独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

混乱しだしたら知識が付いた証

お勉強が進んで参りますと、だんだんと頭がごちゃごちゃに、ウニになったような状態となるものでございます。

ほんとこう、テキストの各ページを思い出そうとしても、もやもやとしております。

あそこのあれを説明しようとしても、うまく言葉が続かずに、ごちゃごちゃとした表現になってしまいます。

○○の章を一言で述べようとしても、しっちゃかめっちゃかなものになっております。

重要な語句や用語、定義文が、くちゃくちゃになっております。

こんな状態になってきたら、いったんお勉強の方の速度を落として、テキストの精読で知識を整理することを推奨いたします。

それか、いったん、頭のこちょくちゅ・モヤモヤ事項を紙に書き出してみるなり、ノートにまとめるなりするのも、ようございます。

基本的に、こうした状態は悪いことではないのでございます。

逆に、お勉強の調子が良い証でもございます。

混乱や混沌は、それ即ち、お勉強を通じて、多くの語彙や知識が頭の中に入っている証でもあるのでございます。

何にも入っていないのなら、混乱すら起きません。

混乱している状態のそれこそが、実力が付いてきた証左でもあるのでございます。

あまりおつむのよくない人はすっきりした顔をしていますが、そういうことでございます。

つまり、混乱するほどのものがない、というわけでございます。

当の本人は、整理して憶えたり理解しているつもりでも、どうしても、頭の中で未整理の部分ができるように思われます。

先の「こちょ・くちゅ・もや・ざわ」なんて擬態語で表現される、混乱したら状態に到りましたら、「ああこれは知識が付いた証拠だ」風に捉えて、これまでお勉強したことの整理に努めてくださればと存じます。

逆の、夜目・遠目・笠の内

先日のススメでは、「夜目・遠目・笠の内」の現象について、申し上げました。

ならば、なのでございます。逆にやってみれば、いいんではないかいな、と言うわけでございます。

つまり、「夜目・遠目・笠の内」できれいに見えてしまうのであれば、つまり、何とも思わぬ人から好意を持たれてしまうのであるなら、その逆をすれば、すんなりと別れられる、離れていくといった次第でございます。

つまり、しわがくっきり見える明るいところで、毛穴の汚れがまじまじと見えるくらいの近さで、眼鏡やコンタクトを外した裸眼状態で、その御顔を見せ付ければいい、といったわけでございます。100年の恋も急速解凍でございます。

別れ上手は恋上手なんて申しますので、別れたい人がいる際は、お試しくださればと存じます。

さて、お勉強においても、逆の夜目・遠目・笠の内、でございます。

まず、夜目の逆バージョンでございます。そう、「朝目」でございます。

夜にお勉強をすると、何とも難しかったりしち面倒くさく感じるのであれば、逆の、朝にやってみるというわけでございます。

朝と夜とでは、物事の感じ方は大きく違ってまいります。

ですから、お勉強上の難所などは、朝にやってみると、夜のお勉強ではすんなり行かなかったところが、さっくと進んでしまったりするものでございます。

夜の目でダメなら、朝の目で見てみる、といった次第でございます。

次に、遠目の逆でございます。つまり、「近目」でございます。

お勉強ですべきことを、ずうっと遠巻きにしておりますと、実体以上に難しくなってまいります。

ならば、逆の、ずうっと近くでいれば、難しく感じなくなるのではないか、といった次第でございます。

お勉強におきましても、慣れというものがございます。

ですから、わからずとも、???であっても、砂を噛む時間ばかりであっても、毎日見ていれば、だんだん難しさも和らいで参ります。

なんだか嫌で距離をとっているものがあるときは、勇気を以って近くで眺め見暮らしてみることを、ご助言させていただきます。

さて、最後の「笠の内」でございます。つまり、笠を外して、目の前の障害物を除いてから、見てみよ、といったわけでございます。

わたくしたちは、目の前のテキストや問題集を見る際に、どうしても、「合格」や「試験」といったフィルターで見てしまっております。

試験勉強でありますから、それはそれで仕方がないのですが、フィルターがあるばっかりに、簡単なことでも難しく、どうってことないものが難関に見えることもございます。

いったん、試験や合否等から離れて、目の前のことを見るように致しますと、すっと解決方法が見えてくるものでございます。

こんな風に、逆の「夜目・遠目・笠の内」があることを、意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。

お勉強にも夜目・遠目・笠の内

「夜目・遠目・笠の内」とは、女性がことさらに、一段ときれいに見える状態を指した古言ございます。

夜目とはつまり、暗いところにいると、暗さという照明効果で、きれいに見えるという次第でございます。

黒系統の服が好きな人がおられますが、それは、暗さの照明効果を享受し、自身の美しさを引き立たせようとするのでありましょう。

事に及んで、電気を消しておくれでないかい、というのも、まあ、そういうことでありましょう。

遠目とは、そのままではありますが、きれいに見せたいのなら、遠くから見せるべし、つまり、近づけさせない、という次第でありましょう。

まじまじと近くで顔を見られたら、そらまあ毛穴の汚れやら肌のへなへな加減が見えてしまって、100年の恋も冷め切る急速解凍でございます。。

ですから、できるだけ、遠くから見させるのがよい、というわけであります。

よく美人には、人を近づけさせない空気がありますが、それも美しさの演出の1つなのでありましょう。

笠の内というのは、時代をさかのぼる江戸時代の雨具「笠」の中から見ることであります。

笠には、前が見えるように無数の穴が空けられているわけですが、そのうっすらと見える視界が、女性をきれいに見させるのでありましょう。

「きれい」というのは、言ってしまえば、目の現象なのでありますから、「夜目・遠目・笠の内」などの人為的な操作を加えることで、殿方連中の気持ちを操作するという、昔ながらの女性の知恵でございます。 

男性方は、こうした女性のマニュピレーションについて、よくよく知っておくべきかと存じます。

さて、お勉強の話に戻りたく存じます。

お勉強といいますのは、基本がめんどくさいものでありますから、やっぱり、ことさらに、実体以上に「めんどう」で「しんどく」感じるものでございます。

しかし、その思いの2割から3割、下手をしたら5割くらいは、「夜目・遠目・笠の内」の如く、錯覚なのでございます。

いざやってみたら、それほどでもなかった、そんなに難しくはなかった、なんてことは、ざらでございます。

わたくしたちの、認知といいますか、認識といいますか、感じ方というのは、結構、ブレがあって幅もございます。

ですから、やる前から、うんうんと考えずに、まあざっとでもやってみることをお勧めする次第でございます。

また、先の科目にめんどくさそうなものがあるときは、ちょこちょこと軽くでいいので見に見を重ねて、自身の認識をブレをご修正くださればと存じます。

よく見えてないからこそ、「余計に○○して」見えていることを、意識の片隅にでも置いていてくださればと存じます。