独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

フェレンギ人のバイブル52〜54

『52. バグシーのみがラスベガスを作ることができた。』

「バグシー」というのはわからない。検索をかけたがヒットしない。

スタートレック作中の、台詞の上だけで出てきた人名だろうか?

おそらくは、最初にラスベガスにホテルを建てた人のあだ名である『バグジー』を、もじったように思われる。

(※ ベンジャミン・シーゲル。あだ名はバグジー(虫けら)。フラミンゴホテルを砂漠のど真ん中に建てた。)

この言は、3通りのことが言える。

1つは、先駆者になること。

これは言うまでもなく、1番最初の人が1番儲かることを指す。

もう1つは、先駆者に続くこと、先駆者の利益の分け前にあずかること、先駆者の見過ごしているニッチをさらうということ。

市場を切り開いた先駆者といえども、万能ではない。何か落ち度がある。また、到っていないサービスがあるはず。それを得る。

最後の1つは、本当に今後何十年と価値と富とを生むような、まさに『偉業』というべきことが生まれるのは、常識外のことから生まれるということ。

奇想天外というか、まったく思考の埒外で、キチガイかと思ってしまう人から、『偉業』は生まれる。

奇貨愛すべし、という。

逆を言えば、常識的で、まさに現代風で、誰からも賛同を得るような、マルチタイプの八方美人人からは、『偉業』など生まれないということだ。

ある程度の財を為したなら、大きなリスクは背負うがキチガイの偉業に賭ける。すって文句を言うのは野暮ってもの。

いまだ財は為っておらず、手堅く行きたいのなら、後者の事業の方に投資する。すったら自身の不明を省みる。

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『53. まず売ってしまえ。質問はそれからだ。』

手前勝手なことを言う。

物というのは、いくらでもその下に述語が付いてまわる。

いくらでも説明することができる。いくらでも説くことができる。

しかし、説明や説得の言葉が積み重なるほどに、お客様の方は、混乱していく。わけがわからなくなってしまう。

その商品には、たくさんの述語が溢れかえっているからだ。

混乱した際、人は、行動を止めてしまうことが多い。それか、「保留」をする。

つまり、また今度の機会に、となってしまう。

同じ言葉の応答をするにも、売る前と後とではまったく違う。

このあたりの塩梅を見極めるべし、ということだろう。

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『54. 自分で売ることが出来ないものは買うな。』

実のある言。

生活必需品は得てして消耗品であるから、いつしかなくなる。

必要だから買わざるを得ないわけで、必ず便益がある。

また、生活必需品は、経済上、たいして問題にはならない。問題となる価格ではない。

問題になるのは、それ以外の、嗜好品、器具・備品、什器、機械類だったりする。

現在では、リサイクル屋もあるけれども、ほとんどの物は売れない、金銭価額的には無価値と考えていてよい。

逆に、処分代を請求されるくらいで、リサイクル屋にとっては、ゴミの引き取り代は、うれしい現金収入となっている。

また、実際に「売る」といっても、売れればいいってものでもない。

ガソリンを炊いて古本屋に本を持っていったはいいが、ダンボール3箱で100円なんてこともある。

ばかばかしいわ。

売る際の取引値も、十分に考察してから、物は買わないといけない。

物を買う際は、それが転売できるのかどうか、で考えるべきである。

ちなみに、お金持ちの人は、大概、白のセルシオか、白のベンツに乗っているが、その理由は、その持ち主が白が好きだからというのではなくて、単に、中古車で売る際の下取り価格が高いからである。

売れるかどうかを判別するには、その買うものに対して、豊富な商品知識と市況状況とを有していることが前提となる。

それらを有していないのなら、生活必需品以外は、買ってはいけないのである。

転売できないのであれば、使いに使って、使い果たせるもののみを買う。

無意味に身体を冷やさない

朝晩、だんだんと冷えてきております。

ご健康の方には、宜しくご留意くださればと存じます。

健康というのは、失って始めてわかるその尊さでございます。その価値でございます。

健康は決して、タダではありません。維持をするにも工夫とお金がかかりますし、治すにもお金がかかるもの。

基本的に、お勉強におきましては、風邪を代表とする病気にならないことが、最も大事であり、効率的かつ合理的なお勉強の第1歩でございます。

独学では、できるだけ無理をしないよう、いましております。

というのも、無理をして風邪を引いたりして寝込んでしまえば、また、風邪を引きつつ生活なりお仕事をすれば、余計にしんどいし、余計に時間が取られるし、余分な手間がかかってしまうからでございます。

本当に、巨大なロスとしかいいようがありません。

お勉強の方は遅れるし、治すにはお金がかかるし、体力も気力も普段より余計に必要だし、本当にロスの2文字しかありません。

無理をしてあとがぐだぐだ・ぼろぼろになるよりも、長期で続けられるように、ご配慮くださればと存じます。

さて、冬に病気にならないためにはどうしたらいいかといいますと、まずもって、身体を冷やさないことでございます。

人間は恒温動物でありますので、体温が低くなれば、熱を出そうと身体はどうしても動き始めます。

熱を出そうとする分、余計に体力を消費しているわけでございます。

つまりは、いつもならウイルスや風邪の菌に抵抗するためエネルギーを、体温の確保のために振り分けなければならなくなる、振り向けるエネルギーが相対的に減ってしまう、といった次第でございます。

