「だらだら」というのは、完全無欠に悪いものではありません。
悪く言われる、「だらだら」でございますが、役に立つ時だってございます。
その「時」とは、あまりに膨大なところをやるときや、少しもわからないところ、意味不明なところと遭遇したときは、当該「だらだら」が意味を成してくるのでございます。
「だらだら」というのは、身体から力を抜いた、省エネモードであるといえるかと存じます。
砂漠を走る人はおりません。
砂漠を行くキャラバンは、一歩一歩、気負うことなく、そして、焦ることなく、漠々とした砂の海を歩いているものでございます。
お勉強においても、駆け足でざっとやればいいところがあれば、だらだらと歩調を緩めて、急がずやっていったほうがよいところとが、厳然とございます。
「うわーーーめんどくせええなああ」とため息をついたところ。
「なにこれ??」と、目をぱちくりしたところ。
「テメエがやれよ」と毒づいたところ。
「こんなに覚えないといけないの?やってらんないすよ」と憤慨したところ。
「さっぱりわからない」と頭を抱えたところ。
こうしたときには、「だらだら」が、事態を打開するよき方法になるように存じます。
テレビを見ながらでも、ネットをしながらでも、当該「だらだら」は、一向に構いません。
だって、クソ真面目にやっても少しもできないのですから、ほかごとをやりつつでもいいじゃない、てな塩梅でございます。
一生懸命にやるだけが、がんばるだけが、お勉強の方法ではないことを、ご理解くださればと存じます。
慣れてきたり、全貌が開けてきたら、本腰を入れればよいだけの話でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | Tags: 勉強 | 2011年6月8日 9:17 AM |
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休憩時間というのは、娯楽の時間ではありません。
つまり、自分の好きなことをすればよいわけではないのが、休憩時間なのでございます。
もし、「娯楽」で行こうとするなら、ある程度の時間を設けて、心底わあっと楽しむべきであります。
あとあとで、勉強なんて重荷を背負って娯楽るものでもありませんし、10分や15分程度の短い時間で娯楽る必要はないように存じます。
休憩時間は、気を休め、気分を落ち着け、リフレッシュするための「短い時間」であります。
言い換えれば、休憩した後は、心持ちスッキリしておらねばならないのでございます。
『本当に、リラックスできているか?』が、休憩時間の考察点の1つであるかと存じます。
つまり、休憩したのに、気楽な感じになっていないなら、その休憩時間は失敗であったか、不適当であったわけでございます。
休憩時間に、たとえば、仕事関係のメールを読んでうんざりしたり緊張したり、ネットの画面を見て目が疲れたり、ゲームをして気分がイラついたり、ま、こういう状態になった休憩とは、あまりよいものではないように存じます。
ベランダに出て外の空気を吸う、外で深呼吸をする、適当な雑用をする、体を動かす、腕立てをする、腹筋・背筋をする、お茶を淹れる、一杯を楽しむなどなどが、休憩の内容としては、最適かと存じます。
休憩時間にお茶を飲むのが多いのは、お茶を淹れるにはお湯を沸かし、カップを温め、茶葉を用意し、葉を湿らして蒸し、蒸している間にお茶菓子か軽食を用意し、お湯を注いでおいしく淹れるという、勉強とは違う多数の作業があるがゆえに、『お茶』が気分転換になるのでございます。
気分が「すぅ」とするのが、よき休憩でございます。
よく休める人が、がんばれる人のように存じます。
もっというなら、がんばるしかできない人は、全く何もしない人に近い、とも申せましょう。
どちらも両極端であって、がんばり続ける無理をしていれば、早晩、心身の調子を崩して、破綻するに決まってございます。だからこそ、「何もしない人」に近いのでございます。
休憩時間を見直しを、お勉強に倦んだ際には、やってみてほしく存じます。
「何で休むか?」を考えることが、これがまた、いい休憩時間になったりします。休むことを考えるのは、意外に楽しい時間です。
| カテゴリー: 過去のススメ | Tags: 人 | 2011年6月6日 11:10 PM |
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お勉強を始めると、何だか、無性に貧乏ゆすりをしたくなるものでございます。
貧乏ゆすりは、一種のストレス緩和であると言われております。
よく学生が、鉛筆やシャーペンを指先だけで器用にくるくる回していますが、それも「ストレス緩和の一種」であるといわれると、ナルホドと納得できるものでございます。
わたくしも高校生時代は、筆箱やら定規、更には、丸めたノートまで、くるくると回しておりました。よほど勉強が嫌だったのでしょう。
ま、貧乏ゆすりとは、足なり指をカタカタと動かすことで、プレッシャーを身体から外にそらしている、ストレスへの直面を回避している、ストレス源から即逃げられるように準備運動している、といった代物なのでございます。
お勉強そのものがストレスの「塊」でございます。
確かに、お勉強に際して、足なり手なりが、ぐらぐらと揺れだすのも、致し方のない面がございます。
勉強は少なくとも、アハハと笑いながらできるものではありません。何かしらの思いや感情を、抑えつつの作業でございます。
さて当該、見た目はよろしくない貧乏ゆすりですが、わたくしは、貧乏ゆすりを「是」と致します。
貧乏ゆすりでストレスがそらされて、多少なりともお勉強が進むのであれば、それはそれで「是」であります。
(めんどくせえなあ)と思ってやらないくらいならば、貧乏ゆすりでもして、やったほうがよいでしょう。
お勉強というのは基本、個人単位でやるものですから、この際、他人の視線など無視してよろしいかと存じます。
しかし、過ぎたるはナントヤラン、でございます。
貧乏ゆすりがそれこそ、手や足のみならず、両足を左右に振るようになったり、両方の太ももが上下するようになったりと、身体全体が振り子のようにゆれるのは、どうかと存じます。
お勉強開始後、身体が波打つくらいにゆさゆさと、前後左右上下に揺れるようなら、頭では「勉強!」と思っていても、身体ではまったく「NO!勉強!」と相なっている証でございます。
心身の状態が、全く反しているが故の「揺れ」であることを、ご理解ください。
自分の状態が、少しもお勉強に向いていないのに、無理に無理を重ねても、少しも頭に入って行きません。
ヒールの高い靴を履いて100mダッシュをするが如しでございます。
わたくしも、超絶にめんどくさい作業をしなくてはいけないときは、身体が揺れ始めます。
そういうときは、だいたいうまくいかないことに、気づいております。
貧乏ゆすりは、一種の身体のサイン。貧乏ゆすりの強度・あるなしで、勉強できる状態かどうかを計ることができます。
軽い貧乏ゆすりならまだしも、身体全体が波打つようでしたら、お勉強に入るのはやめて、ストレッチか体操・運動・腕立てでもして、心身の状態を整えることをアドバイスさせていただきます。
| カテゴリー: 勉強ワンポイントアドバイス | Tags: 勉強, 貧乏ゆすり | 2011年6月3日 1:13 PM |
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