独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

ちゃんと数えとく

「100回やって愚痴ろう」というのが、先だってのススメの趣旨でございます。
100回やるといっても、適当にやるのではございません。「たくさんやれ」という曖昧な意味での「100」ではないのでございます。
やるからには、キッチリ「100回」やってしまうのでございます。
キッチリした100回をこなすには、演習量を数えておかなければなりません。
人間、哀しいもので、キチンと勘定のできない生き物でございます。
30回、40回あたりで、もういいかな、という甘い罠に陥るのでございます。おそらく、あとあとでやり直すハメに陥ることでしょう。
100回といえば、100回なのでございます。100までいってようやく意味が生じるのでございます。
その途中でやめてしまえば、それまでの量は「ゼロ」になるなのでございます。
途中でやめないためには、「正」という文字でも書きつけておけばよいのでございます。「正」の「一」を100回分として、「正正」となるまで数をこなすのでございます。
「正」という目指すべき、目に見えるものがあるからこその、100回演習なのでございます。
このような些細なとっかかりが、続ける工夫なのでございます。
100回と聞くと、初耳の人は物凄く多そうに思うことでしょうが、案外少ないのでございます。
なあに、1日10回のペース、朝昼晩の3.3.4で10日過ぎれば、計100回の演習はなるのでございます。
テキスト5ページ、問題数問であれば、15分もあれば3回転はできるものでございます。忙しそうなときなど高回転して一気に10回やることもあるでしょう。
小分けしていけば、取るに足らないものになって作業できるのでございます。
目指すは、「正」に一文字書き足すこと。

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勉強愚痴マナー

愚痴の多くは、無駄のものでございまして、はっきりいえば、口にださないほうが賢明なのでございます。
いえば、自分で自分のいった言に影響されるからでございます。めんどくさい、といえば更にメンドクサク、あほらしと言えば徒労感ばかりを、ことさら強く感じるようになるのでございます。
取るに足らない愚痴ではありますが、とはいいながらも心中に溜まったものを吐き出せますので、スッキリするという利点も捨てがたいのでございます。
愚痴も、なんたらとはさみの使いようの言のとおり、いい愚痴悪い愚痴があるのでございます。それは、一種の対人マナーなのでございます。
愚痴マナーとは、「100回やって口に出す」ということでございます。
1回やってみただけで、わからんとかめんどくさいとか言うのは、無用の極みでございます。
ガキじゃあるまいし、うまく描けないもん!といってクレヨンを投げ捨ててどうなるものか、体のよい成人では醜悪なばかりでございます。
100回やってからの愚痴というのは、真の悩みに昇華し、生彩を放ち、聞く人にとっても何らかの影響を投げかける、共通の問題に変ずるのでございます。
なんともない、取るに足らない、意味のない、愚痴を縷々並べられても、聞く人がたまったもんじゃ無し。
せめて、耳を傾けられるほどの、「愚痴」にしてしまいなさい」というわけでございます。
まあ、たいがいのことは、100回も見聞きしやっておりますと、「なあんだ」という感じで氷解するものでございまして、結局、勉強での愚痴が少なく友人を減らすこと評価を落とさず、また疑問点の理解・マスターに通じるという一石二鳥となるのでございます。
多くの愚痴は、「スグにできないことに腹を立てている」のが現状でございます。
なあに、少し言い換えて、時間を掛けてできるようになればいいや、と言い換えるだけで、無用の心身の損耗を避けることができるのでございます。
100回やってできなければ、多少の愚痴も許されると、また、自分のできなさ加減もうまく描写できるでしょうから、ひょっとしたら相手から解決法を引き出せるかもしれないのでございます。
ウマイ愚痴こそ、建設的な時間となるのでございます。

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戻すことから

やすみ気分が充満しているのは、よいものでございます。
季節もよい頃でございます。
軽く汗ばみ、冬に溜まった何かを洗い流すような、気分のよい季節でございます。新緑も美しい。
家族連れや今だけ幸せそうなカップルを見るにつけて、天下太平、平和だなぁと思うものでございます。
さてこんなときに、本人がいくら、勉強をしよう!と思っても、これだけのウキウキ気分でございます、コチラに鉄の決意があろうとも、心中湧き立つものを抑えきれないものでございます。
こういうときは、まあ、よっぽどサボっていない限り、休みパワーに身を委ねればよいのでございます。
休みにしてしまえばいいのでございます。楽しんでしまえばいいのでございます。
楽しかった思い出が、わたしたちの支えになるのでございます。
遅れなど、「あんときはたのしかったなぁ」という思いに浸るだけで、取り返すことのできるパワーを手にできるのでございます。
とはいえ、遅れは遅れでございます。どうしたって取り戻さないといけないわけでございます。
注意すべきは、再開にあたってでございます。
遅れた分を取り戻そうと、ガッツリがっしりとやり込まないことでございます。
その危うさや、遅刻をしたドライバーが、車をすごいスピードで飛ばすのと同様なのでございます。
やすみのときは勉強はゼロでしょうから、アタマに錆が浮いているものでございます。
アタマの思考の稼動部分もギスギスしていることでございましょう。
やすんだ分、エネルギーはある、でも肝心のアタマの動きが悪いのが、現状でございます。そこで無理やり動かせば、どうなることやら、というわけでございます。
元のペースに戻すことから始めればよいのでございます。
準備運動程度でならしてから、本格的に波に乗るのでございます。本調子になれば、驚くほど進みます。
大きくやすんだあとは、テキストのチラ身、問題集の軽い復習くらいから、入っていけばいいのでございます。

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