独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

雑草

今週のススメは、沈思黙考という四字熟語を題材にして、「考えること」をテーマにしてきました。
今日は、考えることについての締めとなるススメでございます。
さて、考えることの天敵、それは「雑念」でございます。
「考える」こととは、この天敵に触れなければ、じょうずに行うことのできないものなのでございます。
雑念といっても、難しいことではございません。
お勉強中に、、、
「あー風呂入りたいのぅ」「靴下代えたい」
「爪のびたナァ」「剃り残しのひげがあるがヤ」
「チョコくいてのぅ」「酒のみたいのぅ」
はてには、「風呂掃除せんとあかんのぅ」「税金どうしよう」「残高足りたっけ?」などなどまで、雑念の種は事欠かないものでございます。
ぶっちゃけ申しますと、雑念とは抹香臭い言いかたをすれば、煩悩でございます。
煩わしい悩みなのでございます。
人間、3大欲求云々よりも、こまごまとしたシチメンドクサイ、煩わしい雑用にアタマを悩ましているものでございます。
しかしながら、人間、欲があるうちが華と申しますが、煩悩があるということは、それだけ養分が豊富であるということでございます。
田んぼの雑草を煩悩と喩えますと、田んぼというのはみずっけもあるし、養分も豊富な土壌ですから、のびのびと雑草が生い茂るのでございます。
雑草の生えないような田んぼは、当然のことながら稲も生長しないものでございます。
稲が生長できる環境ならば、雑草はどうしても生えるものでございます。
ですから、みなさんが考えることのできる人ならば、天敵たる雑念、すなわち煩悩は、自然現象の如く発生するものでございまして、なくすということは不可能なのでございます。
逆に、何の雑念も湧かない方が、不健康でございます。純度99%の集中など、クスリでもしない限り、生身の人間では到底不可能な曲芸でございます。
思考とは、要するに雑草対策であるのです。
考えるために必要な集中力は、ま、30分程度しか持ちません。
要は、思考の貴重な結果を得るには、この30分の間だけ、雑念が入らないように配慮すればいいだけでございます。
雑念の混じらないようにするには、徹頭徹尾、時間の意識を変えることでございます。
何の時間意識なくダラダラとした作業では、スグに雑草が生い茂ることとなりましょう。
「集中しないと、集中しないと」と、自分の集中できる時間を延ばすよりは、集中できる時間の「回数」を延ばすが吉でございます。
1時間のフル集中より、30分・2回の分散集中の方が、容易いことでございます。

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黙して考えるには

先だってのススメで、沈思黙考のうち「沈思」を扱ったので、惰性で「黙考」をテーマにいたします。
この「黙考」なる言葉。
字面だけ追えば、「黙って考えよ」ということでございます。
よくよく観察してみれば、人とは、おしゃべりをしながらでは考えられないものでして、黙って口を閉じないと考えがまとまらないというのが実感かと存じます。
じゃあ、黙って口を閉ざせば、「考える」ことができるのか?といわれれば、んなーことないよというわけでございまして、黙って考えようとしても、雑念がアタマに浮かんでは消え、消えては浮かんだりするものでございます。
ここまででわかったことは、何か難問に遭遇し、じっくり考えなければならないときは、まず、携帯の電源を切り、おしゃべりの可能性を限りなくゼロにすることからはじめなければならない、というわけです。
お勉強の空間からは、いとしの無配慮な配偶者と腐れガキンチョどもを追い出さなければなりません。
まず、「おしゃべり」の可能性をなくすことが、考える第一歩でございます。
次は、雑念対策でございます。
雑念対策は簡単でございます。
基本的に雑念が起きるのは、疲れていたり、脳みそがオーバーヒートになっていたりなど、身体的な状態をのぞけば、「何を考えているのか」わかっていない状態が原因なのでございます。
考えるとは、最も簡単にいうと、筋道を論理だてて追っていくものでございます。
考えるための前段階には、具体的に絞られた筋道が必要なのでございます。
「何を、どう、何のメリット(解決)を求めて、ジックリ考えるのか?」
このようなテーマがキッチリ決まっていれば、雑念が入り込まず、スムーズに筋を追っていけるのでございます。
自分にとっての確固としたテーマが決まっていないと、スグに人は脇にそれてしまいます。コレ即ち、雑念の発生でございます。
ゲド戦記のような、テーマも伏線も、何も消化できていない映画を見せられた小学生は、スグにお菓子やジュースに関心が行き、お母様にたしなめられるのがオチでございます。

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息つぎ勉強

難問や難解な記述に遭遇するのが、試験勉強でございます。
このようなときこそ、集中力が要されるのでございます。
しかしながら、集中力は、よく口にし、耳にするにも関わらず、イマイチはっきりしない「力」でございます。
ま、はっきり意味がつかめない理由は、人は何かに集中しているときには、まわりのことを意識しないものでして、「集中という力を発揮しているわたくし」を客体として把握できないからでございましょう。
ま、難しいことはテキストの記述で十分でございますから、昨日のススメの「沈思黙考」について、補足したく思います。
今回のススメで補足したいのは、「沈思」の箇所でございます。
字面だけ追うと、沈むように思うということでございます。
わたくしは、この「沈思」を、『よーーーく考えないといけないときは、プールか海、湖のなかに沈んでいく風に・潜っていく風に考えましょう』と翻訳しております。
ニュアンス的には、ゆっくりゆっくり潜水するような感じです。
水中にいるときは、ほかの事なんてほとんど考えられません。
「ほかのことなんて、考えられない」という水中状態の体感触をもって、集中力を捉えなおすのでございます。
つまり、集中して考えないといけない難関に遭遇したときは、もぐっているような感覚でアタマを働かそうというわけでございます。
「考える」行為を、「潜る」という行為と掛け合わせると、新しい意味に出会うことができます。
要するに、「ずーとおんなじことを考えるな」ということでございます。
お勉強でじっくり考えるのも結構でございますが、考えるとは潜っている事と踏まえますと、海女さんではないのですから、潜りっぱなしでは健康に良くはございません。
集中力は、30分弱しかもたないというのも、息つぎが必要なんだなという風に置き考えれば、納得できるのではと存じます。
お勉強とは、他人から見れば、同じ姿勢で、同じことをやっているようにしか見えないものです。
そのため、要領がつかめない人は、お勉強が単調で一直線、グダグダになりやすいもの。

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