独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

パレートの法則

「結果の80%は、20%の活動から生み出される」というのが、パレートの法則でございます。
要するに、どんなにがんばっても、払った努力が「20%」の部分に当たっていないと、効果は少ないよ、ということでございます。
日本語の「コツ」とは、この「20%」をおさえた作業を取らないと、後々どえらい苦労するよということを表しているのです。
逆にいえば、どんなに難しく見えることでも、全体のポイントとなる20%をおさえてしまえば、労少なく結果を出せることになりましょう。
この「20%」にあたる行動とは、何かと申しますと、独学においては、「自己決定感」と考えるのでございます。
簡単にいえば、自分で調べて、自分で決めて、間違ったら直して、試行錯誤をしながら進みますよ、ということでございます。
資格試験のお勉強は、「膨大な情報の処理作業」といっても過言ではございません。
テキストや問題集とは、とどのつまり、処理すべき情報のカタマリでございます。
ですから、試験勉強をしているとどうしても、それら膨大な情報に振り回されるのでございます。
しかも、ネットにさえ繋がれば、いくらでもテキスト等以外の情報を引き出せる世の中でございます。
当たり前なのですが、自己決定感は、自分で決めなければ感じることができません。
「情報」というのは妙なもので、調べる手段が確保されると、あれもこれもと、延々と調べたくなってくるのでございます。
たくさん調べれば調べるほど、どこかに完全な情報が落ちているかも?という空虚な期待感に包まれてしまうのでございます。
しかしながら、情報というのは、どこまでいっても、ドンだけ労力と時間を割いても、不完全なのでございます。
結局、錯綜した不完全な情報の中で、判断しないといけないのでございます。
情報を追いかけるだけでは、消耗するだけで、何も決めることができません。
完全な情報、勉強ノウハウ、試験計画が生み出される頃には、当初のやる気が雲散霧消しているか、本試験は終わっているか、勉強時間が足りなくて不合格か、のどれかでございます。
基本的に、お勉強とは、情報を追いかけるだけでは不十分なのでございます。
テキストや問題集・ネットといった、外の情報だけのお勉強になっていないでしょうか?
自己決定感は、試行錯誤の中でこそ、味わうことができるのでございます。
試行錯誤は一見すると、無駄のように見えます。

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健康な合理主義

規律はお勉強に必要不可欠でございます。
わたくしたちは、基準となる時間軸がないと、お勉強を淡々とこなすことはできません。
ですから、お勉強を為すに当たっては、生活に何らかの規律を埋め込む必要がでてくるのでございます。
規律というと堅苦しく、規則というと息詰まる感がするのも仕方がございません。
規律や規則は、そもそもグニャグニャしたものを縛るものでございますから。
お勉強には、規律や規則、自分との約束事が重要になるのですが、ガチガチになってはいけないのは自明の理でございます。
包帯やテーピングを、鬱血するほどガチガチに巻く人はいないのと同様でございます。
規則主義・規律主義は、行きつくところまで行ってしまうのでございます。
最終到着先は、空虚な達成主義。
なんら実力がついていないのに、やった気分だけに浸る、タコの入っていないイカ焼きのような無意味の存在に、お勉強が成り果てるのでございます。
タイトルにあるように、わたくしたちに必要なのは「健康的」であることでございます。
時には、一心不乱にお勉強に打ち込むのも結構でございますが、病的なまでの打ち込みは少なくとも、トランキライザーを服用することと相成りましょう。
本試験1ヶ月前でノリに乗っているなら、一心不乱もようございましょうが、試験日前日の一心不乱は睡眠不足を生むくらいが関の山でございます。
合理的であることです。
時間は厳粛な存在です。いくらあなたが、一心不乱に勉強しても、時間を重ねてきた受験生には分が悪いのでございます。
逆にいえば、長期の視点を持ち、たんたんと努力を積み重ねることができれば、本試験近くになって混沌としたお勉強をせずとも良いのでございます。
しかも、合格する可能性は高い。
高いやり方か低いやり方の、どちらを選ぶかでございます。可能性の問題でございます。
合格の可能性のある道筋を作り上げていくのが、ほかでもない規則的なお勉強の毎日なのでございます。
日々の日課の中でこそ、健康的なお勉強ができるのでございます。

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やり過ぎないこと

お勉強は、製造機械の如く、淡々とこなしていくことが基本的なスタンスでございます。
調子がよくてやりすぎてはいけません。
1時間当たり100個しかできない機械が突然、150個も200個も生産できるようになったのはどこか故障した証拠でございます。
ラッキーと思って、そのまま機械を使い続けると、予期しないトラブルに巻き込まれるものでございます。
結局のところ、合否を決めるのは、お勉強時間でございます。
キチンとバージョンアップ・メンテナンスをして、たくさんのものを生産できることが明らかになってから、「やりすぎ」を追求なされば良いのでございます。
やりたいときに、気が向いたときだけ、たくさんがんばっても、成果には繋がらないものでございます。
やりすぎは、「やらない」の前身でございます。
やりすぎてしまうと、どこかでオーバーヒートを起します。
先ほどの機械でいえば、消耗品たる部品が磨耗しきったのと同様なのでございます。
こうなっては、元に戻すのがしんどくなるのでございます。
わたくしは、気合を入れて数日だけがんばる人よりも、1日に1分・3分・5分という短い時間であっても、1ヶ月のあいだ、ちょっとでも続ける人を評価するものでございます。
なぜなら、短い時間でも、それこそが行動の源泉に変化するからでございます。
短い時間であっても、繰り返すことで、お勉強への機縁を増やすことができるのでございます。
めんどくせめんどくせめんどくせめんどくせめんどくせ
と思っており、「5分しかやらんぞ」と思っていても、いざ作業に入ると10分・20分・30分とお勉強ができるようになるのでございます。
『ついつい』お勉強をしてしまうのでございます。
お勉強の前は、イヤイヤイヤ状態であっても、お勉強に入ると、フッと作業に入ることができるようになるのでございます。
しんどくて5分でやめても、それが規定どおりなので、それはそれでオッケーなのです。
お勉強に没頭できるようになるのが、短い時間でも繰り返すことの、功徳でございます。
結局のところ、5分で終わるときよりも、その何倍もの時間を、お勉強に投入してしまったということになってしまうのでございます。

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