独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

何で焦らすのかな。急いで何のトクがあるのかなあ。

子どもに対しては、「急に」、「急いて」、何かをさせないことは、大切かと思います。

つくづく思いますが、いい大人だって、始めてやる事というのは失敗しますし、慣れてないことは上手にできないものでございます。

自分のことを棚に置いて、「早くやれ!」なんて言うのは、まるでマスメディアのように、卑怯卑劣でございます。

ぐずぐずしている子も、その子なりにあーだこーだ考えてやっているのでございます。

それを「ぐずぐずしない」なんて言っちゃいますと、その子は、だんだんと考えることを放棄し始めて、上手に考えられないようになってしまいます。

その子は、(なんでこんなことをしなくちゃいけないのかなー)と思っていたり、他ごとに意識が飛んでいたり、例えば、靴を履くのに時間がかかるときは、靴を履くこと以上に、靴の形態に興味津々であったり、ビニルの肌触りや靴下との接触感を不思議に思っているのでございます。

中には、(何で靴なんてはかないといけないんかなーはだしの方が気持ちいいのになあー)なんて思っているかもしれません。

「ぐずぐずするな」といえるのは、その子はもうじゅうぶんに練習なり訓練をして、「できること」なのに、嫌がって愚図っているときでございます。

水遣りやら掃除など、ちゃっちゃとやった方がいいのに、だらだらやっているときには、「できるんだから、ちゃっちゃとやれよ」と言うのは、『理(ことわり)』がありましょう。

わたしは、大人と子どもをあまり区別しない人でございます。

性差がないのが「子ども」で、性差があるのが「大人」だくらいにしか、考えておりません。

大層な違いがあるわけでなく、似たものであるとしか思えないのでございます。

急いては事を仕損じる。短気は損気、なんて申します。まさに、大人のためにある格言かと存じます。

下手に急いでも、失敗してその後始末をすれば、急いで得たものなど吹き飛んでしまいます。

子どもだってそうなら大人だってそうだし、大人だって「相変わらずそう」だから、格言やことわざが未だに残っているわけです。

わかりたくてできるようになりたいのなら、子どもも大人もともども、「急く」ことは、ほどほどにしておくべきかと存じます。

やわらかい鉛筆(2BやB)を使おう

大人といいますか、いい年齢になると、使用する筆記具は主にボールペンか、洒落た人となると万年筆になるものでございます。

お勉強におきましては、上記筆記具に加えてシャーペンが、メインの筆記具となるものでございます。

確かに、それらも結構至極でございます。

しかし、「書き味」なるものはやっぱりあるものでして、紙と筆記具の接触感があることを、頭の片隅にでも置いていてくださればと存じます。

お勉強となりますと、やはり、ノートなりコメントなりメモ書きを多々行うものでございます。

そんな折に、すらすらっと書ける、力を入れずに書ける、力まなくていい筆記具の存在は、長期的な観点からすると、無視できないものがあるのでございます。

ときには、ボールペンやシャーペンの利用を少し控えて、鉛筆、特に、柔らか系の2BかBの鉛筆を使ってほしく思います。

何とも、やわらかくて、太くて、微妙にいい感じがするのでございます。

人によっては、筆圧の強い人がおられます。わたしもそうなのですが、たくさん書くと妙に手首や肩、背中が凝ったりする人でございます。

 お勉強をすると妙に疲れるという人は、無駄に・余計に・意味もなく・無意識的に、グイングインという感じで、身体の特定の部分に「力」が入り過ぎている可能性がございます。

この点、2BやBのようなやわらかくて、力むと上手に書けなくなる鉛筆を用いると、無駄な力の存在を意識できるかと考える次第でございます。

あー無駄に力が入ってるからしんどいんだな、と思えば、何かとこれまでに至らぬ存在について、認識が及ぶように考えます。

「知らないものは探せない。」と古人は言いました。

ちなみに、鉛筆表記の「H」はHard、「B」はBlack、「F」はFirm(しっかりした)を意味している、とのことでございます。(BY wiki)

「できる」ことをするのはしんどいから、「できない」を隠し味に

「できる」ことをするをするというのは、結構しんどいものでございます。

「できる」ことというのは、結果が見えているものでして、ただ一言、精神的にかったるいわけでございます。

(できるなら、やらなくていいじゃん)というのが、普通の人のいたって常識的反応でございます。

「できる」ことを真面目にやる人というのは、よほどに人間ができているか、それとも、金銭的背景があるからでありましょう。

しかし、です。

できることでも、敢えてやらなくてはならない場面というのは、試験勉強においては、多々ございます。

試験勉強の「できることでも、敢えてやらなくてはならない」の代表は、復習でございます。

試験勉強においては、何度も読んだテキストを、またも読まねばならなかったり、何回も解いた問題をやらねばならないことが多々ございます。

何度も何回もやっているわけですから、穏当にできてはいるのでございます。

復習とは、できるが故に、めんどくさくて、かったるいのでございます。

しかし、これを逆に言えば、ある程度の「できない」要素を含めれば、その「できない」が追加される分、「できることをやるのはめんどくさい」が緩和されるといった次第でございます。

復習をしなくてはいけないが、めんどくさいなあと思うときは、「ちょっとできないかな」要素を、『隠し味』で入れるのでございます。

たとえば、「時間の計測」でございます。

読めることは読めるし、解けることも解ける。しかし、じゃあ、『はてさて、30分でできるのかな?』といった寸法でございます。

たとえば、『通勤時間中にできるの?』といった風に場所を変えてみたり、『朝1に見て、すらすらっとできるのかい?』といった風に時間帯を変えてやってみる塩梅でございます。

「なんだかできないなー」の要素を入れると、「できるからめんどくさい」が程よく中和されて、何とかやっていく気持ちになるのではないかと思います。

自分を上手に騙すことは、試験勉強においては、有効な手立てでございます。

蛇足ですが、夫婦生活も「自分騙し」の範疇に含まれるのではないかと、忖度する次第でございます。

多少の困難が、刺激と継続をもたらすのでございます。