自分なりにやる、というのは、いい意味も悪い意味、両方あるのでございます。
「自分なりにやってる」という言葉をよく耳にしますが、これはマイペースとは違うものでございます。
マイペースというのは、知っているのでございます。どれだけ、しなければならないかを、できるようにならないといけないかを。
「このくらいの事はやらんといけんのだけど、ちょい今は、これくらいにしとこかな」と、自分の調子とやるべきことのバランスの上で、マイペースは成り立っているのでございます。
それは、「仕事が忙しい時期だし」であったり、「テキストの読み込みが足りないだろうしね、ま、ぶっちゃけ見た感じ、できるだろうしみたいな」、「まあアレですヨ、いまは細かいとこの復習期間ですから、エエほっといてもいいんですよ」という風に、自分のペースで意図的な進みようなのでございます。。
一方、「じぶんなりにやっている」「じぶんなりにがんばっている」のは、自分に最初から限界を設けているのでございます。
自分で勝手に壁を作って、それ以上、伸びないよう、しないようにしているのが、その実態でございます。
こうなると、もはや伸びようがございません。
試験というのは、「自分」に合わせてくれない以上、「自分なり」では到底、合格にたどり着けないのでございます。
いや、はっきりいえば、自分から「合格できないようにしている」のでございます。
「自分なり」というのは、状況判断や索敵に、適した身の処しようなのでございます。
全体の感じや感触をつかむ上では、自分なりのリズムとテンポでチャキチャキと、つかんでいけばいいのでございます。
しかし、本腰を入れたら「自分なり」では物足りないのでございます。
力の出し惜しんだ態度になっていないか、もしその片鱗があるなら、今のうちに潰さん、というわけでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年4月30日 2:16 PM |
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「アレ、憶えてるかな」「アレとアレ、思い出せるだろうか?」など、お勉強中は忘却との戦いなのでございます。
シレっとした人でも、忘却の絶望を味わっているものでございます。
自分がドンドン忘れた事に気づくと、必ず起きるのが「アレはどうだろ。。。?あそこは。。。」というどす黒い連鎖の疑念でございます。
その鎖は灰色でなく、どす黒い色をしています。
前の章のをスッカリ忘れてたらどうしよから、今日やったトコをもう忘れたかもしれない、と疑念は深まるばかりなのでございます。
しかし、わたくしはこういう連鎖を好ましいものと考える次第でございます。
ある不安から次の不安が出てくる事自体、記憶の素子が繋がっているからでございます。
完全に忘れると、つながりさえ忘れているからでございます。もうまっしろに。
ですから、アレコレ不安に思うこと事態、記憶のもう一歩手前のあかしと思うのでございます。
記憶の素子と素子が、一応は繋がっているのだから、あとはしっかりしっかりと、地味に各々結んでいくだけでございます。
とはいえ実際問題、不安の連鎖は精神を病むものでございますから、何とか手当てをしたいものでございます。
アレもコレも憶えたかどうか疑念を持つようになったときは、数えてみるがよいのでございます。
数えてリスト化して一覧表を作ればよいのでございます。
数えてみたら、自分が思う以上に、疑念の数は少ないものでございます。「なんや週に〇個づつ、見直せばいいだけか」と思うものでございます。
そしてたいがい再暗記は、スムーズに行くもので、確認作業を終えれば、記憶に一層鮮やかに定着しているものでございます。
災い転じて福となすとはいいますが、不安や疑問に苛むよりかは、キチンと正面から向かった方が、解決は早いのでございます。
解決すれば、おいしく飲めるし食べることができるのでございます。ひやで飲むのもいいし、手づかみでケーキをつかみ食いするのもできるのでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年4月26日 12:32 PM |
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えらそうな事をいう人には、ホトホト注意をしなければならないのでございます。
イヤなことがあってもさぞかし、知ったような口調で「なあに今年の厄払いさ」などという人には、警戒の念を解いてはいけないのでございます。
ノラネコなら逆毛のまま、フゥッと威嚇続行中でございます。
こういう言の人は、たいがい自分に起こっていない、対岸の火事だからこそ、いうのでございます。
というもの、どんな人でも自分の気分を操作することなんてできない、と悟ったからでございます。
あるお昼下がりの出来事でございます。
お昼ご飯を食べていて、あら、おかしい、なにか「空」なる違和感を感じたのでございます。
なんだろ、妙だなと思った瞬間、電光の如く気づくのでございます、右の奥歯の詰め物が取れし事を。
あるところにない。当然感じるものがなかったときの焦り。家に帰ったら妻子が居ないというのはこんなもんかなと思った程でございます。
さて、この詰め物、不思議なのは、いつの間にやら当人が、気づかぬうちに外れていたようなのでございます。
馬鹿らしいのですが、詰め物が取れたと気づいた瞬間、ポケットをパンパン叩き、机の上を見渡して、ちゃわんのごはんをかき分けて、お皿のおかず紛れてないかと、銀歯をあちこち探したのでございます。
しかし、ない。おひるの唐揚げとともに飲み込んだとしか考えられないのでございます。
詰め物を食べた、というのは、これまでにない暗黒な気分でした。1日中、気が晴れませんでした。青菜の虫を食べたのとは違う、気の悪さでございます。
昨日いった「厄払い」と言おうが思おうが、納まるものでなし。
つくづく、人というのは身勝手な物言いをするなぁ、我ながらと思ったのでございました。
考え方や物言い次第で、「イヤ」がなくなるわけでなし、悟りを開くわけでもなしと、3度振り返って赤面するわたくしでございます。
こういうことがあって、いやな目に遭ったよ、という友人に話しには、さかわらず素直に耳をかそうと思ったわたくしでございます。
味わったものだけにしかわからぬものがあると、今更の思いでございます。
| カテゴリー: 過去のススメ | | 2007年4月25日 3:29 PM |
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