独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

似たり寄ったり

はっきり申しますと、それほど差はないのでございます。
お勉強とは兎角に地味の積み重ねでございます。スポーツのような肉体的な才能の極地が求められるわけではありません。
アタマの良し悪しに、人の世のいうほどの差はないのでございます。
AさんとBさんとあなたを較べてみても、そんなに差はないものでございます。目はふたつ鼻はひとつ耳はふたつあることでしょう。
犬やネコと較べてごらん。毛はないは肉球はない、そしてかわいらしさもないと、禽獣と己とは全く違う生き物であることがわかるかと存じます。
AさんとBさんとあなたを較べてみても、脳みその機能や肉体の性能に、それほどの差はないものでございます。
あっても些少なものでして、塩コショウをコショウ塩したくらいでございます。
記憶力云々理解力云々というのは、一種の絵空事でございます。
わたくしは記憶力がそうよくありません、化粧品売り場の数あるメーカーのひとつも憶えられません。そこで売りし奇術用品詐術用品の名前すら憶えられません、広告CMの女優タレントの美人どこの名前すら憶えられません。京マチコ、森光子あたりが関の山でございます。
駅の名前も定かではありません、国道もよく憶えていません、そんなわたくしでも試験用語を憶えられたのは、時間をかけて何回もするからでございます。
理解力というのも不思議な話のひとつ、理解できたからといっても点数には及ばないのが試験というもの。理解しても憶えられずば、なのでございます。
結局のところ、大きな差になってくるのは性根の部分でございます。
やり方とらえ方進め方の元のところになるからでございます。
肉体的頭脳的な差は少なくても、やりようによっては、時間の経過と供に大きな差となるのでございます。
高利貸しの高金利と市役所の低金利福祉融資の差でございます。
もともとの差は大きくなく、ほんの意識の持ちようで差を縮めることができると思えば、張り合いも出、無駄に望みを絶つこともなくなるだろうと思うのです。
大切なことは、簡単で単純シンプルなのでございます。

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不調重畳

不調で終わってもよいのでございます。
お勉強は1日1日の積み重ねでしかないものでございます。
えてして長期戦でございます。
ゆえに好不調の波をまぬがるるものではないのでございます。
1日や2日ダメでも、それほど考え込まずとも気にせずともよいのでございます。
1週間もダメだったらアララなんだかおかしいな、と数日休養にあてればよいのでございます。虫の知らせというものがございますから、そういうときは自然に委ねた方がよいものでございます。カラダアタマのメンテナンス、けだものの夏冬の毛の生え変わり同様、わたくしたちの夏冬細胞の入れ替わりかもしれませぬ。
なあに明日には明日の風が吹くものでございます。気にすりゃ逆に吹かないものでございます。
極言すれば試験とは、本試験のときだけ好調でありさえすればよいのでございます。好調の波に上り調子に合わさったらよいのでございます。ただひたすらに、試験を受ける数時間だけ調子がよければよいだけの話でございます。
他のすべての期間がずーと不調であってもよいのでございます。
逆に日々のお勉強に調子がよすぎるのも怖い話なのでございます。
満つれば欠くと申しますように、上がったものは下がるのが世の倣いでございます。
大吉よりも中吉が喜ばれる所以でございます。最も高い値をつけたとたん、どっとぞ売りが入りこみズルズル値崩れしていくものでございます。
自分だけはその法則から免れているとは、なんというおこがましさでございましょうか。
盛者必衰は勉強にもあり、でございます。その逆もいわんや。
いま不調であるならば、必ず好調に至るものなのでございます。
不調でなんだか進んでないナァと思っても、それは次の好調の影法師なのでございます。
汝煩う事勿れ(なんじ、わずらうことなかれ)とはよく言ったものだと今更ながら思うのです。
次にいいこと必ずあるからでございます。

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類は友

「類は友を呼ぶ」
「類友」のメカニズムはそこかしこ、あちらコチラで目にすることができるのでございます。
火を油を注ぐ、ということわざも「類友」はたらきを表しているのでございます。
上司役員お客様、怒られし時には亀になり何も言わずに反論しないのは、得てして怒りを増幅させないためでございます。
怒りは怒りを呼ぶのでございます、「類友」理論からすれば。
なんてことないひと言でさえ、カァ!!この野郎!!とアタマに血を登らせる可能性があるのでございます。登りすぎて、何を怒っているのか当の本人ですらわからなくなるのは、このメカニズム在りし故にでございます。
ですから黙ってお小言を、頂戴するのがよいのでございます。ひと言も反論しないで言い訳せず、理由云々述べないのが人の機縁を知りし者なのでございます。理性をもって怒るのは、ひとつの技術でございます。
このように「類友」は、日常茶飯事なのでございます。
怒りと同様、焦りは焦りを呼ぶものです。わけのわからん問題立て続け、解ける問題も解けなくなるものでございます。
焦りと同様、パニックはパニックを呼ぶものでございます。マークシートの記入のミスが、なぜか問題読解に影響しトンチンカンな解答解釈をするようになるのでございます。
「類友」を逆にいえば、違うもの同士は連れ添わないということでございます。
焦りから叡智は生まれませんし、混乱も理性を招きはしない。亭主奥方、類の友。
ですから、焦りなら焦り、怒りなら怒りの影響を、いかに食い止めるかが大切になのでございます。
お勉強でも、「類友」は同じく作用するものでございます。
諦めが諦めを呼ぶものでございます。
一問どうでもよく扱うと、次の問題もの次もどうでもよくなるのでございます。
「わからない」が更なるわからないを連続さしむるのでございます。
テキストに書いてあるのに解説にも書いてあるのに、当の本人アタマに血が登ったか焦ってスイミングアイなのか、なぜか読んでいないのでございます。それさえ読めば終わりなのに。
そして同じところをぐるぐると、自分の尻尾を追いかける仔犬のように駆けまわることになるのでございます。
感情というのは増幅するものだ、とまずは思うことから始めたく思います。
そして、カアッ!と血が登ったり、アタマがぐるぐるしだしたら、「お、来たな」と待ち構え深呼吸を3回やって、それから再開してみようと思うのです。
エネルギーの空吹かし、やる気の空回転の徒労から抜けだせると思うのです。

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