汗をかいた下着を着ていると風邪を引くメカニズムは、汗をかいた下着が外気で冷やされる→濡れているのでとても冷たくなる→体温を奪う→身体は奪われた体温を確保しようとする→体力を余分に使う→ウイルスや菌への抵抗力が落ちる→ウイルス・菌が勝利→ウイルスや菌が大発生・大活躍・大運動会→寝込む、といった塩梅ではないかと考えている次第でございます。

汗で濡れた下着を家に帰って即着替えるだけで、かなり身体が楽になった経験から引き出した、小理屈でございます。

身体が冷えると、何のやる気も湧かなくなってしまうので、冷え対策を考えるべきかと存じます。

以下わたくしがやっていることですが、ご参考までに。

まず、型落ちで色も落ちて、もう捨てようかなという衣類を用意いたします。要らなくなったジャンパーが最適でございます。

それを、腰に巻くのでございます。これだけです。

何らかを衣類を腰に巻きつけておくと、そこに空気の層ができるといった塩梅で、腰部と背中の暖かさは、かなり改善いたします。

お勉強というのは、どうしてもじっとしてしまうので、空調を効かせていても、何となく薄ら寒いものでございます。

南国並みに空調を設定すればいいのですが、自分の居る机一畳の空間さえ暖かければいいのに、部屋全体を南国にするには無駄だなあとしか思えません。

そこで、身体が発している、もともとの体温を逃がさずに、有効利用しようといった次第でございます。

空気というのは良質の絶縁体でありまして、毛皮のある動物がなぜ服を着なくても寒くないかというと、毛の構造にあります。

毛の中心が空洞となっていて、自身の体温を閉じ込めることができるのでございます。

ですから、南極でも、熊やペンギンは暮らすことができるのでございます。

さて、話を元に戻しますと、「巻く」というのがポイントでありまして、ジャンパーの類を部屋のなかで着るとごわごわするし、重いし、肩は凝るしで、あまりよろしくないのでございます。

それが、巻きつけると、軽いし、動きやすいし、脱着は容易になって、勝手が良くなるといった次第でございます。

腰周りの部分をすっぽりと覆っておくと、結構な熱量を確保できます。次第にぽかぽかっとして参ります。

お勉強も体力勝負でございます。

身体の冷やさないことで、お勉強へのやる気や意欲、体力をご確保くださればと存じます。 

諦めはあきらめて2

諦める際の、判断について一言申し述べておきたく存じます。

「諦め」の言葉遊びでございます。

諦める際は、「空き」はあるのかどうかを確かめることを、推奨いたします。

空きの代表的なものは、まず、「時間的な空き」でございます。

試験というのは、努力が結果にストレートに反映致します。

お勉強に時間を割けば割くほどに、高確率で合格できるようになるのでございます。

たくさん勉強をしたら合格する可能性も上がるわけでございます。

ですから、そもそもの時間がないと勉強ができず、勉強ができなければ、それ相応に合格の可能性は低くなってしまうのでございます。

平均勉強時間が1000時間かかる試験ならば、穏当に、1000時間要ると踏んで、時間の配分や計画を見ておくべきでございます。

お勉強には、そもそも時間が要ることを、いうなれば、時間の空きがあるのかどうかを、まずもって確認です。

どう塩梅しても、合格に必要な勉強時間が捻出できないのであれば、潔く、お勉強は諦めるべきでございます。

物理的に無理ですので、状況の変化等があって、時間ができたときに再開、としたほうが賢明でありましょう。

次の空きは、「場所の空き」でございます。

勉強する場所というのは、想像以上に重要でございます。テレビの音が鳴り渡るリビングや、子供が走り回っている中では、到底、上質なお勉強は不可能でございます。

独りになるところが絶対に必要なのでございます。

学校の銅像で有名な、薪を背負って読書する二宮金次郎は、アレはアレですよ、薪を運ぶという個人的な時間と空間と場所があったからこその読書でありまして、集団のガヤガヤした中なら、到底、勉強などできなかったことでしょう。

お勉強というのは、個人的な作業でありますから、どうしても、独りにならないといけないのでございます。

そこで、独りになる場所があるかどうかを、お確かめくださればと存じます。

図書館や公共施設など、勉強場所を開放しているところは多々ございます。

また、お金はかかりますが、カフェやファストフードも、独りになれるところでございます。

長居すると嫌な顔をするカフェもございますが、カフェ激戦区では、誰一人客のいない活気のない雰囲気を恐れますので、時と場合によっては内心喜ばれるところもございます。

そうしたところを、見つけてお勉強するのが宜しいかと存じます。

最後に、「気力的な空き」でございます。 

心に、お勉強のことが入る空きがあるのかどうかを、お確かめくださればと存じます。

お仕事や家事・育児で、忙しくてんてこ舞いな毎日になったのなら、お勉強は諦めた方が宜しいかと存じます。

もう1個荷物を背負うような真似はしないほうがよいでしょう。下手に無理をしたら、全部ダメになります。

プライベートが宙ぶらりんのときや、目の前の仕事にも慣れ、そつなくこなしていて余力があるときが、お勉強に入るベストなときかと存じます。

心や精神力というのは、見えないからいくらでも無理ができてしまいます。

 しかし、無理を続ければ破綻が待っているのは、世の習いでございます。

気持ちに空きがなく、お勉強が入らないのであれば、諦めが宜しいかと存じます。

以上、諦める際には、上記3つの「空き」の有無から、ご判断くださればと存じます。