イメトレとは、イメージトレーニングでございます。
わたくし自身、イメトレというものがよくわからなかったので、ググってみました。
すると、たいがい「ポジティブ」に「積極的に」などという、ちょっと距離をとりたい言葉が多く出てくる感がいたしました。
まー、「ポジティブ」も「積極的」も、三日もすれば色あせるので、時々服用なさるがよろしいでしょう。
わたくしは、ときどきですが、最も「ネガティブ」なイメトレモドキをやっております。
今日のススメでは、ネガティブイメトレ、冠して「戦慄のイメトレ」を、ご紹介したく存じます。
「戦慄のイメトレ」は、元プロレスラーの故ジャンボ鶴田さんから学んだものです。
鶴田さんの著書に「受験は格闘技だ」という御本がございます。
ジャンボ鶴田選手は、肝臓の病気に倒れ、プロレスという仕事を続けることができなくなりました。
そこで一念発揮して、大学院にてコーチ学を学ばんとして、筑波大学大学院にお進みになられました。
そのときの受験のエピソードを一冊にまとめたものでございます。
本書での印象的なエピソードは、「自分の仕事であるプロレスができなくなったら、どんな仕事に就くだろうか?」と自問自答した出来事でございます。
アマではオリンピックまで出場し、プロの世界では完全無欠のエースといわれ、ファンを虜にしてきたエリートレスラーが、プロレスをやめた後の仕事に「屋台」を引くことくらいしか思いつかなかったと、本書にて独白しております。
受験勉強時は、落ちたときの自分を想像すると戦慄したと述べております。
『屋台はいやだ。いや屋台云々の以前に、その他の選択肢がないことが辛い。』
『大学院に行けば、コーチになって後進の育成もできる。教鞭も取れる、生活の安定が図れる』
などなどと、考えながら、日課のお勉強の励みにしたとのことでございます。
「ポジティブ」に「積極的」に考えても、どこか、そこには空虚さが伴うのでございます。
一方、ネガティブに考えたことは、どこか現実味があるのでございます。
お勉強をしていて、ときにやる気が失せ果てるときがございます。
このようなときには、「ポジティブ」に「積極的」に考えても、大火の前の杯モドキで、あまり状況の改善には至りません。
根源的なやる気がなくなりそうなときは、最もネガティブに考えるべきなのです。
落ちたら結局のところ、これまでやったこと、ガマンしたこと、テキスト・問題集代の全てが無駄になるとお考え下さい。
そして、その時間があればなにができたか、これまた「戦慄のネガティブイメージ」のスパイスになります。
ま、旅行はできますね、車のメンテもできますね、お墓参りもできますね、、、後回しになっている、今やっていないことは、本当にたくさんあるものなのです。
ほんま、アレもコレもできるんや、と思い返せば失っているものの多さを実感できることと存じます。
「ポジティブ」に「積極的」に考えると良いときとは、もっと勉強量を増やしたり、演習量を増やすときに行えばよろしいかと存じます。
一方、「戦慄のネガティブ」は、「やりたくない」「めんどくさい」ときに、ちょっとでも進めておこうかという「あと一歩の思考」でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2006年8月21日 1:59 PM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
今週のススメは、沈思黙考という四字熟語を題材にして、「考えること」をテーマにしてきました。
今日は、考えることについての締めとなるススメでございます。
さて、考えることの天敵、それは「雑念」でございます。
「考える」こととは、この天敵に触れなければ、じょうずに行うことのできないものなのでございます。
雑念といっても、難しいことではございません。
お勉強中に、、、
「あー風呂入りたいのぅ」「靴下代えたい」
「爪のびたナァ」「剃り残しのひげがあるがヤ」
「チョコくいてのぅ」「酒のみたいのぅ」
はてには、「風呂掃除せんとあかんのぅ」「税金どうしよう」「残高足りたっけ?」などなどまで、雑念の種は事欠かないものでございます。
ぶっちゃけ申しますと、雑念とは抹香臭い言いかたをすれば、煩悩でございます。
煩わしい悩みなのでございます。
人間、3大欲求云々よりも、こまごまとしたシチメンドクサイ、煩わしい雑用にアタマを悩ましているものでございます。
しかしながら、人間、欲があるうちが華と申しますが、煩悩があるということは、それだけ養分が豊富であるということでございます。
田んぼの雑草を煩悩と喩えますと、田んぼというのはみずっけもあるし、養分も豊富な土壌ですから、のびのびと雑草が生い茂るのでございます。
雑草の生えないような田んぼは、当然のことながら稲も生長しないものでございます。
稲が生長できる環境ならば、雑草はどうしても生えるものでございます。
ですから、みなさんが考えることのできる人ならば、天敵たる雑念、すなわち煩悩は、自然現象の如く発生するものでございまして、なくすということは不可能なのでございます。
逆に、何の雑念も湧かない方が、不健康でございます。純度99%の集中など、クスリでもしない限り、生身の人間では到底不可能な曲芸でございます。
思考とは、要するに雑草対策であるのです。
考えるために必要な集中力は、ま、30分程度しか持ちません。
要は、思考の貴重な結果を得るには、この30分の間だけ、雑念が入らないように配慮すればいいだけでございます。
雑念の混じらないようにするには、徹頭徹尾、時間の意識を変えることでございます。
何の時間意識なくダラダラとした作業では、スグに雑草が生い茂ることとなりましょう。
「集中しないと、集中しないと」と、自分の集中できる時間を延ばすよりは、集中できる時間の「回数」を延ばすが吉でございます。
1時間のフル集中より、30分・2回の分散集中の方が、容易いことでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2006年8月18日 11:47 AM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
先だってのススメで、沈思黙考のうち「沈思」を扱ったので、惰性で「黙考」をテーマにいたします。
この「黙考」なる言葉。
字面だけ追えば、「黙って考えよ」ということでございます。
よくよく観察してみれば、人とは、おしゃべりをしながらでは考えられないものでして、黙って口を閉じないと考えがまとまらないというのが実感かと存じます。
じゃあ、黙って口を閉ざせば、「考える」ことができるのか?といわれれば、んなーことないよというわけでございまして、黙って考えようとしても、雑念がアタマに浮かんでは消え、消えては浮かんだりするものでございます。
ここまででわかったことは、何か難問に遭遇し、じっくり考えなければならないときは、まず、携帯の電源を切り、おしゃべりの可能性を限りなくゼロにすることからはじめなければならない、というわけです。
お勉強の空間からは、いとしの無配慮な配偶者と腐れガキンチョどもを追い出さなければなりません。
まず、「おしゃべり」の可能性をなくすことが、考える第一歩でございます。
次は、雑念対策でございます。
雑念対策は簡単でございます。
基本的に雑念が起きるのは、疲れていたり、脳みそがオーバーヒートになっていたりなど、身体的な状態をのぞけば、「何を考えているのか」わかっていない状態が原因なのでございます。
考えるとは、最も簡単にいうと、筋道を論理だてて追っていくものでございます。
考えるための前段階には、具体的に絞られた筋道が必要なのでございます。
「何を、どう、何のメリット(解決)を求めて、ジックリ考えるのか?」
このようなテーマがキッチリ決まっていれば、雑念が入り込まず、スムーズに筋を追っていけるのでございます。
自分にとっての確固としたテーマが決まっていないと、スグに人は脇にそれてしまいます。コレ即ち、雑念の発生でございます。
ゲド戦記のような、テーマも伏線も、何も消化できていない映画を見せられた小学生は、スグにお菓子やジュースに関心が行き、お母様にたしなめられるのがオチでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2006年8月17日 11:47 AM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |