独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

ドザボリも悪くない

基本的に、わたくしは毎日コツコツとお勉強を進めることを推奨するものでございます。
なんもせずに寝てしまうよりかは、眠たいマナコをこすりながらの5分でも、お勉強なさるがよいと考えるものでございます。
5分あればいろいろできるものでして、離婚届にハンコも押せます、「別れよか」と終わりの言葉も発せます、腐れ縁を切ることもできるのでございます。
5分あれば、今日のサボリをカバーする次回の勉強の計画を立てることもできましょう。
5分あれば、あの用語の意味の確認、解法パターンの確認、解き方の確認、あの表あの図を見直すこともできるのでございます。
このような地味な作業の積み重ねが、アタマの中に沈殿し忘れぬ記憶の元となると考えるものでございます。
とはいえ、こうともいえます。
毎日学校に行く人が、アタマがいいとは限らない、成績上位者とは限らない。
毎日会社に行く人が、仕事ができるとは限らない。風邪をうつすだけの人もいる。なかにはインフルエンザで来る人もいる、何をしに来た!支社長命令で帰宅される人もいるものでございます。
毎日練習したからといって、常にレギュラーとは限らないものでございます。
必ずしも、毎日やったからといって効や験があるものではないのが、浮き世の習いなのでございます。
ですから、わたくしはサボリ、弩サボリを禁ずるものではないのでございます。
ときにぼーとするのもよいものでございます。帰ってそそくさ風呂入り飯食ってテレビも見ないで布団に入り、「アアこんな時間に」とひと息つくのは楽の極みでございます。
ベッドに入りむしゃむしゃと洋菓子和菓子をほおばるのもようございましょう。チョコクッキーにぼんち揚げのウルトラうまいが太るコンビで菓子の極みを味わうのもようございましょう。
720mlで数千円する日本酒大吟醸を寝転びながら飲むのも酔うございましょう。
ぽっと生まれる空白期間が、新たなやりよう進め方、解き方見落とし陥りようを発見するものでございます。
難しく考えてるだけやん、とか、欲張りすぎの予定やからや、腐れ縁を切るチャンスや、などなど。
サボリの多様は禁物でございますが、行き詰まりを感じたならどーんとサボるのも一手なのでございます。

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無駄意識

手っ取り早いのは、無駄なことをしないということでございます。
世の中、「大切なこと」「重要なこと」「よいこと」「利すること」「トクすること」「擬似サービス」で溢れてしまっており、どれを選ぶかに骨を折るようになったのでございます。
ですから、無駄なことをしないというのは、やることが一個しかない分、行い易いというわけでございます。
うまくいかないようでしたら、まず「無駄なこと」をやらないようにするだけでいいのでございます。
うまくしよううまくしなくちゃと追い込まれるとと、アレもコレもやらなくちゃと事到るものでございます。
そうすると、「選択」という悩ましい道程を越えねばならなくなるのでございます。まーそこでエネルギーは損耗します時間食います。
たとえばわたくしは、使うテキスト・問題集を1〜2週間ほどかけて吟味いたしますのも、あとで買い直したり買い足すのがめんどくさいからでございます。
再度本屋に行かねばならない、本屋へ行けばテキスト・問題集探しだけではもったいないと、そのほかの本も散策することであろう、いいのがあれば買うだろう、さらに財布を開かねばならないだろう、のどが渇けばクロワッサンとコーヒーで小粋な昼を楽しむものだろう、おなかが膨れると地下の食品売り場でものめずらしいチーズやらツマミやらを探してしまうものだろう、とまあ、こんな風に無駄がちょい無駄を呼ぶものなのでございます。
よっぽどのことがない限り、一度買ったテキストは最後までやりとおしますし、問題集も何度も解き繰り返します。それが終わって追加できるものがあれば買い足すというやり方でございます。
選択の多さなんて良し悪しでして、お買い物のようなプロセスと楽しむもの以外は、ロスが多いものでございます。
ならばそのロス、問題演習に充てた方がいいでそう、と考える次第でございます。
無駄をなくしてみる、だけでよいのでございます。
無駄避け無駄なくしで、一層「大切なこと」「有利なこと」「大事なこと」がクリアに見えてくるものなのでございます。

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コツコツなら食べられる

巨大な板チョコでした。
明治製18×25センチ弱の巨大な板チョコがあったのでございます。その大きさたるや、タオル1枚をひろげた面積をご想像くださればと存じます。
大半の人は、大きさで食べる意欲をなくすものでございます。
妹から頂きし板チョコでございました。お菓子のまるしげで、いつも大ビニル分のお菓子を買うを常にしている彼女でございます。彼女ですら食べなかった板チョコでございます。
この板チョコを、私は食べきったのでございます。その旨を話したときの彼女の驚きの顔が目の裏にこびりついているわたくしでございます。「よーくったなぁ!!」
親しき仲にも礼儀あり、兄妹は他人の始まりと申しますが、人として賛嘆されたのは初めてのことでございました。
別段、苦労し拷問のように食べたのではないのでございます。1ピース(消しゴム並の大きさ、約1.5×2センチ)づつ食べていっただけの話しでございます。
この板チョコ、本当は贈呈用に使われるようで、パーティーや飾り等に用途があるそうでございます。あまり食べる人はいないと、子供数人の家族持ちならわからんではないのですが、1人で食べきったというのはない話とのことでございます。
食べた本人としては、ムシャムシャと食べただけなのでございます。
要は、「少しづつならやれる」ということなのでございます。今は、一時に多くはできないが、少しならできるということでございます。
一時にできないモノは、少しづつやれば完遂できるのでございます。
3日やそこらでは、巨大チョコを食べることはできなかったことでしょう、毎日バクバク食べたらそれこそ見るもイヤになるのがオチでございます。
勉強も同じでして、苦手科目をガツガツやればさらにイヤになるものでございます。そしていやになったものを続けるのにどれだけ精神エネルギーの損耗やいかに?という考察に至るのでございます。
無理やりは、得てして破綻するものでございます。
一時に済ましてしまうのも、よっぽど心身ともに好調時でないと、ダメに終わるものでございます。
少しならやれるのでございます。少しやれたなら最後までやれるのでございます。
このような教訓を得、おなかポッコリになったことを後悔していないわたくしでございます。

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