独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

勉強愚痴マナー

愚痴の多くは、無駄のものでございまして、はっきりいえば、口にださないほうが賢明なのでございます。
いえば、自分で自分のいった言に影響されるからでございます。めんどくさい、といえば更にメンドクサク、あほらしと言えば徒労感ばかりを、ことさら強く感じるようになるのでございます。
取るに足らない愚痴ではありますが、とはいいながらも心中に溜まったものを吐き出せますので、スッキリするという利点も捨てがたいのでございます。
愚痴も、なんたらとはさみの使いようの言のとおり、いい愚痴悪い愚痴があるのでございます。それは、一種の対人マナーなのでございます。
愚痴マナーとは、「100回やって口に出す」ということでございます。
1回やってみただけで、わからんとかめんどくさいとか言うのは、無用の極みでございます。
ガキじゃあるまいし、うまく描けないもん!といってクレヨンを投げ捨ててどうなるものか、体のよい成人では醜悪なばかりでございます。
100回やってからの愚痴というのは、真の悩みに昇華し、生彩を放ち、聞く人にとっても何らかの影響を投げかける、共通の問題に変ずるのでございます。
なんともない、取るに足らない、意味のない、愚痴を縷々並べられても、聞く人がたまったもんじゃ無し。
せめて、耳を傾けられるほどの、「愚痴」にしてしまいなさい」というわけでございます。
まあ、たいがいのことは、100回も見聞きしやっておりますと、「なあんだ」という感じで氷解するものでございまして、結局、勉強での愚痴が少なく友人を減らすこと評価を落とさず、また疑問点の理解・マスターに通じるという一石二鳥となるのでございます。
多くの愚痴は、「スグにできないことに腹を立てている」のが現状でございます。
なあに、少し言い換えて、時間を掛けてできるようになればいいや、と言い換えるだけで、無用の心身の損耗を避けることができるのでございます。
100回やってできなければ、多少の愚痴も許されると、また、自分のできなさ加減もうまく描写できるでしょうから、ひょっとしたら相手から解決法を引き出せるかもしれないのでございます。
ウマイ愚痴こそ、建設的な時間となるのでございます。

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戻すことから

やすみ気分が充満しているのは、よいものでございます。
季節もよい頃でございます。
軽く汗ばみ、冬に溜まった何かを洗い流すような、気分のよい季節でございます。新緑も美しい。
家族連れや今だけ幸せそうなカップルを見るにつけて、天下太平、平和だなぁと思うものでございます。
さてこんなときに、本人がいくら、勉強をしよう!と思っても、これだけのウキウキ気分でございます、コチラに鉄の決意があろうとも、心中湧き立つものを抑えきれないものでございます。
こういうときは、まあ、よっぽどサボっていない限り、休みパワーに身を委ねればよいのでございます。
休みにしてしまえばいいのでございます。楽しんでしまえばいいのでございます。
楽しかった思い出が、わたしたちの支えになるのでございます。
遅れなど、「あんときはたのしかったなぁ」という思いに浸るだけで、取り返すことのできるパワーを手にできるのでございます。
とはいえ、遅れは遅れでございます。どうしたって取り戻さないといけないわけでございます。
注意すべきは、再開にあたってでございます。
遅れた分を取り戻そうと、ガッツリがっしりとやり込まないことでございます。
その危うさや、遅刻をしたドライバーが、車をすごいスピードで飛ばすのと同様なのでございます。
やすみのときは勉強はゼロでしょうから、アタマに錆が浮いているものでございます。
アタマの思考の稼動部分もギスギスしていることでございましょう。
やすんだ分、エネルギーはある、でも肝心のアタマの動きが悪いのが、現状でございます。そこで無理やり動かせば、どうなることやら、というわけでございます。
元のペースに戻すことから始めればよいのでございます。
準備運動程度でならしてから、本格的に波に乗るのでございます。本調子になれば、驚くほど進みます。
大きくやすんだあとは、テキストのチラ身、問題集の軽い復習くらいから、入っていけばいいのでございます。

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どうせあとからやるんだし

何をもって100%とするかでございます。
何でもかんでも、全力投球していれば、すぐに途端にへばるのでございます。
もう一度いいますが、何を100%とするかなのでございます。
「100%正しい計画などない」
独学ではまず、この現状に意を払っていなければいけないのでございます。
たとえば、有能なコーチや監督、教官の指導の下での言われしこと、カリキュラム、日程、メニューを100%追及していくのは、それはそれで正当性がございます。
少なくとも我らが、唯我独尊で進めるよりかは、上達するからでございます。
しかし、事、独学に到っては、そのようなありがたき先人がいないものでございますから、結局、自分の計画や見通しに頼らざるを得ないものでなのでございます。
我らの計画という点で、不十分・不完全なのでございます。
ですから、そんなものを100%追求せずともよいのでございます。
毎日の勉強計画ですら、そうなのですから、日々の勉強の1回1回を、完全に出来なくてもよいのでございます。
結局、お勉強とは繰り返さないといけないもの。
しかも、繰り返すことで記憶や理解が深まることも多々なのでございます。ですから、1回で終わらせようと、意気込まなくてもよいのでございます。
独学で進めるためには、一生懸命すぎてもいけないのでございます。がんばると適当との、頃のよい程合いなのでございます。酸いも甘いも噛み分けて。
独学の真髄は、適当でもある、のでございます。
己の現状に、まさに適すべし、なのでございます。
お勉強に、多少穴ができようが、抜けていようが、それはそれで独学では普通のことなのでございます。毎日スラスラ進む方が、極稀のことなのでございます。
今できる事をシッカリおさえ、できなかったものは「また後日」くらいでよいのでございます。

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