資格試験のお勉強で重要なことのひとつに、自分の理解度を計ることがございます。
本試験まで、まだまだ間があるなら、そこそこの理解でも結構でございます。
しかし、本試験や模試の日が近づくにつれて、不安な気分に襲われることが多くなるものでございます。
不安は、皆が皆感じる自然現象なので仕方がないのでございますが、徒手空拳でいるのも癪に障るものでございます。
このようなときは、自分の理解度を計るのがようございます。
簡単にいえば、「どんだけ、わかってんのやろ」とテキストや問題集をパラパラとめくるのでございます。
パーラーパーラーとページをめくっていくと、自分の理解に応じて凹凸を感じていくものでございます。
「ここは、できる」「ここはあかんな」と、理解度の上下を、把握できるのでございます。
農家のオッサンが、緑一面の数百ヘクタールある畑を指して、「あそこのエンドウマメはええけど、あっちのソラマメはまだやのぅ」と、言うが如きでございます。
コレまでやった箇所を、さーーと流すのが、自分の理解度を計ることでございます。
それだけでも、不安はかなり解消されるものでございます。
しかし、より一層、不安をなくし実力の慣用に繋がる作業がございます。
さーーと流さない、ジックリやっていく復習でございます。
復習も、実は、不安対策のひとつなのでございます。
復習行動の動機の5割は、憶えたか憶えていないか、という不安で曖昧な状態を解消することでございます。
つまり、復習すれば、心中のモヤモヤが晴れて、スッキリするのでございます。
どれだけ自分が忘れているか、理解できていないかを知ることができます。
『幽霊の正体 見たり 嫁の顔』
と古人もいうように、正体さえ「ハッキリ」すれば、心中、確固たるものが出来上がるものでございます。
曖昧な状況にいることが一番、エネルギーを浪費するものでございます。
わからないなら、わからないなりに手を加えれるのでございます。
ですから、次の手を打とうという、エネルギーが湧いてくるものでございます。
ぜんぜんわからんね、というのは、しっかり現状を認識しているので、わたくしは褒めるものでございます。
よき理解度の把握例かと存じます。
タイトル・見出しの意味からやればいいじゃん、というわけだからでございます。
曖昧さをなくすこと、それが理解度を計る過程でございます。
復習という行為が、この曖昧さを薄めることのできる最たるお勉強方法なのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2006年9月19日 12:05 PM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
「がんばりましょう」とは、耳になじんだお言葉でございます。
何かあると、「がんばりましょう」と耳にし、そして声に出してしまうのでございます。
しかし、もう、わたくしは、この「がんばりましょう」では動けなくなっているのでございます。
「がんばりましょーー」と、にこやか・元気ハツラツに言われるだけで、何をしたらいいのかわからないのはストレスが溜まるからでございます。
「ちゃっちゃやって」と冷たく言われるも、「〇〇さんは、AAAして。そのあとBBBして報告して」「△△さんはCCCしておいて。おって指示出す」と言われたほうが、よっぽど気楽なのでございます。
「がんばります」は、えてして、エネルギーが空回りしてしまうのでございます。
車の空吹かしは、暖機運転ならよろしいでしょうが、ずーと続ければ「臭い・ムダ・疲労」の愚劣三国志になるのでございます。
わたくしたちが必要なのは、「実理」でございます。
実理とは、やるにあたって、相応の意味が含まれていることでございます。
「がんばる」だけのつぶやきは、つぶやきシローのように朝の露の如く儚いものでございます。
要は、コトバのトッピングでございます。
「がんばる」という前に、うなぎの山椒モドキを振りかけるのでございます。
「今が踏ん張りどき、がんばろう」といえば、ズルズルと下降気味だけど、自分はうまくいってないことが意識できており、たいへん高度な現状認識といえましょう。
「ふっきってやるぞ、がんばろう」だと、イヤナコトがあっても明確にそれを乗り越えていく決意を感じます。
「〇〇まで張り切ってやろう、がんばろう」の〇〇に、ページ数や問題数、時間でもあてはめてやれば、やることが確固としており、やる気がピンと張ってございます。
馬鹿とハサミは使いようでございます。
コトバは単純化してしまうと、自分のエネルギーをキチンと乗せることができないのでございます。
掛け声にも、実理でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2006年9月18日 11:54 AM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |
悲しいことに人間は、自分がいついい時期かわからないものでございます。
よく考えてみれば、あの頃が黄金期であったと、しみじみ思ってしまうものでございます。
わたくしが思いますに、お勉強とは足し算ではないのでございます。
今日1やれば、明日1残るかというと微妙でございます。
今日1、明日1やれば、あさってには「2」になっているかといえば、そうでもございません。
1日に7つやれば、1週間やらなくてよいかというとそうでもございません。
ぶっちゃけ、今日やっているお勉強の効果は、必ずしも機能するとは限らないのでございます。
日々のお勉強は、このように不安定な土台の上で行われているとお考え下さいませ。
この点を理解しておくと、ぐっと復習の重要性をつかめるのでございます。
わたくしだけでなく、多くの人が「復習が大事」というのは、やった内容を再記憶するだけでなく、生長のチャンスを掴むためだと考えるのでございます。
お勉強は、タネを蒔いただけなのでございます。
復習は、キチンとタネが根を張り、芽を出しているのかを確認することでございます。
ほったらかしにしておいても咲き誇るのは、雑草だけでございます。
おいしい果実、きれいなお花を咲かせたいなら、手入れは欠かせません。
このように手入れを欠かさないでおくと、「自分の伸びたとき」をキャッチすることができるのでございます。
あとから見直すと、あの時期が自分の伸びたときだと、わかってくるのでございます。
こーしてこうすると、アタマに残るナァ。
あーこういう状態だと全然進まないから、寝たほうがマシね。
調子がいいときとは、こういう感じなのね。
などなど、復習が反省をかねてくるのでございます。
復習を通して、お勉強の内容だけではなく、貴重な勉強情報を蓄積していってるのでございます。
もしかしたら、その伸びる瞬間が「イヤイヤながら」「めんどくさく思いながら」「適当に投げやりにやった」お勉強のときかもしれないのでございます。
人間、その時その時の意味を、キチンと把握できない以上、お勉強は細く長く続けれるように行っていくが花でございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2006年9月15日 8:24 PM |
| ▲ Back to Top. | ▲ Back to Homepage. |