独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

ごはんを食べ過ぎない

意外にわれらは、過去を引きづるものでございます。
お勉強は、過去の学校体験が色濃く出るのでございます。
学校での授業ほとんどは、強制的なものでございまして、われらは、体調が良かろうが悪かろうが、ねむたろうがなんだろうが、授業を聞いていたものでございます。
独学になっても、この過去の強制ベースに勉強をやらんとす面々があるのでございます。
無理やりやるものが勉強だと、骨の髄までしみこんでいるため、本人は気づいていないのでございます。
自分の状況を無視して勉強に臨まんとするのは、それは姿勢として一部ひたむきで正しいかもしれませんが、実行度・作業充実度は怪しいものでございます。
結局は、質のよいお勉強を、どれだけたくさんこなすかでございます。自分の体調や状態を無視しては、質が劣化するだけでございます。
わたくしごとで、気づいたのは、ホトホト「眠さ」の盲点でございました
白いごはんを食べ過ぎると、猛烈に眠くなるのでございます。
おいしいお米のごはんは、それだけで食べられるます。
ぱくぱくパクパク、おいしいおいしいとドンブリ3杯も米を食べると、胃に血液が集中し、満腹睡眠極楽モードに入ることに気づいたのは最近でございます。
こんなに眠たければ集中した勉強ができるわけないと、踏んだのでございます。もちろん、本も読めないし音楽も効かない、あらゆる意志の力をストップさせるのが満腹パワーなのでございます。
この事実に気づいたわたくしは、勉強や本を読むときは、直近のご飯を1膳だけおかわりなし、にしたのでございます。
ごはんに合いそうなおかず(岩海苔、焼きタラコ、高菜の油いため、油揚げの醤油焼き、焼き味噌、ごま塩、焼き塩)は避け、少しでも腹持ちのよい野菜きのこ類を増やしたのでございます。
強烈な眠気も少なくなり、作業が捗ったというわけでございます。コーヒーをがぶ飲みせずとも済むようになったのでございます。
坊主が小食なのを痛感したものでございます。
体調管理の重要性は周知でございましょうが、上手に勉強時間を迎えることには結構、無造作な人が多いものでございます。
今日の勉強が疲れたり眠かったりどうも気が乗らないないようでしたら、己の生活を振り返り、原因の調査分析をする事をオススメするものでございます。

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変化を見逃さない

要は観察力なのでございます。探知する力なのでございます。
自信がない、といいながらも、プレッシャーに打ち勝つ人、負けて実力の半分しか出せない人がございます。
試験に不安は切っても切れない腐れ縁でございます。だれもが不安に思いながらの受験でございます。
今振り返れみれば楽だった試験でさえも、受ける前は黄水が噴出す緊張感に包まれるもの。
ここで負けるか負けないかの分かれ道になるのが、自信なのでございます。
「自信がない」というのは、皆、同じなのでございます。ウソではございません。
違ってくるのは、多少あるだろう「自信」の性質なのでございます。
自信を手に入れるには、心中に起きた変化を見逃さないことでございます。
その変化が、意図したものでなく、自然に生まれたものであれば言う事はございません。
気づいたらこうなっていた、そうしていた、という類でございます。もちろん、意図的に習熟したものでも結構至極でございます。
勉強とは、これまでの方法でできたりもします。
しかし、従来のやり方ではうまく行かないことも、当然ございます。
お勉強をするにつれて、やり方だけでなく、考え方や態度まで変わってくるものでございます。
その試験に適したように、だんだん考えられるようになるのでございます。
例えば、わたくしでいえば、簿記の洗礼がございます。数字をクシャクシャに書くと読み間違いのケアレスミスが発生、きれいに書くようになった、という塩梅。例えば、ペン字の練習を通して、これまでになかった力の入れ加減が筆跡に生まれた、などでございます。
こういうことひとつでもあると、不思議に自信に繋がっていくのです。できたんだからできるやん、というシンプルな確信が生まれるのでございます。
自分の中の変化を見出すことが、「できるようになったなぁ」という詠嘆を生むのでございます。
この「できる」は、他人から見れば取るに足らないものであってもいいのでございます。言わしておけばいい。
計算ミスがなくなった、読み落とし・読み間違いが皆無になった、一番最初に較べたらテキストを読めるようになった、でよいのです。テキストを全部読み通せた、でもよいのでございます。
なんらかが「できるようになった」ということが、自信の源泉になるのでございます。そしてそれに気づくことでございます。気づくことで噛みしめて、自信を深める糧とするのでございます。

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どうして?で

ホニャララとハサミは使いよう、言葉も使いようと申します。
言葉遣いで、器量を5割上げることができると申します。元手はタダ、胡散臭いエステより言葉遣い・話し振りでございます。己を内面を磨け!顧客の心より上司のそれ役員のそれ。
さて、お勉強にも、言葉遣いは大切なのでございます。
それはできるだけ、「なぜ」という言葉を使わないことでございます。
なぜ、という言葉で考え出すと、内実に迫るかのように考えてしまうのでございます。奥に奥に、詳細に詳細に、結果、取るに足らない小さなことにどんどん拘泥しだすのでございます。
気づいたら、問題そのもの、例えば問題集の数問がわからないだけなのに、自分の性格やこれまでの失敗などに思いが向かってしまうのでございます。
はっきりいえば、こんな時間は、まあ、無駄であると。まず、答えは出ません。アルコールの摂取量が増えるがオチでございます。
お勉強では、「なぜ」ではなく、「どうして」と考え出すと、好都合でございます。
「どうして」と考えると、「どうしても」前向きになるのでございます。
「どうしてわからないんだろう?」というとき、それは無意識的に、解決法を前提にした話し振りになるからでございます。
「どうして、憶えられないのだろう?」というと、なんだか憶えられるんだけど何かが邪魔している語感を受けるのでございます。その邪魔モノを取り除けば良い、と。
これに対し、「なぜ、憶えられないのか?」「なぜ、わからないのか?」と考えてみてください。心中のベクトルがどっちに向いているか、気づくかと存じます。
このふたつの言い方のニュアンスを較べて欲しく存じます。
「なぜ」の思考は、答えのない難問に挑んでいるのでございます。しかも詰問調です。
こんな自分の現状に地滑りを起すような考え方は、本試験後に考え始めればよいことでございまして、前向きな努力を要する受験期間に考えずともよいのでございます。
「どうしてだろうねぇ」という発想が、前進を生むのでございます。

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