独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

もう一度やりたいのか!

お勉強が嫌になってきたら、こう唱えるとようございます。

また、お勉強への緊張が緩んできたら、以下のように唱えるとようございます。

またまた、やる気はあるんだけど、身体が机に向かないときにも、唱えるとようございます。

『もう一度、やりたいの?』と。

こんなことを、もう一度やりたいのかと、新ためてお考えくださればと存じます。

想像力を、働かせてくださいませ。

無味乾燥なテキストを来年の今も読むの?

そのまえに、改訂版を買わないといけないかもね。

また、○○千円飛んでいくことになるね、もったいない。欲しかったアレは買えるし、やりたかったアレもできるよね…。

もっともっと、リアルにイメージしてみましょう。

…好き勝手に問うてくる問題集を、またやるの?

ホント、何言ってんだろうね、この人たちは。

おめえ達はよく知ってるからそういえるけどさ、こっちは知らんのよ。

手元にはなんだ、資料やら法令やらがあるからさ、そんな風に言えるけど、何にもない空手でやってごらんよ。できねえからさ。

もっともっと、リアルにイメージをば。

こんな本にさ、もう1年付き合うだけの価値はある?もっとほかに付き合うべき本、人はあるんでないかい?!

過去問はさー、まあ、買い替えはしなくていいかもだけど、ま、もう一度「やる」のは、時間の無駄だよね…。

もっとイメージは膨らませることができるように思います。

お勉強の個々についても、お考えください。

電話帳並の厚さの過去問を、またやる?ホント好きね。

っていうか、自分がなにが好きだったのかも、忘れそうだよね。

暗記の作業はめんどいなあ。またメモ(カード)にするのか。電車の中で憶えなおしか。

…などなど、様々に想像ができるように存じます。

不幸にも落ちた後で、発奮しても全く意味はないのでございます。

不合格になる前に発奮して、がんばらないといけないのでございます。

不合格になってから、気合を入れるのでは遅すぎるのでございます。

本試験が来る前の、いまこの1時間と、今日1日は、とても意味があるのでございます。

試験後には、正確にいうと、合格後はいくらでも、のん気にできるのでございます。

時間の価値をいま一度、計り直してくださればと存じます。

もう一度、同じ事をしたくないと心から思えば、幾ばくかの力も湧いてきます。

そこから少しでもやれば、心はスッキリ致しますし、それが、新たな力が生まれる源泉ともなります。

サボるのは先にいくらでもできるのですから、今このときを踏ん張って、お励みくださればと存じます。

『もう一度やりたい?』と自身に問うことで、強烈な活を入れてくださればと存じます。

予習

独学で最も重要な作業は、いわずもがな、復習でございます。

復習せずして合格できるなかれ、といえるくらいに、復習は重要な作業でございます。

この点、お忘れなきよう、ご留意くださればと存じます。

さて、復習とはもう1つ、「習」の名のつくものがございます。

そう、タイトルにありますように、予習でございます。

さて、この予習はどうしたらいいか、が本日のススメでございます。

まず、重要度から申しますと、復習のほうが大事でございます。

1時間という限られた時間しかないのであれば、やるべきは、圧倒的に復習でございます。

極言すれば、予習などしなくてもよい、ということができます。つまり、予習をする時間があるなら、復習をせよ、というわけでございます。

しかし、じゃあといってはなんですが、予習は全く無意味なのかといいますと、そうでもありません。

やるべきことを、先取りできるという点につきましては、実に効のある作業でございます。

まず、先にやってしまうことで、調子付きます。本学習の際には、既視感がございますから、進み具合は多少良くなるものでございます。

そして、すっきり感がございます。

少しでも、先のことをやると、心のモヤモヤが晴れるといいますか、予習をして先に何をするのかを把握するだけ、殊の外、すっとするものでございます。

また、予習の分量もよきものがございます。

予習といいますのは、ほんの、ではありますが、数ページ・数問程度を行なうものでございます。

しかし、このちょっとしたことが、お勉強の「量」のアップに通じるのでございます。

数ページ・数問を余分にやることで、それがあとあとで、時間あたりの勉強量の増加になっていく次第でございます。

こうした「量」のアップがいい経験となって、今後の勉強量の増加につながっていくのでございます。

このように、予習は悪くはない作業ではございます。

