独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

少しに区切って

なんでも一時いっぺんに、やれはしないのでございます。
いっぺんに50問、ミッチリと100問の問題演習ができるのは、数回繰り返しあとの話なのでございます。
いくらなんでも最初から数百ページもできないものでございます。
100ページもできませぬ、50ページでも、25ページでもできないでしょう。
テキスト12ページくらい、問題なら3〜5問が進めていく上でのペースかと思います。
学習量が多すぎると集中力がもちません。復習もおざなりになるものでございます。
一度に百も二百もバリバリと、こなすのは奇人か天才のたぐいのみ、ゆめ参考にするなかれ。
少しに区切りをつけるのも、失われし勉強の技術なのでございます。
ぽっちりぽっちり区切りをつけるだけの技術でございます。
難しい問題も、ひとつの選択肢ごとに区切って考えていけば、わかりやすくなるのでございます。
小区切りが役に立つのは、わからない対策にあてたときでございます。
いちどきに4つ5つの選択肢、解こうとするから、余計にアタマは混乱するのでございます。
一選択肢・一選択肢に絞って考えてゆかば、見落とし無理解、記憶の抜け落ちを見つけるのでございます。あ、そうか、あ、ここだと思うものなのです。
一時に5つ選択肢できるのは、完成期・直前期あたりの脂ののりし時期でございます。それ以外、特に序盤であるならば、一問一肢にジックリ取り組むがあとあと資するのでございます。
一肢に集中してもわからぬなら理解できぬなら、文節用語に区切って、またも細かく区切りをつけて検証すればよいのでございます。
どんなに長い小説も、小分けに小分けを重ねれば、単に語句。どんなに問題多くあろうと、難しかろうとも、結局は選択肢の積み重なったもの、語句の集まったものでしかないのでございます。
テキストの記述にチンプンカンプンなら、鉢巻ぎゅっと引き締めて、同時におなかも引き締めて、一時間、この文章と格闘してやると臨めば、まあどんな文でも意が通じるものでございます。
できなければ、あとでやる、ほったらかせばよいだけの話。

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アッチできコッチできず

よくある話でございます。ある箇所ができるようになれば、他の場所ができなくなっているものでございます。
あそこが出来るようになったと思ったら、こっちができなくなるものでございます。
この箇所を憶えれば、あの箇所は忘れているのでございます。
よくあることでございます。自分だけではない話なのでございます。
お勉強とは、いたちごっこでございます。追えば逃げ、逃げれば更に追い込まれるものでございます。
憶えんとしても憶えず、忘れずとしてもゴウゴウと流れる河川の如く、忘れてしまうものでございます。
憶え忘れのいたちっごは、自然現象でございます。
まず、この事実を受け入れることでございます。
まあどうせ忘れるだろう、と思っておけばよいのでございます。
意気込もうがなにを思おうが、忘れるものは忘れるものでございます。
ならば憶え忘れを受け入れて、気楽に構えて茶菓子でも一口二口つまみつつ復習するほうを、わたくしは選ぶものでございます。
誰しも徒労感はいやなものでございます。
せっかくやったのに、後から見直せばまっさらまっしろであれば、誰しもがっくりするものでございます。
要はこのあたりの加減でございます。
がっくりしすぎると、更に勉強が重くなっていやになります。
負けない!!と発奮するのも、健康的ではございません。だって、何度でも難解でもあることですもの、そのたびに発奮できる人なんていないざます。
「お、来たな」くらいに身軽に構え、忘れ忘れる現状を踏まえておさらいするのが、続けていけるやり方だと思うのです。

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ニヤリと笑うときもある

お勉強にも笑いはあるのでございます。
箸が転んでも笑い転げる年頃のあなた様かとは存じますが、その笑い方ではないのでございます。
アハハ、キャハハハハと歓喜に溢れた笑いでもないのです。
勉強の笑いは、ニヤリなのでございます。
薄暗い蛍光灯の下で、ニヤリと片頬を上げるのがお勉強の笑いなのでございます。ウフフ、フフフ。
基本的にお勉強は繰り返しが基本でございまして、最初は全くできなかった問題集も次第にできるようになるのでございます。
できるようになりゃこっちのモンで、やればやるほど実力がつきし実感を得ることができるのです。
手に取るだけで眠くなりしテキストも、次第にわしわし読みこなせれるようになり、直前期にもなればパッと開けば、どことどこが重要でアソコとココが弱いナァと判別するに至るのでございます。
このようなときは、できたできたパチパチパチ〜と拍手溢れし満面の笑顔ではありません。
ニヤリとするのが、お勉強のしきたりなのでございます。フフン。
ニヤリ笑いは、職人に通じるものがあるのでございます。
職人は新規の道具を作りません。コレまで作りしものと同じきを作るのが職人でございます。
目新しいものを作るのは、従来のものを作りに作った上での話であって、一種の才人でなければ馬鹿にされるだけの野暮話なのでございます。
職人は同じものを作り続けるからこそ、作られし道具は洗練に洗練され、ときに天才が現れて創意工夫が施されて次の時代に伝えられるのでございます。
洗練の極意は、もうわからないほどに道具に馴染み、一体化されている隠れた技術でございます。たとえをいいますと、目玉焼き用のフライパンの柄の高さ、角度、曲がり方をジックリ観察してください。そういう形でなければ使いにくいのでございます。その形でないとダメなのでございます。これをエクセレンスと表現するのでございます。
使って美しく手に持って優美なのが、洗練されしモノを使う功徳なのでございます。惚れ直すことでしょう、時には台所に立って諸君に見せつけるがよい。
勉強の喜びとは洗練の喜びなのでございます。エクセレンスなのでございます。
同じ問題を解くことによって、その問題の問い答えはもとより、試験の要領コツ感じから対策までを自分のものにしていっているのです。
解けば終わり、正解すれば次の問題、というものではないのでございます。
実際問題、問題を新しく作るのは困難ではっきりいうと、過去問を超える良問というのはなかなか作れないものなのでございます。
ですから、過去問演習をジックリした上での新規の問題集に取り掛かるのが、独学のセオリーになるのでございます。
繰り返せばニヤリと笑みが漏れるもの。

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