなってしまうのでございます。
そら、しなくちゃ・しなくちゃと、毎日毎日思っていれば、ぐったりもしてくることでありましょう。
低プレッシャー・低ストレスの困ったところは、急に顔を現す点でございます。
ぱたんと、急に、なぜだか、不思議に、やる気というものがなくなってしまうのでございます。
どうしても、したくなくなってしまうのでございます。どれほど、鼓舞してみても、メンドクサイ気持ちが先に立ってしまうのでございます。
こうならないのが、独学のコツでございます。
いったん、『どうしてもしたくない状態』になってしまいますと、そこから抜け出すのに結構な時間がかかってしまうのでございます。
当然の如く、かなりのロスとなってしまいます。
また、無理やりお勉強してしまうと、よりいっそうやらなくなって完全挫折してしまうこともあるので、かなり危険な状態でもございます。
再度申しますが、こうはならないのが独学のコツでございます。
こうならないためには、完全に、お勉強から離れる完全な休息の日を、10日に1日・2週間に1日は、もって欲しく思います。
言ってしまえば、お勉強からの解放日を設けるのでございます。
その日だけは、完全にお勉強のことは忘れます。1ページ読むとか1問でも解くとかすら、行ないません。
1秒ですら、お勉強のことは、頭に思いません。まったくお勉強をゼロにしてしまいます。
お勉強は1日遅れるかもしれませんが、あとあとのお勉強の長期離脱のリスクは、かなり減るように思います。
お勉強といいますのは、継続が重要ではありますが、継続することで生じる長期離脱リスクにも、手を打ってくださればと存じます。
休むのも、お勉強の1つでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | Tags: ストレス, 勉強 | 2010年12月7日 7:27 AM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
まったく個人的に考えていることでありますが、お耳汚しの程、お願いする次第でございます。
お粥の効能でございます。
独学におきましては、何かを軽く食べてから、または、軽く食べつつ、お勉強を執り行うことを推奨するものでございます。
といいますのも、お腹が空いた状態だと、頭がぼんやりして少しも考えられないからでございます。
お腹がぐうぐういっている状態でお勉強をするよりも、ジャムをたっぷり塗ったパンでも食べてからお勉強に入る方が、圧倒的に馬力が違いますし、集中力の保ちも違います。
こうしたことは、これまでに何回か、ご指摘させていただきました。
しかし、問題は、時間帯でございます。
ほとんどの方は、夜の時間がお勉強の時間であるかと存じます。
しかし、夜遅くに物を食べるを言うのは、あまりよろしくはありません。
太るというのもありますが、胃腸が休まらないので、その分、疲労が蓄積されてしまうのでございます。
夜酒はひたすらに身体に毒なのは、夜遅くまで酒を飲むと、アルコールを分解するために、内臓がフル回転したまま、朝を向かえるためでございます。
寝たとしても、1つも内臓は休んでいないというわけであります。
寝ているのに疲れている、というのは、内臓に由来する疲労でありまして、おそらくは、飲酒が大いに関与していることでありましょう。
酒を止めるだけで、天使のような身軽さを味わえますので、飲酒が日常化されている人は、お試しください。
わたくしなどは、身体の軽さの「快」のほうが強くなってしまったので、最近はホント飲んでないです。
内臓というのは、個人の意思で何とかできるものではありません。「消化をするな」と思っても、胃は、入ってきた食べ物を溶かすのみですし、腸は分解された栄養を吸収するのみでございます。
食べれば、どうしても「消化」に動いてしまうわけでございます。
っと、話が長くなりましたが、夜のお勉強のときには、何を食べたらいいか、という次第でございます。
そこで、タイトルにあるように、お粥、でございます。
お粥は病人食でありますが、それは消化がよい、つまり、消化器に多くの負担をかけずに、エネルギーなりを摂れるからでございます。
わたくしなどは、断食空けにうっすいお粥を食しますが、本当に一口啜るだけで、身体に力が甦るのを実感するものでございます。
お粥でも、十分にエネルギーが取れるのだなあと、圧倒的に感じるのでございます。
夏はさすがに無理ですが、寒い冬など、お粥は夜食に最適であるように思います。
お椀タイプのタッパーなり、レンジ用の食器を買って来て、小まめに冷凍しておくのも、「手」でございます。
一椀でも、十分に小腹を満たすことができるように思います。
お勉強は、多大なエネルギーは必要ではありませんが、それでも、まったくなしで済むものでもありません。
胃腸に優しく、低カロリーで太りにくいお粥を、夜のお勉強時の軽食にお当てくださればと存じます。
| カテゴリー: 過去のススメ | Tags: 勉強 | 2010年12月6日 7:24 AM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
『52. バグシーのみがラスベガスを作ることができた。』
「バグシー」というのはわからない。検索をかけたがヒットしない。
スタートレック作中の、台詞の上だけで出てきた人名だろうか?