時間に余裕がある人は、予習の機会を設けて、次に勉強することを前もってやっておくのはよろしいように存じます。

しかし、やはり、お勉強におきましては、復習のほうが大切だといわざるを得ません。

復習をやって、日々のお勉強を済ませ、そしてなお、余力と時間があるのでしたら、予習というプラスを行なってくださればと存じます。

逆を言えば、予習が、復習や日々の勉強の支障になっているならするな、といった次第でございます。

まず、第1に復習を、次に日々のお勉強を、最後が予習、でございます。

フェレンギ人のバイブル58〜60

『58. 時として、友情は高くつく。』

友情は、明治以後に生まれてきた「情」である。歴史は浅い。

情の関係というのは、君臣と家族くらいであった。

友情は、有史以来あるものではない。友情がすべてなんてことは、歴史のなかでこれっぽっちもないので、勘違いをしてはならない。

友情賛歌は、まさに戦後のものである。

われわれはまず、気の合う友達同士で、商売をしてはいけない。

友情と商情は全くの別物である。

友達の関係と仕事の関係は全く違う。

部下や上司、取引先、取引銀行の人間を、友達扱いする人はいない。それぞれに背負っているものがある。

逆に、友達風の顔をして近づいてくる者には、注意する。

気が合うから商売がうまく行くわけではない。

気が合う同士なら利益が出るわけでもない。

気が合う同士だと、言えることも言えなくなってしまう。その人との関係が重要だからである。

しかし、商売では、人との関係より、お金と物と信用との関係の方が重要である。

この点、勘違いをしてはならない。友達同士でやり始めた商売は、大概傾く。

残るのは、大きな借金とぎくしゃくしてしまった人間関係である。

せっかくの友情を、商売でダメにしてはならない。

———————————————————————

『59. ただの忠告は絶対、高くつく。』

タダで情報を得ようとしない。

実になる忠告を得ようとするなら、まず先に、謝礼を差し出すように。

忠告の後で、お金を出してはいけない。

そうすると、向こうも真剣に話を聞き、知恵を絞って解決策や、便宜を図ってくれる。

お金は魔力があって、1千円でも渡すと、実に違う。お小遣いは伊達のパワーじゃない。

逆を言うなら、タダで得た忠告など、いかほどの内容があろうか、といった次第である。

適当に考えたもの、思いつきで言ったもの、いま世の中で流布されている耳ざわりのいいものをパッケージしたものばかりであろう。

いざやってみようとするなら、少しも役には立たないか、それか、判断を危めるものなのである。

フェレンギ人は、『絶対』に、と言い切っている。

わたしも、タダで得た忠告・情報で、自身の重要な決定をするようなことは、愚かであるように思う。

タダの忠告で決めてもいいのは、晩飯のメニューくらいである。

———————————————————————

『60. 口先だけで何とかなる時は、絶対ラチナムを使うな。 』

 確かに、お金で解決が付くのなら、さっさとお金で解決してしまえばいい。

また、逆を言えば、お金で方が付くなら、そうたいした問題ではない、ともいえる。

しかし、なのである。

だからといって、即、お金で解決しようとしてはいけない。

まずは、信義の問題である。倫理の問題である。

問題の対象者と話し合いもせず、金で解決しようとするのは、人情を無視した卑劣な行為であるといえる。

お金が解決するのは、もはや他の方法では解決が付かないから、仕方なくお金で解決を図るのである。

懐がお金が満ちようと、失った信用と愛は、再び、絶対に戻ってこないのである。だから、仕方ないから、止むを得ないから、解決を「金」にしているだけなのだ。

もし、富士山に10回登れば、愛が戻るというのなら、そちらを選ぶ人のほうが多かろう。

お金第一のために、問題化しているのではないことを、重々、踏まえておかねばならない。

さもなければ、さらに問題を悪化させることとなろう。そして、こじれた問題は、賠償額をえんえんと増やし続けるであろう。

次に、なんでもお金で解決しようとするのは、お金の無駄遣いでもある。

話し合いで解決できることは、話し合いで解決しようとして、絶対にそこから引いてはいけない。

1回でも引けば、必ず次に足元を見てくる奴がやってくる。恐ろしいほどにやってくる。

 最後の最後のギリギリまで、引いてはいけない。お金によって安易に解決しようとすると、余計に損をする。

振り込み詐欺など、まずはお金で解決しようとした者の末路である。

自身の息子なり娘が法を犯して迷惑をかけたなら、まず、被害者になった人との、話し合いからであろう。

没倫と不法とは、結局、高くつくのである。