独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

白紙に戻って

ときにお勉強は、ぐちゃぐちゃになってしまうものでございます。
自分がどこがわかって、どこがわからないのか、その境目でさえわからなくなることがあるのでございます。愛が先なのか恋ありきなのか、これでいいのか。
用語や語句が、混同・混用され、ますます混乱に拍手を掛けている方もございましょう。アタマの中は難しい専門用語がグルグル回りだします。酔ってないのに。
複雑で細目な迷路に迷い込むときもありましょう。ナンダこれはという日本語と格闘しつつ無力感・脱力感を味わうことでございましょう。
あれやこれやとアタマの中で論理や倫理をこねくり回していることでしょう。
努力の効果が見えてこない、自分のやっている実感が湧かなくなったときには、フト、やってるんだけどなぁ、という思いが募るものでございます。
ハッキリ申しますと、こうなったら一端、白紙に戻すのがよいのでございます。
もちろん、これまでやったことはリセットされてしまいます。もったいないなぁとの思いが強いことでしょう。
白黒つけていけばいいのでございます。最初からページを開いて、「ここはわかる、ここもわかる。。。」と確認していけばいいのでございます。
そして、必ず遭うだろう「微妙」「よくわからない」「暗黒」「苦手」というグレーゾーンを探しあてるのでございます。
探し当てたらあとは、丹念に見直してやり直しすればいいのでございます。
白紙に戻すのは、勇気の要ることでございます。後ろ髪引かれるものでございます。
しかし、遠回りに見えて、これが一番近道であるのです。
ワカラナイにワカラナイを重ねる、といいますとヘンな言い様ですが、本人は到ってまじめに、解決を捜し求めているのでございます。
しかし事は反して、当の本人がどんどんわからなくしているのであります。
わたくしたちに必要なのは、ちょっとした勇気なのでございます。
そして、徒労をガマンする気持ちでございます。
「うーん、わからん、けど、もう一回」でやり直していけばいいのでございます。
勉強というのは、いくらでもやり直すことができるのでございます。これは特権ではありませんか?
「こんなもんどうってことない、1週間もあれば直せるやん」というものが、お勉強の大半でございます。
隣でグウグウ寝ている人をフト眺めれば、やり直し可能の価値がいかほどにでもわかるかと存じます。

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ちゃんと数えとく

「100回やって愚痴ろう」というのが、先だってのススメの趣旨でございます。
100回やるといっても、適当にやるのではございません。「たくさんやれ」という曖昧な意味での「100」ではないのでございます。
やるからには、キッチリ「100回」やってしまうのでございます。
キッチリした100回をこなすには、演習量を数えておかなければなりません。
人間、哀しいもので、キチンと勘定のできない生き物でございます。
30回、40回あたりで、もういいかな、という甘い罠に陥るのでございます。おそらく、あとあとでやり直すハメに陥ることでしょう。
100回といえば、100回なのでございます。100までいってようやく意味が生じるのでございます。
その途中でやめてしまえば、それまでの量は「ゼロ」になるなのでございます。
途中でやめないためには、「正」という文字でも書きつけておけばよいのでございます。「正」の「一」を100回分として、「正正」となるまで数をこなすのでございます。
「正」という目指すべき、目に見えるものがあるからこその、100回演習なのでございます。
このような些細なとっかかりが、続ける工夫なのでございます。
100回と聞くと、初耳の人は物凄く多そうに思うことでしょうが、案外少ないのでございます。
なあに、1日10回のペース、朝昼晩の3.3.4で10日過ぎれば、計100回の演習はなるのでございます。
テキスト5ページ、問題数問であれば、15分もあれば3回転はできるものでございます。忙しそうなときなど高回転して一気に10回やることもあるでしょう。
小分けしていけば、取るに足らないものになって作業できるのでございます。
目指すは、「正」に一文字書き足すこと。

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勉強愚痴マナー

愚痴の多くは、無駄のものでございまして、はっきりいえば、口にださないほうが賢明なのでございます。
いえば、自分で自分のいった言に影響されるからでございます。めんどくさい、といえば更にメンドクサク、あほらしと言えば徒労感ばかりを、ことさら強く感じるようになるのでございます。
取るに足らない愚痴ではありますが、とはいいながらも心中に溜まったものを吐き出せますので、スッキリするという利点も捨てがたいのでございます。
愚痴も、なんたらとはさみの使いようの言のとおり、いい愚痴悪い愚痴があるのでございます。それは、一種の対人マナーなのでございます。
愚痴マナーとは、「100回やって口に出す」ということでございます。
1回やってみただけで、わからんとかめんどくさいとか言うのは、無用の極みでございます。
ガキじゃあるまいし、うまく描けないもん!といってクレヨンを投げ捨ててどうなるものか、体のよい成人では醜悪なばかりでございます。
100回やってからの愚痴というのは、真の悩みに昇華し、生彩を放ち、聞く人にとっても何らかの影響を投げかける、共通の問題に変ずるのでございます。
なんともない、取るに足らない、意味のない、愚痴を縷々並べられても、聞く人がたまったもんじゃ無し。
せめて、耳を傾けられるほどの、「愚痴」にしてしまいなさい」というわけでございます。
まあ、たいがいのことは、100回も見聞きしやっておりますと、「なあんだ」という感じで氷解するものでございまして、結局、勉強での愚痴が少なく友人を減らすこと評価を落とさず、また疑問点の理解・マスターに通じるという一石二鳥となるのでございます。
多くの愚痴は、「スグにできないことに腹を立てている」のが現状でございます。
なあに、少し言い換えて、時間を掛けてできるようになればいいや、と言い換えるだけで、無用の心身の損耗を避けることができるのでございます。
100回やってできなければ、多少の愚痴も許されると、また、自分のできなさ加減もうまく描写できるでしょうから、ひょっとしたら相手から解決法を引き出せるかもしれないのでございます。
ウマイ愚痴こそ、建設的な時間となるのでございます。

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