独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

インスタントコーヒーはレンジでチン

インスタントコーヒーのおいしい淹れ方としては、『よく練る』がございますが、今回ご紹介いたしますのは、タイトルのママ、『レンジでチン』でございます。

さて、そもそも、どうして『よく練る』とインスタントコーヒーがおいしくなるかといいますと、インスタントコーヒーの粒子が「大きい」からでございます。

ですから、粉をカップに淹れた後、少量のお湯を注いでグリグリ練ることで、粒子の一粒一粒を壊して、味わいを増やすって寸法なのでございます。

インスタントコーヒーがフリーズドライで作られているのを逆手に取った、よき淹れ方かと存じます。

しかしながら、よく練ろうとすると、カップの底が匙に引っ掻き回されて、キズだらけになってしまうのでございます。

ですから、インスタントコーヒーを飲むときは、お気に入りのマイカップでなく、配偶者のカップで飲むべきなのですが、(あいつの触れたものには近づきたくないなー)という方も居られることでしょう。

そこで、『レンジでチン』なのでございます。

インスタントコーヒーの粉をカップに淹れた後、少量のお湯を注ぐ、までは一緒でございます。

しかし、『よくは練らず』に、普通にティースプーンで軽くかき混ぜた後で、電子レンジで30秒ほど加熱するのでございます。

当該加熱中は、お茶菓子をごそごそと、家族の誰にも見つけられない、秘密の隠し場所から取り出しておけばよいでしょう。

“チン!”と鳴りましたら、もう既に、ほどよく掻き混ざっている状態になっていて、カップの底には「コーヒー粘液」が出来ているかと存じます。

言うなれば、匙で描き回す運動エネルギーの代わりに、レンジのマイクロ波をぶつけようって塩梅でございます。

『レンジでチン』によって、インスタントコーヒーにかかる一手間が、省けるように存じます。

自分と愛する人には、おいしく淹れたいですよねー。

寒い日のコーヒーはレンジでチン

温かいコーヒーは、冬の日のお勉強と最高の相性を誇ります。

いくら暖房が効いているとはいえ、身体の内は割かし冷えているもので、湯気の立つコーヒーは、実においしいものございます。

一口すすれば、内臓が喜ぶのを実感できるかと存じます。

茶碗の中には1つの世界があると、中国の古人は言いましたが、何だかわかって来たわたくしでございます。

さてさて、冬真っ盛りの寒い日にコーヒーを淹れると、その淹れる間に、幾分か冷めてしまいます。

カップをじゅうぶんに温めていても、やはり、少しぬるくなってしまうのでございます。

加えて、ドリッパーが陶器製だと、これまた、お湯の熱が取られてしまうので、ややぬるめのコーヒーになってしまう次第でございます。

そこでどうすればいいかと申しますと、淹れたコーヒーをレンジで「1分」ほど、加熱するのでございます。

淹れる間に少しばかり冷めてしまったコーヒーに、ちょっとばかし加熱するって寸法です。

そうすると、熱すぎもなくぬるくもない、丁度いい塩梅の一杯になるという次第でございます。

寒い朝など、実においしくいただけますし、深々と冷える夜のお勉強には、殊の外、おいしくて、「ああぁ」と声を漏らすこと請け合いでございます。

お勉強の大いなる励みになるかと存じます。

さて、ここからが肝心なところです。

嫌な亭主や上司のコーヒーは、レンジの加熱を「3分から5分」にします。

そうすると、コーヒーの表面がぼこぼこと湧き立つほどに、熱いコーヒーができあがります。

当該「血の池地獄コーヒー」は、飲むどころか持つことだって難しい熱さでございます。

何回息を吹きかけて冷まそうとも、ビクともしない熱量のために、飲むのに大変な手間がかかります。

アチチと奮闘しているその姿を、目の端の方で冷ややかに眺めつつ、暖かい一杯を楽しもうという次第でございます。

心はいっそう、ほっこりと温まるように存じます。

しかし、猫舌の人に沸き立つコーヒーを淹れるのは、あまりに悪意が強すぎるので、お控えくださればと存じます。

猫舌の人には、コーヒーの出がらしを、一つまみ、入れるとよいでしょう。

みりんを入れるのも可能でございます。

 

 

何で焦らすのかな。急いで何のトクがあるのかなあ。

子どもに対しては、「急に」、「急いて」、何かをさせないことは、大切かと思います。

つくづく思いますが、いい大人だって、始めてやる事というのは失敗しますし、慣れてないことは上手にできないものでございます。

自分のことを棚に置いて、「早くやれ!」なんて言うのは、まるでマスメディアのように、卑怯卑劣でございます。

ぐずぐずしている子も、その子なりにあーだこーだ考えてやっているのでございます。

それを「ぐずぐずしない」なんて言っちゃいますと、その子は、だんだんと考えることを放棄し始めて、上手に考えられないようになってしまいます。

その子は、(なんでこんなことをしなくちゃいけないのかなー)と思っていたり、他ごとに意識が飛んでいたり、例えば、靴を履くのに時間がかかるときは、靴を履くこと以上に、靴の形態に興味津々であったり、ビニルの肌触りや靴下との接触感を不思議に思っているのでございます。

中には、(何で靴なんてはかないといけないんかなーはだしの方が気持ちいいのになあー)なんて思っているかもしれません。

「ぐずぐずするな」といえるのは、その子はもうじゅうぶんに練習なり訓練をして、「できること」なのに、嫌がって愚図っているときでございます。

水遣りやら掃除など、ちゃっちゃとやった方がいいのに、だらだらやっているときには、「できるんだから、ちゃっちゃとやれよ」と言うのは、『理(ことわり)』がありましょう。

わたしは、大人と子どもをあまり区別しない人でございます。

性差がないのが「子ども」で、性差があるのが「大人」だくらいにしか、考えておりません。

大層な違いがあるわけでなく、似たものであるとしか思えないのでございます。

急いては事を仕損じる。短気は損気、なんて申します。まさに、大人のためにある格言かと存じます。

下手に急いでも、失敗してその後始末をすれば、急いで得たものなど吹き飛んでしまいます。

子どもだってそうなら大人だってそうだし、大人だって「相変わらずそう」だから、格言やことわざが未だに残っているわけです。

わかりたくてできるようになりたいのなら、子どもも大人もともども、「急く」ことは、ほどほどにしておくべきかと存じます。