独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

どうして?で

ホニャララとハサミは使いよう、言葉も使いようと申します。
言葉遣いで、器量を5割上げることができると申します。元手はタダ、胡散臭いエステより言葉遣い・話し振りでございます。己を内面を磨け!顧客の心より上司のそれ役員のそれ。
さて、お勉強にも、言葉遣いは大切なのでございます。
それはできるだけ、「なぜ」という言葉を使わないことでございます。
なぜ、という言葉で考え出すと、内実に迫るかのように考えてしまうのでございます。奥に奥に、詳細に詳細に、結果、取るに足らない小さなことにどんどん拘泥しだすのでございます。
気づいたら、問題そのもの、例えば問題集の数問がわからないだけなのに、自分の性格やこれまでの失敗などに思いが向かってしまうのでございます。
はっきりいえば、こんな時間は、まあ、無駄であると。まず、答えは出ません。アルコールの摂取量が増えるがオチでございます。
お勉強では、「なぜ」ではなく、「どうして」と考え出すと、好都合でございます。
「どうして」と考えると、「どうしても」前向きになるのでございます。
「どうしてわからないんだろう?」というとき、それは無意識的に、解決法を前提にした話し振りになるからでございます。
「どうして、憶えられないのだろう?」というと、なんだか憶えられるんだけど何かが邪魔している語感を受けるのでございます。その邪魔モノを取り除けば良い、と。
これに対し、「なぜ、憶えられないのか?」「なぜ、わからないのか?」と考えてみてください。心中のベクトルがどっちに向いているか、気づくかと存じます。
このふたつの言い方のニュアンスを較べて欲しく存じます。
「なぜ」の思考は、答えのない難問に挑んでいるのでございます。しかも詰問調です。
こんな自分の現状に地滑りを起すような考え方は、本試験後に考え始めればよいことでございまして、前向きな努力を要する受験期間に考えずともよいのでございます。
「どうしてだろうねぇ」という発想が、前進を生むのでございます。

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時かえ場所かえ模様替え

お勉強というのは、たいがい長期戦になるものでございまして、調子が悪くなるのも致し方のないことなのでございます。
「どうも煮詰まってきたなぁ」と方法論を模索しだしたり、「どうもうまくいかないなぁ」と努力の費用対効果に「?」が点灯しだしたら、変化をつけてみればよいのでございます。
とはいえ、調子が悪いからといって、一気に変えればすべてがうまく行くというわけでもないのでございます。
今のやり方が、悪いわけではないのでございます。おそらく、適切なやり方ではあるのです。
完全な誤りではないのでございます。
ただ、「今」はふさわしくない、と。
要は飽きなのでございます。同じ場所、同じ時間、同じようなことを続けるというのは、実のところストレスなのでございます。
同じ刺激を与え続けると、そのための抵抗が生じます、それが飽きの正体なのでございます。
人間は、環境の生き物でございまして、身の回りのことから、有象無象の影響を受けているものでございます。こういうときは素直になって、変えてみる。
夜型なら朝型に変えてみる、朝はアタマが冴えているのを如実に実感できるかと。
勉強場所を変えてみる、家からファミレス、マクド、CAFEに、ちょっとした講座をとって専門学校の自習室、公共機関で自習のできるスペースに潜り込めば、違う雰囲気の空気を吸えるかと。燻製ハムのようにまわりの意欲を吸い込むものでございます。
勉強空間の替えてみる、机や小物入れの場所を替えたり、カレンダーを洒落たものに変えたり、カーテンを夏用にするだけで、いつもと違う雰囲気に、新鮮な気分に触れれるかと。
ちょっとした変化をつけていけば、要領までもが変わってくるものでございます。
「人は、環境の生き物である」を実践するとは、こういうことなのでございましょう。

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自分なりでは

自分なりにやる、というのは、いい意味も悪い意味、両方あるのでございます。
「自分なりにやってる」という言葉をよく耳にしますが、これはマイペースとは違うものでございます。
マイペースというのは、知っているのでございます。どれだけ、しなければならないかを、できるようにならないといけないかを。
「このくらいの事はやらんといけんのだけど、ちょい今は、これくらいにしとこかな」と、自分の調子とやるべきことのバランスの上で、マイペースは成り立っているのでございます。
それは、「仕事が忙しい時期だし」であったり、「テキストの読み込みが足りないだろうしね、ま、ぶっちゃけ見た感じ、できるだろうしみたいな」、「まあアレですヨ、いまは細かいとこの復習期間ですから、エエほっといてもいいんですよ」という風に、自分のペースで意図的な進みようなのでございます。。
一方、「じぶんなりにやっている」「じぶんなりにがんばっている」のは、自分に最初から限界を設けているのでございます。
自分で勝手に壁を作って、それ以上、伸びないよう、しないようにしているのが、その実態でございます。
こうなると、もはや伸びようがございません。
試験というのは、「自分」に合わせてくれない以上、「自分なり」では到底、合格にたどり着けないのでございます。
いや、はっきりいえば、自分から「合格できないようにしている」のでございます。
「自分なり」というのは、状況判断や索敵に、適した身の処しようなのでございます。
全体の感じや感触をつかむ上では、自分なりのリズムとテンポでチャキチャキと、つかんでいけばいいのでございます。
しかし、本腰を入れたら「自分なり」では物足りないのでございます。
力の出し惜しんだ態度になっていないか、もしその片鱗があるなら、今のうちに潰さん、というわけでございます。

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