独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

沈思黙考

沈思黙考とは、よく味わってみると良いお言葉でございます。
字面だけ追いますと、落ち着いて、あれこれイメージを追い、黙って考えなさい、ということでございます。。
資格試験のお勉強には、思考の罠がございます。
「時間をかけて、よーーーく考えたら、必ず解答できる」という信仰でございます。
基本的には、「その通り!!(アタック25風)」なのでございます。
よく考えるとは、まさに、理解や記憶のできる「チャ〜ンス(児玉清風に、握り拳をつけて)」なのでございます。
しかし、チャンスはリスクと背中合わせなのが世の常でございます。
「よく考える」とは、深く深く、徹底的に考えなさいというわけではないのでございます。
資格試験のお勉強は、数学の解けない方程式や、芸術作品を産むという知的営みとは、少々違ってくるのでございます。
深く考えても、時間と労力の無駄になるのが多々なのでございます。
試験問題では、解答時間が決まっている以上、膨大な思考の営みを経て生まれいずるような解答など、ハナから期待されていないのでございます。
基本的に、10分間、よーーく考えてて突破の糸口すら見つからなければ、その後で、1時間、2時間考えようとも答えがでることはないでしょう。
結局のところ、資格試験とは、なんらかの実務に基礎を置いているものでございます。
そのため、テキストや問題集の上の演習だけでは、スグに理解できないこともあるのでございます。
実際の業務に触れれれば、即理解できることであっても、机上ではスンナリ行かないものなのでございます。
ですから、考えてみて、3分間に雑念が3つも湧くようでしたら、注意信号でございます。
そのまま続けても、良い答え・納得のできる答えに至る事は稀かと存じます。
深く考えるよりかは、浅く広くでございます。
うーーんとアタマを捻る事態になって、よーーく考えても、答えがひっとつも浮かばないときは、言葉の定義・語句の用法、具体例、原則と例外を、丹念にあたる方が、最終的には良い結果に繋がるのでございます。

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座るだけ座る

わたくしたちは人間でございますから、毎度毎度のこと、お勉強できないときもあるのでございます。
8月のように、うだるように暑い1日を過ごせば、グッタリするものでございます。
買い物にでも行けば、バケツで水をぶっ掛けられた如く、汗みどろになるもの。
そうなると少々の休息では、お勉強への気力・体力が間に合わなくなるものでございます。
このようなときには、とにもかくにも、お勉強する場所に座ってみることでございます。
時間がきたら、とにかく座ってみることでございます。
座るだけでも座ってみようとするわけでございます。
とにかく30分、机の前にて過ごすことでございます。
座ってみれば分かることでございますが、何もしないまま机の前に座るというのは、しんどいものでございます。
学生時代の嫌いな授業を思い返していただければ、鮮やかに、手持ち無沙汰なぬるめの疲労感が味わえるかと存じます。
要領としては、「なーんもすることがないまま、30分、机の前に居ること」を以って、本日のお勉強の代わりにするものでございます。
人間、何もしないまま机の前に居ることほど、くたびれるものはないのでございます。
ですから、ま、5分ほど「ぼーーー」とすれば、ボンヤリすることに飽きてくるものでございます。
あまりに疲れていて突っ伏してしまうなら仕方がございませんが、だいたい、普通の疲労状態なら、テキストの2〜3ページには目を通せるものでございます。
何もしない「ぼー」とするしんどさの代わりに、多少のお勉強で埋めるというわけでございます。

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節目を制する

お勉強をするには、生活を変えなければいけないわけでございます。
しかし、なかなか変えられないものが生活でございます。
基本的に、生活を変えるために、人格や性格を変える必要はないのでございます。
もっとがんばらなくっちゃ、とひたすら反省する前に、テレビを窓から投げ捨てたり、パソコンのコードをはさみで切った方が生活は変化するものでございます。
また、お菓子のまるしげやコンビニ、酒屋のある道を避けたほうが、はるかに生活は変化するものでございます。
とはいえ、テレビやパソコンを捨ててしまうのも、お菓子やお酒を絶つのも、清水の舞台からクレジットカード・キャッシュカード入りの財布を投げ捨てるほどの勇気が要るものでございます。
わたくし、パソコンだけは公私ともに、捨てることなど到底不可能なのでございます。チョコレートもなくてはならない、生活とココロの唯一の栄養源でございます。
ですから、まずは、自身の不可能性を把握することが重要でございます。
なくてはならぬものである!
この認識こそ、「じゃあ、どうすんの?」という発想に繋がるのでございます。
そこまで考え至れば、あとは簡単でございます。
基本的な生活の節目を、よく観察するのでございます。
さすれば、お勉強から外れてしまうときとは、または、自分の意図とは反する生活に流れてしまうときとは、「ある一瞬の間の処理」が至らなかったことが分かるのでございます。
「間」とは、次の行動から次の行動へ移るときに発生するものでございます。
帰宅して夕食、なのに帰ったらなんとなく、ビール→宴会まっしぐら。
夕食後にお勉強と思いきや、夕食→なんとなく明日の天気をネットで調べる→〇〇なサイトへ。
洗濯物の取り込まんとして窓を開ける→のらねこ発見→ワイン片手に煮干をサカナに餌付け。
「間」とはまさに、「魔」とあてるのがふさわしく存じます。
「魔」の時間に入るときというのは、ホント軽い気持ち、それか無思考の状態なのでございます。
「お、」くらいのニュアンスでございましょう。
であるが故に、どんな意志力の持ち主でも、かんたんに体を崩されてしまうのでございます。
生活を変えるのは、節目である生活の間を制することでございます。

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