独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

だらだらやるのも勉強方法の1つ

「だらだら」というのは、完全無欠に悪いものではありません。

悪く言われる、「だらだら」でございますが、役に立つ時だってございます。

その「時」とは、あまりに膨大なところをやるときや、少しもわからないところ、意味不明なところと遭遇したときは、当該「だらだら」が意味を成してくるのでございます。

「だらだら」というのは、身体から力を抜いた、省エネモードであるといえるかと存じます。

砂漠を走る人はおりません。

砂漠を行くキャラバンは、一歩一歩、気負うことなく、そして、焦ることなく、漠々とした砂の海を歩いているものでございます。

お勉強においても、駆け足でざっとやればいいところがあれば、だらだらと歩調を緩めて、急がずやっていったほうがよいところとが、厳然とございます。

「うわーーーめんどくせええなああ」とため息をついたところ。

「なにこれ??」と、目をぱちくりしたところ。

「テメエがやれよ」と毒づいたところ。

「こんなに覚えないといけないの?やってらんないすよ」と憤慨したところ。

「さっぱりわからない」と頭を抱えたところ。

こうしたときには、「だらだら」が、事態を打開するよき方法になるように存じます。

テレビを見ながらでも、ネットをしながらでも、当該「だらだら」は、一向に構いません。

だって、クソ真面目にやっても少しもできないのですから、ほかごとをやりつつでもいいじゃない、てな塩梅でございます。

一生懸命にやるだけが、がんばるだけが、お勉強の方法ではないことを、ご理解くださればと存じます。

慣れてきたり、全貌が開けてきたら、本腰を入れればよいだけの話でございます。

気分が変わるのがよき休憩時間

休憩時間というのは、娯楽の時間ではありません。

つまり、自分の好きなことをすればよいわけではないのが、休憩時間なのでございます。

もし、「娯楽」で行こうとするなら、ある程度の時間を設けて、心底わあっと楽しむべきであります。

あとあとで、勉強なんて重荷を背負って娯楽るものでもありませんし、10分や15分程度の短い時間で娯楽る必要はないように存じます。

休憩時間は、気を休め、気分を落ち着け、リフレッシュするための「短い時間」であります。

言い換えれば、休憩した後は、心持ちスッキリしておらねばならないのでございます。

『本当に、リラックスできているか?』が、休憩時間の考察点の1つであるかと存じます。

つまり、休憩したのに、気楽な感じになっていないなら、その休憩時間は失敗であったか、不適当であったわけでございます。

休憩時間に、たとえば、仕事関係のメールを読んでうんざりしたり緊張したり、ネットの画面を見て目が疲れたり、ゲームをして気分がイラついたり、ま、こういう状態になった休憩とは、あまりよいものではないように存じます。

ベランダに出て外の空気を吸う、外で深呼吸をする、適当な雑用をする、体を動かす、腕立てをする、腹筋・背筋をする、お茶を淹れる、一杯を楽しむなどなどが、休憩の内容としては、最適かと存じます。

休憩時間にお茶を飲むのが多いのは、お茶を淹れるにはお湯を沸かし、カップを温め、茶葉を用意し、葉を湿らして蒸し、蒸している間にお茶菓子か軽食を用意し、お湯を注いでおいしく淹れるという、勉強とは違う多数の作業があるがゆえに、『お茶』が気分転換になるのでございます。

気分が「すぅ」とするのが、よき休憩でございます。

よく休める人が、がんばれる人のように存じます。

もっというなら、がんばるしかできない人は、全く何もしない人に近い、とも申せましょう。

どちらも両極端であって、がんばり続ける無理をしていれば、早晩、心身の調子を崩して、破綻するに決まってございます。だからこそ、「何もしない人」に近いのでございます。

休憩時間を見直しを、お勉強に倦んだ際には、やってみてほしく存じます。

「何で休むか?」を考えることが、これがまた、いい休憩時間になったりします。休むことを考えるのは、意外に楽しい時間です。

勉強時の貧乏ゆすりは、是か非か

お勉強を始めると、何だか、無性に貧乏ゆすりをしたくなるものでございます。

貧乏ゆすりは、一種のストレス緩和であると言われております。

よく学生が、鉛筆やシャーペンを指先だけで器用にくるくる回していますが、それも「ストレス緩和の一種」であるといわれると、ナルホドと納得できるものでございます。

わたくしも高校生時代は、筆箱やら定規、更には、丸めたノートまで、くるくると回しておりました。よほど勉強が嫌だったのでしょう。

ま、貧乏ゆすりとは、足なり指をカタカタと動かすことで、プレッシャーを身体から外にそらしている、ストレスへの直面を回避している、ストレス源から即逃げられるように準備運動している、といった代物なのでございます。

お勉強そのものがストレスの「塊」でございます。

確かに、お勉強に際して、足なり手なりが、ぐらぐらと揺れだすのも、致し方のない面がございます。

勉強は少なくとも、アハハと笑いながらできるものではありません。何かしらの思いや感情を、抑えつつの作業でございます。

さて当該、見た目はよろしくない貧乏ゆすりですが、わたくしは、貧乏ゆすりを「是」と致します。

貧乏ゆすりでストレスがそらされて、多少なりともお勉強が進むのであれば、それはそれで「是」であります。

(めんどくせえなあ)と思ってやらないくらいならば、貧乏ゆすりでもして、やったほうがよいでしょう。

お勉強というのは基本、個人単位でやるものですから、この際、他人の視線など無視してよろしいかと存じます。

 

しかし、過ぎたるはナントヤラン、でございます。

貧乏ゆすりがそれこそ、手や足のみならず、両足を左右に振るようになったり、両方の太ももが上下するようになったりと、身体全体が振り子のようにゆれるのは、どうかと存じます。 

お勉強開始後、身体が波打つくらいにゆさゆさと、前後左右上下に揺れるようなら、頭では「勉強!」と思っていても、身体ではまったく「NO!勉強!」と相なっている証でございます。

心身の状態が、全く反しているが故の「揺れ」であることを、ご理解ください。

自分の状態が、少しもお勉強に向いていないのに、無理に無理を重ねても、少しも頭に入って行きません。

ヒールの高い靴を履いて100mダッシュをするが如しでございます。 

わたくしも、超絶にめんどくさい作業をしなくてはいけないときは、身体が揺れ始めます。

そういうときは、だいたいうまくいかないことに、気づいております。

貧乏ゆすりは、一種の身体のサイン。貧乏ゆすりの強度・あるなしで、勉強できる状態かどうかを計ることができます。

軽い貧乏ゆすりならまだしも、身体全体が波打つようでしたら、お勉強に入るのはやめて、ストレッチか体操・運動・腕立てでもして、心身の状態を整えることをアドバイスさせていただきます。