おそらくは、最初にラスベガスにホテルを建てた人のあだ名である『バグジー』を、もじったように思われる。
(※ ベンジャミン・シーゲル。あだ名はバグジー(虫けら)。フラミンゴホテルを砂漠のど真ん中に建てた。)
この言は、3通りのことが言える。
1つは、先駆者になること。
これは言うまでもなく、1番最初の人が1番儲かることを指す。
もう1つは、先駆者に続くこと、先駆者の利益の分け前にあずかること、先駆者の見過ごしているニッチをさらうということ。
市場を切り開いた先駆者といえども、万能ではない。何か落ち度がある。また、到っていないサービスがあるはず。それを得る。
最後の1つは、本当に今後何十年と価値と富とを生むような、まさに『偉業』というべきことが生まれるのは、常識外のことから生まれるということ。
奇想天外というか、まったく思考の埒外で、キチガイかと思ってしまう人から、『偉業』は生まれる。
奇貨愛すべし、という。
逆を言えば、常識的で、まさに現代風で、誰からも賛同を得るような、マルチタイプの八方美人人からは、『偉業』など生まれないということだ。
ある程度の財を為したなら、大きなリスクは背負うがキチガイの偉業に賭ける。すって文句を言うのは野暮ってもの。
いまだ財は為っておらず、手堅く行きたいのなら、後者の事業の方に投資する。すったら自身の不明を省みる。
———————————————————————
『53. まず売ってしまえ。質問はそれからだ。』
手前勝手なことを言う。
物というのは、いくらでもその下に述語が付いてまわる。
いくらでも説明することができる。いくらでも説くことができる。
しかし、説明や説得の言葉が積み重なるほどに、お客様の方は、混乱していく。わけがわからなくなってしまう。
その商品には、たくさんの述語が溢れかえっているからだ。
混乱した際、人は、行動を止めてしまうことが多い。それか、「保留」をする。
つまり、また今度の機会に、となってしまう。
同じ言葉の応答をするにも、売る前と後とではまったく違う。
このあたりの塩梅を見極めるべし、ということだろう。
———————————————————————
『54. 自分で売ることが出来ないものは買うな。』
実のある言。
生活必需品は得てして消耗品であるから、いつしかなくなる。
必要だから買わざるを得ないわけで、必ず便益がある。
また、生活必需品は、経済上、たいして問題にはならない。問題となる価格ではない。
問題になるのは、それ以外の、嗜好品、器具・備品、什器、機械類だったりする。
現在では、リサイクル屋もあるけれども、ほとんどの物は売れない、金銭価額的には無価値と考えていてよい。
逆に、処分代を請求されるくらいで、リサイクル屋にとっては、ゴミの引き取り代は、うれしい現金収入となっている。
また、実際に「売る」といっても、売れればいいってものでもない。
ガソリンを炊いて古本屋に本を持っていったはいいが、ダンボール3箱で100円なんてこともある。
ばかばかしいわ。
売る際の取引値も、十分に考察してから、物は買わないといけない。
物を買う際は、それが転売できるのかどうか、で考えるべきである。
ちなみに、お金持ちの人は、大概、白のセルシオか、白のベンツに乗っているが、その理由は、その持ち主が白が好きだからというのではなくて、単に、中古車で売る際の下取り価格が高いからである。
売れるかどうかを判別するには、その買うものに対して、豊富な商品知識と市況状況とを有していることが前提となる。
それらを有していないのなら、生活必需品以外は、買ってはいけないのである。
転売できないのであれば、使いに使って、使い果たせるもののみを買う。
| カテゴリー: 過去のススメ | Tags: フェレンギ人 | 2010年12月2日 10:03 AM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |