独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

変化を見逃さない

要は観察力なのでございます。探知する力なのでございます。
自信がない、といいながらも、プレッシャーに打ち勝つ人、負けて実力の半分しか出せない人がございます。
試験に不安は切っても切れない腐れ縁でございます。だれもが不安に思いながらの受験でございます。
今振り返れみれば楽だった試験でさえも、受ける前は黄水が噴出す緊張感に包まれるもの。
ここで負けるか負けないかの分かれ道になるのが、自信なのでございます。
「自信がない」というのは、皆、同じなのでございます。ウソではございません。
違ってくるのは、多少あるだろう「自信」の性質なのでございます。
自信を手に入れるには、心中に起きた変化を見逃さないことでございます。
その変化が、意図したものでなく、自然に生まれたものであれば言う事はございません。
気づいたらこうなっていた、そうしていた、という類でございます。もちろん、意図的に習熟したものでも結構至極でございます。
勉強とは、これまでの方法でできたりもします。
しかし、従来のやり方ではうまく行かないことも、当然ございます。
お勉強をするにつれて、やり方だけでなく、考え方や態度まで変わってくるものでございます。
その試験に適したように、だんだん考えられるようになるのでございます。
例えば、わたくしでいえば、簿記の洗礼がございます。数字をクシャクシャに書くと読み間違いのケアレスミスが発生、きれいに書くようになった、という塩梅。例えば、ペン字の練習を通して、これまでになかった力の入れ加減が筆跡に生まれた、などでございます。
こういうことひとつでもあると、不思議に自信に繋がっていくのです。できたんだからできるやん、というシンプルな確信が生まれるのでございます。
自分の中の変化を見出すことが、「できるようになったなぁ」という詠嘆を生むのでございます。
この「できる」は、他人から見れば取るに足らないものであってもいいのでございます。言わしておけばいい。
計算ミスがなくなった、読み落とし・読み間違いが皆無になった、一番最初に較べたらテキストを読めるようになった、でよいのです。テキストを全部読み通せた、でもよいのでございます。
なんらかが「できるようになった」ということが、自信の源泉になるのでございます。そしてそれに気づくことでございます。気づくことで噛みしめて、自信を深める糧とするのでございます。

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どうして?で

ホニャララとハサミは使いよう、言葉も使いようと申します。
言葉遣いで、器量を5割上げることができると申します。元手はタダ、胡散臭いエステより言葉遣い・話し振りでございます。己を内面を磨け!顧客の心より上司のそれ役員のそれ。
さて、お勉強にも、言葉遣いは大切なのでございます。
それはできるだけ、「なぜ」という言葉を使わないことでございます。
なぜ、という言葉で考え出すと、内実に迫るかのように考えてしまうのでございます。奥に奥に、詳細に詳細に、結果、取るに足らない小さなことにどんどん拘泥しだすのでございます。
気づいたら、問題そのもの、例えば問題集の数問がわからないだけなのに、自分の性格やこれまでの失敗などに思いが向かってしまうのでございます。
はっきりいえば、こんな時間は、まあ、無駄であると。まず、答えは出ません。アルコールの摂取量が増えるがオチでございます。
お勉強では、「なぜ」ではなく、「どうして」と考え出すと、好都合でございます。
「どうして」と考えると、「どうしても」前向きになるのでございます。
「どうしてわからないんだろう?」というとき、それは無意識的に、解決法を前提にした話し振りになるからでございます。
「どうして、憶えられないのだろう?」というと、なんだか憶えられるんだけど何かが邪魔している語感を受けるのでございます。その邪魔モノを取り除けば良い、と。
これに対し、「なぜ、憶えられないのか?」「なぜ、わからないのか?」と考えてみてください。心中のベクトルがどっちに向いているか、気づくかと存じます。
このふたつの言い方のニュアンスを較べて欲しく存じます。
「なぜ」の思考は、答えのない難問に挑んでいるのでございます。しかも詰問調です。
こんな自分の現状に地滑りを起すような考え方は、本試験後に考え始めればよいことでございまして、前向きな努力を要する受験期間に考えずともよいのでございます。
「どうしてだろうねぇ」という発想が、前進を生むのでございます。

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時かえ場所かえ模様替え

お勉強というのは、たいがい長期戦になるものでございまして、調子が悪くなるのも致し方のないことなのでございます。
「どうも煮詰まってきたなぁ」と方法論を模索しだしたり、「どうもうまくいかないなぁ」と努力の費用対効果に「?」が点灯しだしたら、変化をつけてみればよいのでございます。
とはいえ、調子が悪いからといって、一気に変えればすべてがうまく行くというわけでもないのでございます。
今のやり方が、悪いわけではないのでございます。おそらく、適切なやり方ではあるのです。
完全な誤りではないのでございます。
ただ、「今」はふさわしくない、と。
要は飽きなのでございます。同じ場所、同じ時間、同じようなことを続けるというのは、実のところストレスなのでございます。
同じ刺激を与え続けると、そのための抵抗が生じます、それが飽きの正体なのでございます。
人間は、環境の生き物でございまして、身の回りのことから、有象無象の影響を受けているものでございます。こういうときは素直になって、変えてみる。
夜型なら朝型に変えてみる、朝はアタマが冴えているのを如実に実感できるかと。
勉強場所を変えてみる、家からファミレス、マクド、CAFEに、ちょっとした講座をとって専門学校の自習室、公共機関で自習のできるスペースに潜り込めば、違う雰囲気の空気を吸えるかと。燻製ハムのようにまわりの意欲を吸い込むものでございます。
勉強空間の替えてみる、机や小物入れの場所を替えたり、カレンダーを洒落たものに変えたり、カーテンを夏用にするだけで、いつもと違う雰囲気に、新鮮な気分に触れれるかと。
ちょっとした変化をつけていけば、要領までもが変わってくるものでございます。
「人は、環境の生き物である」を実践するとは、こういうことなのでございましょう。

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