独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

イメージ目のラジオ体操

先日は縁あって、アレコレとイメージトレーニングをググッたときの印象をススメといたしました。
本日は、そのイメトレ調査の残滓でございます。
本格的なイメージトレーニングは難しそうなので、簡単なことに限定してやってみようと思いました。
そこで、目の体操に取り入れることにしたのでございます。。
ま、ぶっちゃけ、目の疲労はお勉強の大敵でございまして、目の疲労で、やる気は即、なくなるものでございます。
机上の電気を消してお勉強すれば、身をもって能率の8割減を体験できることかと存じます。店じまいセールでもこのような割引率はございません。
わたくし、目が疲れてきたら、いつも「目のぐりぐり体操」をやっております。
このぐりぐり体操は非常に簡単で、目をつぶって眼球を上下左右、各5回づつやるという行為でございます。
上下左右が終われば、右回転・左回転を各5回。
この眼球運動をやると、いかに目というものが筋肉によって調整操作されているのか分かるかと存じます。
目が疲れきると、眼球がスムーズに動かない、つまり、目の周りの筋肉がパンパンなんだということがご納得いただけるかと思います。
ま、このぐりぐり体操をやるときにですね、いつもは普通に動かしていただけなのですが、そこに「ラジオ体操」のイメージを重ね合わせてみたのでございます。
「腕を前から上に上げて、背伸びの運動〜♪」
とまあ、ラジオ体操の動きを眼球でなぞってみたところ、これがなかなかおもしろいわけでございます。
跳躍運動をなぞって、目を激しく上下してみると、ほんとスッキリして、目が軽くなったものでございます。
「べんきょうがなかなかできないんですよー」
という人には、目の疲労に注意!!とさんざん言って参りました。
何度いっても、無理を重ねてバタンキューという人・疲労回復を図らない人が多かったので、本日以降は「お勉強は、小さい文字を見て目が疲れるので、目のラジオ体操でコリをほぐしてください」と言おうと思ったわたくしでございました。

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戦慄のイメトレ

イメトレとは、イメージトレーニングでございます。
わたくし自身、イメトレというものがよくわからなかったので、ググってみました。
すると、たいがい「ポジティブ」に「積極的に」などという、ちょっと距離をとりたい言葉が多く出てくる感がいたしました。
まー、「ポジティブ」も「積極的」も、三日もすれば色あせるので、時々服用なさるがよろしいでしょう。
わたくしは、ときどきですが、最も「ネガティブ」なイメトレモドキをやっております。
今日のススメでは、ネガティブイメトレ、冠して「戦慄のイメトレ」を、ご紹介したく存じます。
「戦慄のイメトレ」は、元プロレスラーの故ジャンボ鶴田さんから学んだものです。
鶴田さんの著書に「受験は格闘技だ」という御本がございます。
ジャンボ鶴田選手は、肝臓の病気に倒れ、プロレスという仕事を続けることができなくなりました。
そこで一念発揮して、大学院にてコーチ学を学ばんとして、筑波大学大学院にお進みになられました。
そのときの受験のエピソードを一冊にまとめたものでございます。
本書での印象的なエピソードは、「自分の仕事であるプロレスができなくなったら、どんな仕事に就くだろうか?」と自問自答した出来事でございます。
アマではオリンピックまで出場し、プロの世界では完全無欠のエースといわれ、ファンを虜にしてきたエリートレスラーが、プロレスをやめた後の仕事に「屋台」を引くことくらいしか思いつかなかったと、本書にて独白しております。
受験勉強時は、落ちたときの自分を想像すると戦慄したと述べております。
『屋台はいやだ。いや屋台云々の以前に、その他の選択肢がないことが辛い。』
『大学院に行けば、コーチになって後進の育成もできる。教鞭も取れる、生活の安定が図れる』
などなどと、考えながら、日課のお勉強の励みにしたとのことでございます。
「ポジティブ」に「積極的」に考えても、どこか、そこには空虚さが伴うのでございます。
一方、ネガティブに考えたことは、どこか現実味があるのでございます。
お勉強をしていて、ときにやる気が失せ果てるときがございます。
このようなときには、「ポジティブ」に「積極的」に考えても、大火の前の杯モドキで、あまり状況の改善には至りません。
根源的なやる気がなくなりそうなときは、最もネガティブに考えるべきなのです。
落ちたら結局のところ、これまでやったこと、ガマンしたこと、テキスト・問題集代の全てが無駄になるとお考え下さい。
そして、その時間があればなにができたか、これまた「戦慄のネガティブイメージ」のスパイスになります。
ま、旅行はできますね、車のメンテもできますね、お墓参りもできますね、、、後回しになっている、今やっていないことは、本当にたくさんあるものなのです。
ほんま、アレもコレもできるんや、と思い返せば失っているものの多さを実感できることと存じます。
「ポジティブ」に「積極的」に考えると良いときとは、もっと勉強量を増やしたり、演習量を増やすときに行えばよろしいかと存じます。
一方、「戦慄のネガティブ」は、「やりたくない」「めんどくさい」ときに、ちょっとでも進めておこうかという「あと一歩の思考」でございます。

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雑草

今週のススメは、沈思黙考という四字熟語を題材にして、「考えること」をテーマにしてきました。
今日は、考えることについての締めとなるススメでございます。
さて、考えることの天敵、それは「雑念」でございます。
「考える」こととは、この天敵に触れなければ、じょうずに行うことのできないものなのでございます。
雑念といっても、難しいことではございません。
お勉強中に、、、
「あー風呂入りたいのぅ」「靴下代えたい」
「爪のびたナァ」「剃り残しのひげがあるがヤ」
「チョコくいてのぅ」「酒のみたいのぅ」
はてには、「風呂掃除せんとあかんのぅ」「税金どうしよう」「残高足りたっけ?」などなどまで、雑念の種は事欠かないものでございます。
ぶっちゃけ申しますと、雑念とは抹香臭い言いかたをすれば、煩悩でございます。
煩わしい悩みなのでございます。
人間、3大欲求云々よりも、こまごまとしたシチメンドクサイ、煩わしい雑用にアタマを悩ましているものでございます。
しかしながら、人間、欲があるうちが華と申しますが、煩悩があるということは、それだけ養分が豊富であるということでございます。
田んぼの雑草を煩悩と喩えますと、田んぼというのはみずっけもあるし、養分も豊富な土壌ですから、のびのびと雑草が生い茂るのでございます。
雑草の生えないような田んぼは、当然のことながら稲も生長しないものでございます。
稲が生長できる環境ならば、雑草はどうしても生えるものでございます。
ですから、みなさんが考えることのできる人ならば、天敵たる雑念、すなわち煩悩は、自然現象の如く発生するものでございまして、なくすということは不可能なのでございます。
逆に、何の雑念も湧かない方が、不健康でございます。純度99%の集中など、クスリでもしない限り、生身の人間では到底不可能な曲芸でございます。
思考とは、要するに雑草対策であるのです。
考えるために必要な集中力は、ま、30分程度しか持ちません。
要は、思考の貴重な結果を得るには、この30分の間だけ、雑念が入らないように配慮すればいいだけでございます。
雑念の混じらないようにするには、徹頭徹尾、時間の意識を変えることでございます。
何の時間意識なくダラダラとした作業では、スグに雑草が生い茂ることとなりましょう。
「集中しないと、集中しないと」と、自分の集中できる時間を延ばすよりは、集中できる時間の「回数」を延ばすが吉でございます。
1時間のフル集中より、30分・2回の分散集中の方が、容易いことでございます。

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