独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

いさぎよさの練習

お勉強とは時にいやになるものでございます。
なんだか無性にやりたくなくなるものでございます。
お仕事でしたら他の人に迷惑になったり、ごはんが食べられなくなるのでイヤンだろうがナンだろうが、手をつけます。
しかし、お勉強はお仕事とは違いますから、いやになったらズルズルとやらなくなっちゃうものなのでございます。
このようなときには、「いさぎよさの訓練」と思うのでございます。
ズルズルゆくときは、人によって違うのでございます。
爪を切り出したり、耳掃除をしだしたり、剃り損ねたヒゲが気になったり、ダウンロードの転送量を見に行ったりするものでございます。
数分から数十分は、息抜きにも何にもならない時間が費やされてしまうのでございます。
わたくしの個人的な「ズルズル」はなんといっても、スパイダソリティアでございます。クモさんゲームに飽きていたらソリティア、フリーセルのプレイでございます。
マイクロソフトの製品のうち数少ない最高傑作である、これらのゲームをやっているときは、わたくしにとって、明らかにズルズルタイムでございます。
だって、楽しいとき、気分のいいときはしませんからネ^−^
ですから、ついマウスが「スタート→アクセサリ→ゲーム」の無意識的操作を行いそうなときは、マウスから手を離します。
いさぎよさとは、一瞬の動作でございます。
一瞬のココロの電流をとらえて、そう動かないようにするものでございます。
いさぎよさを鍛えるのは、わたくしの場合、マウスを放すだけでございました。
いつでも、なんでもに、スグに取り掛かれるものではございません。

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冷静さの本質

得るものがあれば、失うものもございます。
失うものがあれば、得るものもございます。
これは人生の真理でございます。
お勉強は簡単にいうと、小さな人生のシュミレーションでございます。
お勉強時間があるときは、お勉強ができますが、
そのお時間は、他の事に使うことができないのでございます。
何かほかごとで、お勉強時間を過ごせば、
そのお時間は、お勉強時間ではないのでございます。
究極的にいうと、自分がその時には必要だと思っていても、後から考えるとそれほど重要ではなかったということが多数ございます。
ヨメ(ダンナ)のご尊顔に思い馳せれば、ご理解頂けるかと存じます。
後から考えると、自分では無駄だナァと思っていた時間が生きてくるものでございます。
その時は気付かなかったけれど、
得たと思ったら、代わりに何かを失っていたと、
失ったと思っていたら、代わりに何かを得ていたと、
気付くものでございます。
お勉強も、人生の小さな縮図でございまして、得失の連続でございます。
できたなと思ったらできていないし、できへんなーと思っていたら、本試験では得意科目・得点源になるものでございます。
近視眼的に考えないことでございます。
その無駄時間は、ある意味、ほかの人生の局面で生きてくるものなのでございます。
ですから、お勉強一辺倒で判断評価するほうが馬鹿げているのでございます。

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ココロの余裕

お勉強は、どうしてもやらされ感が強くなってしまうものでございます。
日常では「苦役」にあたるものを、自分に課しているのですから、なるほど自然でございます。
なんだかいいようのないものに、駆り立てられる毎日になりがちなのでございます。
せわしなく、
余裕がなく、
落ち着かない、
こんな日々になってきましたら、黄色信号でございます。
ダメだなぁ、困ったチャンはどこにでもいます。
お仕事、パート、アルバイト先でも、あせあせしている愚鈍は救いようが無いものでございます。
真面目だけど使えない、というひとは、落ち着きが無く、余裕どころではないのでございます。
アタマがいい人は、一見して落ち着いているものです。
よくよく観察してたらアタマがいい、という人はそんなにいないものでございます。
アタマのよさは、態度から把握するものでございます。
そこには、悲壮感がございません。
ユーモアと余裕があるのでございます。
テキストをみて、ジョークのひとつでも思いつけば、人生上々でございます。
問題集を見て笑えるようになれば、これまた人生の軌道修正が必要ですけれども、ユーモアセンスはお勉強にとって必要な能力のひとつでございます。
やる気の無いときは、面白おかしく、オリジナル語呂合わせ作成で1時間を潰すのもお勉強のうちでございます。
余裕は、ユーモアから生まれます。
そして、余裕が生まれて、落ち着きが生まれるのでございます。
落ち着いたから、ユーモアが生まれるのではございませんことよ。

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