独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

之も今年の厄払い

サボリの勧めではないのでございます。
基本的にお勉強は、コツコツが基本戦法でございます。毎日、同じ量なり同じ時間なり、ちょっと負荷をかけた量なりを続けることにより、不動の実力が組み上がっていくのでございます。
しかし、人間ですので好・不調の波が必ずあるのでございます。
若い時分には、不調なんて気にせずに腕力でごり押しできるものなのでございます。
とはいえ、今から考えればごり押し無理強いしたからといって、効果があったのかと思うとそうでもないなぁと思うのでございます。
結果的に、日程なり勉強計画なり日課なりをこなしただけ、消化しただけで、実質的な何かがあったのかというと、あまり記憶にないのでございます。目だって。
ところで、雑用や急用は、立て続けに、何やかんやと沸くものでございます。連続して起きるものでございます。トイレに入ったら電話が鳴って、宅急便が来る、銀行振込み思い出し慌てて出掛けるのでございます。
そのぶん、勉強に回す時間は削られます。時間を取り戻そうと睡眠を削れば、他の面で支障が出てくるものでございます。
どこぞで引っ込めた道理は、どこかしこで必ずひょっこり顔を出し、スッテンコロリン、つまずいてしまうのでございます。
多少予定が立て込み勉強できなくても、致仕方のないものなのでございます。
「ああ、勉強しなくちゃ」と思いつつの雑用は、健康的ではありません。雑用の類、それを生んだ当人を憎むかもしれませんが、呪わば穴ふたつと古人はいいました。
そんなときは、「コレも今年の厄払いじゃ」と神主にお祓いを受けたつもりで、気を大きく持つのでございます。この雑用も、まあ意味があるもんだ、と。
いまは好・不調の、不調にあたる時期で、勉強を一所懸命やったって、それほど効果もないもんさ、と雑用に向かうがよろしかろうと思うのです。
どのみちやるなら気安心にやるほうが、賢明だと存じます。
運のいい人なら、勉強の不調時に雑用の類が集中するものと、勝手に判断しているわたくしでございます。

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パブロフの音

要は、条件反射にしておくのでございます。
フライパンを暖めている間にトーストを焼き、卵を焼く間にお湯を沸かしてスウプの用意をするのでございます。朝ごはんは大半が条件反射で出来上がるものでございます。
習慣というのは、条件に反応することでございます。
あーしたらこーするだけでございます。
お勉強というのはその名のとおり、強いるものでございますから、どうしても習慣になりがたいものでございます。
机前に座って即断に作業にかかるというのは、脂ののる中盤以降でして、序盤はやはりウンタラウンタラするものでございます。
ああ、なんて集中力のないわたくしなのでせう、と嘆く前に何かで条件反射化するのがよいのでございます。
勉強のとっかかりに適切なのは、なんといっても音楽でございます。
勉強のときの音楽を決めておき、気が進まずともかけたらやる、という風に決めておくのでございます。
実は、このススメを書く前は、シチメンドクサイのでございます。夕食の後でしたら、それこそ眠たくて食後睡眠極楽コースにいざなわれてしまうのでございます。
とはいえ、毎日こう続けてられるのは、やはり音楽の力でございます。やろうかなぁ〜程度の気分のときに「マイミュージック」にて適当に選曲して流すのでございます。
音に耳を委ねていると、よっぽど疲れているか、よっぽどご飯をはらいっぱい食べない限り、スムーズに作業に入れるのでございます。音楽が続けられている秘密でありましょう。
とはいえ、なんでも音楽ならよいというわけでもありません。邪魔にならない選曲が大切でございます。
気分が入り込んでしまうバラードやロックなどは避けるべきでございます。一番いけないのは落語、毎度古いお噺を聞いてもらいます、と米朝師匠に来られたらテキストなど読んでおられません。
穏当なのはクラッシックで、一番邪魔にならないのはモーツァルトでございましょう。邪魔にならないし気が散らない、しかしときに耳を澄ますと気分転換になるという、まったき室内曲が多いのでございます。
1万そこそこあれば携帯プレイヤーが手に入る時代。
無理矢理イヤイヤ、気合を入れて勉強を始めるより、曲に身を任せて入っていくのも優雅なスタイルだと思うのでございます。

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言葉は佞者のもと

「お前はことわざで生きているのか?」といいたくなるものでございます。
口だけでアーダコーダいう人のことでございます。
孔子様は、自分で本気にもしていない正論を吐く者を最も憎む、とおっしゃいました。
(子曰く、この故にかの佞者を悪む(にくむ)と。−先進編
耳のここちのよい言葉、反論できない正義の言葉、自分自身で言うためになる言葉は、裏を取ってからでないと危険でございます。
そっくり自分をだましてしまうからでございます。
ウィル・スミス親子主演「しあわせのかたち」という映画がございます。「まさか、そんなものがあるのかしらん?」とフラフラ題名だけに魅かれたわたくしでございます。
この映画、まさにわたくしような独り身で不幸せな人を引きよせる誘蛾灯タイトルでございます。まさに世はタイトルのみ。
結論からいえば、この映画はクソでございまして、「自己愛のかたち」にでもしとけよ、と配給のソニーピクチャーに毒づきながら帰ったのは言うまでもありません。
ま、黒澤明監督は、どんな映画でもいいところがあるといってましたので、「配給がソニーのときは要注意」「タイトルに惹かれたときは要注意」という格言を血を流して得たわたくしでございます。
そもそも、しあわせに形などないと思っているのに、なに期待してんだか、と己を欺きし自分を酒の肴にしたものでございます。
とまれ、今シックリ来る言葉の逆を追うべきなのでございます。
「がんばろう」なら、「がんばらない」を考察してこそ、意味を持つのでございます。
「がんばらないで済ますには」などなど、アレコレ考えるうちに皮膚感覚の持てる言葉にたどり着くのでございます。
「ガンバロウガンバロウ」なんて題目を唱えるのら、法蓮華経と唱えておくべし、といいたいのでございます。功徳はタップリと保証してくれます。
真理は今の言葉の逆でございます。裏を取ってこそ、突破点を見出すのでございます。
経費削減といわれたら、どこの経費を上げればよいかを、つまりどこに更にお金をかければいいかを、人は考えたほうがトクなのでございます。

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