メニューに迷うときは、えてして、おなかが普通のときでございます。
おなかが一杯であれば、注文に迷うことはありません。
コーヒーか紅茶といった飲み物を頼むことでしょう。
おなかがいっぱいのときに、「ボリュームランチ」といった、なんの捻りのない注文はなさらないかと存じます。
おなかが空いていると、量が多いお料理に目が行くものでございます。
ビッグとんかつやヘビーグラタンというメニューを前にして、くちの周りを脂まみれにしている自分、ホワイトソースを一心に掻きこむ自分を想像するのは、極上の楽しみでございます。
「サービスほにゃらら」という文言が付いていれば、さらに想像の味は風味を増すでしょう。
『サービス餃子・スタミナ満点』。。。『サービスビッグピッツァ・食べ放題』。。。『杏仁豆腐、サービス!』。。。嗚呼!
さて、お勉強をしていると、Aもしなくちゃ、Bもしなくちゃ、Cもしないと。。。嗚呼!無情!と混沌とすることが多々ございます。
つまり、お勉強のメニューに迷っているのでございます。
この迷いは、自分のおなかの状態、すなわち自分が何をすればいいのか、じっくり考えていないのでございます。
どれも、全てが、等しく重要である、てなことはありません。
優先順位をつけることができます。
おなかの状態は、多くの人が体感的に把握できるのでございます。
あたまの状態は、体感的には把握できないものなのでございます。
こればっかりは、ちょっとばかり時間をとって、優先順位を決めて、処理する過程を決めておかねばならないのでございます。
記憶にあるかないか、で優先順位をつけるのも立派な優先順位でございます。
頻出かそうでないか、も優先する順位でございます。
勉強時間の大小で、やるかやらないか、先にやるか、後日にまわすかを決めるのも、立派なお勉強の部分でございます。
30分のお勉強時間があれば、25分はテキストか問題集に費やし、5分は作業の仕分けにあてるがようございます。
迷うのは、ほんとうに時間の無駄でございます。
しかも、実にならないのが現実でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2006年8月28日 12:04 PM |
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「結果の80%は、20%の活動から生み出される」というのが、パレートの法則でございます。
要するに、どんなにがんばっても、払った努力が「20%」の部分に当たっていないと、効果は少ないよ、ということでございます。
日本語の「コツ」とは、この「20%」をおさえた作業を取らないと、後々どえらい苦労するよということを表しているのです。
逆にいえば、どんなに難しく見えることでも、全体のポイントとなる20%をおさえてしまえば、労少なく結果を出せることになりましょう。
この「20%」にあたる行動とは、何かと申しますと、独学においては、「自己決定感」と考えるのでございます。
簡単にいえば、自分で調べて、自分で決めて、間違ったら直して、試行錯誤をしながら進みますよ、ということでございます。
資格試験のお勉強は、「膨大な情報の処理作業」といっても過言ではございません。
テキストや問題集とは、とどのつまり、処理すべき情報のカタマリでございます。
ですから、試験勉強をしているとどうしても、それら膨大な情報に振り回されるのでございます。
しかも、ネットにさえ繋がれば、いくらでもテキスト等以外の情報を引き出せる世の中でございます。
当たり前なのですが、自己決定感は、自分で決めなければ感じることができません。
「情報」というのは妙なもので、調べる手段が確保されると、あれもこれもと、延々と調べたくなってくるのでございます。
たくさん調べれば調べるほど、どこかに完全な情報が落ちているかも?という空虚な期待感に包まれてしまうのでございます。
しかしながら、情報というのは、どこまでいっても、ドンだけ労力と時間を割いても、不完全なのでございます。
結局、錯綜した不完全な情報の中で、判断しないといけないのでございます。
情報を追いかけるだけでは、消耗するだけで、何も決めることができません。
完全な情報、勉強ノウハウ、試験計画が生み出される頃には、当初のやる気が雲散霧消しているか、本試験は終わっているか、勉強時間が足りなくて不合格か、のどれかでございます。
基本的に、お勉強とは、情報を追いかけるだけでは不十分なのでございます。
テキストや問題集・ネットといった、外の情報だけのお勉強になっていないでしょうか?
自己決定感は、試行錯誤の中でこそ、味わうことができるのでございます。
試行錯誤は一見すると、無駄のように見えます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2006年8月25日 11:49 AM |
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規律はお勉強に必要不可欠でございます。
わたくしたちは、基準となる時間軸がないと、お勉強を淡々とこなすことはできません。
ですから、お勉強を為すに当たっては、生活に何らかの規律を埋め込む必要がでてくるのでございます。
規律というと堅苦しく、規則というと息詰まる感がするのも仕方がございません。
規律や規則は、そもそもグニャグニャしたものを縛るものでございますから。
お勉強には、規律や規則、自分との約束事が重要になるのですが、ガチガチになってはいけないのは自明の理でございます。
包帯やテーピングを、鬱血するほどガチガチに巻く人はいないのと同様でございます。
規則主義・規律主義は、行きつくところまで行ってしまうのでございます。
最終到着先は、空虚な達成主義。
なんら実力がついていないのに、やった気分だけに浸る、タコの入っていないイカ焼きのような無意味の存在に、お勉強が成り果てるのでございます。
タイトルにあるように、わたくしたちに必要なのは「健康的」であることでございます。
時には、一心不乱にお勉強に打ち込むのも結構でございますが、病的なまでの打ち込みは少なくとも、トランキライザーを服用することと相成りましょう。
本試験1ヶ月前でノリに乗っているなら、一心不乱もようございましょうが、試験日前日の一心不乱は睡眠不足を生むくらいが関の山でございます。
合理的であることです。
時間は厳粛な存在です。いくらあなたが、一心不乱に勉強しても、時間を重ねてきた受験生には分が悪いのでございます。
逆にいえば、長期の視点を持ち、たんたんと努力を積み重ねることができれば、本試験近くになって混沌としたお勉強をせずとも良いのでございます。
しかも、合格する可能性は高い。
高いやり方か低いやり方の、どちらを選ぶかでございます。可能性の問題でございます。
合格の可能性のある道筋を作り上げていくのが、ほかでもない規則的なお勉強の毎日なのでございます。
日々の日課の中でこそ、健康的なお勉強ができるのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2006年8月24日 12:25 PM |
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