独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

気分が変わるのがよき休憩時間

休憩時間というのは、娯楽の時間ではありません。

つまり、自分の好きなことをすればよいわけではないのが、休憩時間なのでございます。

もし、「娯楽」で行こうとするなら、ある程度の時間を設けて、心底わあっと楽しむべきであります。

あとあとで、勉強なんて重荷を背負って娯楽るものでもありませんし、10分や15分程度の短い時間で娯楽る必要はないように存じます。

休憩時間は、気を休め、気分を落ち着け、リフレッシュするための「短い時間」であります。

言い換えれば、休憩した後は、心持ちスッキリしておらねばならないのでございます。

『本当に、リラックスできているか?』が、休憩時間の考察点の1つであるかと存じます。

つまり、休憩したのに、気楽な感じになっていないなら、その休憩時間は失敗であったか、不適当であったわけでございます。

休憩時間に、たとえば、仕事関係のメールを読んでうんざりしたり緊張したり、ネットの画面を見て目が疲れたり、ゲームをして気分がイラついたり、ま、こういう状態になった休憩とは、あまりよいものではないように存じます。

ベランダに出て外の空気を吸う、外で深呼吸をする、適当な雑用をする、体を動かす、腕立てをする、腹筋・背筋をする、お茶を淹れる、一杯を楽しむなどなどが、休憩の内容としては、最適かと存じます。

休憩時間にお茶を飲むのが多いのは、お茶を淹れるにはお湯を沸かし、カップを温め、茶葉を用意し、葉を湿らして蒸し、蒸している間にお茶菓子か軽食を用意し、お湯を注いでおいしく淹れるという、勉強とは違う多数の作業があるがゆえに、『お茶』が気分転換になるのでございます。

気分が「すぅ」とするのが、よき休憩でございます。

よく休める人が、がんばれる人のように存じます。

もっというなら、がんばるしかできない人は、全く何もしない人に近い、とも申せましょう。

どちらも両極端であって、がんばり続ける無理をしていれば、早晩、心身の調子を崩して、破綻するに決まってございます。だからこそ、「何もしない人」に近いのでございます。

休憩時間を見直しを、お勉強に倦んだ際には、やってみてほしく存じます。

「何で休むか?」を考えることが、これがまた、いい休憩時間になったりします。休むことを考えるのは、意外に楽しい時間です。

勉強時の貧乏ゆすりは、是か非か

お勉強を始めると、何だか、無性に貧乏ゆすりをしたくなるものでございます。

貧乏ゆすりは、一種のストレス緩和であると言われております。

よく学生が、鉛筆やシャーペンを指先だけで器用にくるくる回していますが、それも「ストレス緩和の一種」であるといわれると、ナルホドと納得できるものでございます。

わたくしも高校生時代は、筆箱やら定規、更には、丸めたノートまで、くるくると回しておりました。よほど勉強が嫌だったのでしょう。

ま、貧乏ゆすりとは、足なり指をカタカタと動かすことで、プレッシャーを身体から外にそらしている、ストレスへの直面を回避している、ストレス源から即逃げられるように準備運動している、といった代物なのでございます。

お勉強そのものがストレスの「塊」でございます。

確かに、お勉強に際して、足なり手なりが、ぐらぐらと揺れだすのも、致し方のない面がございます。

勉強は少なくとも、アハハと笑いながらできるものではありません。何かしらの思いや感情を、抑えつつの作業でございます。

さて当該、見た目はよろしくない貧乏ゆすりですが、わたくしは、貧乏ゆすりを「是」と致します。

貧乏ゆすりでストレスがそらされて、多少なりともお勉強が進むのであれば、それはそれで「是」であります。

(めんどくせえなあ)と思ってやらないくらいならば、貧乏ゆすりでもして、やったほうがよいでしょう。

お勉強というのは基本、個人単位でやるものですから、この際、他人の視線など無視してよろしいかと存じます。

 

しかし、過ぎたるはナントヤラン、でございます。

貧乏ゆすりがそれこそ、手や足のみならず、両足を左右に振るようになったり、両方の太ももが上下するようになったりと、身体全体が振り子のようにゆれるのは、どうかと存じます。 

お勉強開始後、身体が波打つくらいにゆさゆさと、前後左右上下に揺れるようなら、頭では「勉強!」と思っていても、身体ではまったく「NO!勉強!」と相なっている証でございます。

心身の状態が、全く反しているが故の「揺れ」であることを、ご理解ください。

自分の状態が、少しもお勉強に向いていないのに、無理に無理を重ねても、少しも頭に入って行きません。

ヒールの高い靴を履いて100mダッシュをするが如しでございます。 

わたくしも、超絶にめんどくさい作業をしなくてはいけないときは、身体が揺れ始めます。

そういうときは、だいたいうまくいかないことに、気づいております。

貧乏ゆすりは、一種の身体のサイン。貧乏ゆすりの強度・あるなしで、勉強できる状態かどうかを計ることができます。

軽い貧乏ゆすりならまだしも、身体全体が波打つようでしたら、お勉強に入るのはやめて、ストレッチか体操・運動・腕立てでもして、心身の状態を整えることをアドバイスさせていただきます。

衝立・屏風で勉強空間を

勉強に当たって必要なのは、「個」となる空間でございます。

本居宣長が、往診の途中で切り株に座り、学問思案をした話は有名でございます。

他人がいると、それが親であれ友達であれ、気がそっちに行ってしまうのでございます。

ですから、「個」となる環境が必要なのでございます。

さて、理想は勉強部屋を設けることですが、そうそう、ほしい→はいどうぞ、てなわけにもいきません。

そこで、お知恵拝借となるわけですが、江戸の長屋暮らしが参考になるかと存じます。

江戸の長屋というのは、6畳一間という狭い部屋なのですが、そこに家族が3人なり4人暮らすわけで、プライバシーなど少しもないわけでございます。

しかし、プライバシーは、なくて済むものでもありませんので、何とかして「個」の空間を設けていたわけです。

そこで登場するのが、今では古民具となっている、衝立や屏風でございます。

自分の左右にポンと置くだけで、あら不思議、絶妙な「個」の空間が生まれます。

オフィスのコンパートメントために設けられている、プラスチック製の壁を思い起こせばよいかと思います。

いうなれば、人の視線をさえぎるもので、勉強者の周りを囲めば、そこに「個」の空間が生まれる、という次第でございます。

屏風・衝立的なものが1つあれば、部屋の角っこに机を持って行って、もう片方の空き間に屏風・衝立的なものを置けば、立派な「個」の空間が出来上がります。

人がいるリビングで、しかめっ面をして勉強しても、煙たがられるだけでございます。

衝立や屏風は今となっては売ってませんが、たとえば、ホームセンターなどでよくある、服かけみたいなもので十分、代用できるように存じます。

卓球の練習場にあるような、ビニールを張った柵なんてものもよいかなと思います。(卓球フェンスというようです。)

なかなか勉強の空間が手に入らないときは、屏風・衝立モドキを自作することで、他人の目をそらして、個の空間を設けくださればと存じます。

勉強する方も、される方も、かなり気兼ねがなくなるように存じます。