独学でススメ-読むだけで独学合格できるかもしれない、適当なヒントとTips

まずは見から

やはり、まずは見る事から始まるのでございます。
料理とは、見ても楽しめるものでないといけないと申します。
どんなに味がうまくても、盛り付けがひどいとその真の良さが味わえないのは、毎日の食卓でご経験かと存じます。
ちょっとした工夫で、風味は大きく変わってくるものでございます。
同じ車でも、無理した新車と妥当的合目的性経済観念だけの中古車では、走る楽しみが違うものでございます。
人間、目で見て、「予見」をつけているものであります。
それで、味覚はもとより、われわれの大半の知覚が決定されているのでございます。
飲食店が内装や容器にお金をかけるのも、全くをもって意味深長な事なのでございます。
魯山人や雄山が焼き物のウンチクを語るのも、あながち無意味な事ではないのでございます。
中食や弁当でも、あの容器のママで食べるから味気ないのでございます。
多少こったお皿に盛り付けて、少々の野菜を添えるだけも、味が変わるものでございます。
多少の食器は、骨董市に回ればいくらでも手に入る昨今でございます。21日の弘法市などなど、知らないところで面白い催しはあるものでございます。
労力わずか、少しの手間を惜しまないことでございます。
さてさて、お勉強でございます。
やはり見から入るのが、お勉強の常道かと存じます。
突然、テキストや問題集を開き、読んだり解いたりするだけがお勉強ではないのでございます。
今日はコレコレ、アレアレするのだな、とお勉強前に多少の見当をつけておれば、比較的楽になるのでございます。
急に勉強を始めるなんて、コンビニの袋を開けて即、弁当にがっつくようなものであります。
余裕を持つには、まず前もってのパラリ見なのでございます。
よりエレガントに、よりつつましく。

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その一口あと一口

その一口をやめておく、と申します。
昨今は、バイキング方式のランチが増えてございます。
ついうっかり、食べ過ぎてしまうのでございます。それもコッテリとしたものばかりを。
その一口が更なる食欲を呼ぶのでございます。獣性を目覚ませてしまうのでございます。
小食と思わせたいのは、武略でございますゆえ、普段はおさえても仕方がございません。
ばくばくバクバク食べていたら、100年の恋も3秒で消えはてることでしょう。彦星も来年からは来ないものでございます。
「あんなに食うなんて」「口に吸い込まれるかと思った」「食べられそうだった」などと思われるだけでございます。
その一口が、恋の破綻の呼び水に、または取り返しのつかないおなか周りになるのでございます。
お酒も同様でございます。ほろ酔いが一番と申します。
その一口が、いっぱいが、つもり積もって浴びるように飲んでしまうのでございます。
酒の飲みすぎは顔色に、そして内臓のダメージとして皮膚に現れてきます。鏡を見てあかんなとおもったら、ほどよいほろ酔いでございます。いっそのこと、酒をやめるのもよいでしょう。
酒をやめれば、いかにカラダが軽いか、体にアルコールの負担があったかお分かりいただけるかと。
さて、お勉強なのでございますが、お勉強では「もういっぱい」「もう一口」の精神が、うって変わって大切なのでございます。
過ぎたるはなんとやら、と申しますが、過度ではない「もうちょっと」のお勉強を薦めるものでございます。
今日は終わり、寝る、とさばさば切り上げるのもよいのではありますが、そこで、まあ5分くらい時間を見て、少しく復習したりテキストを読んだりするのでございます。次の予習に当てるのもよいでしょう。
これが余裕の元になるのでございます。
類は友を呼ぶと申します。余裕を設けるからこそ、次の余裕が生まれ、余裕の実力が身につき、本試験でも落ち着き払える余裕が生まれるのでございます。
めんどくさいと思っても、エイ!と踏ん張ってあと5分の精神なのでございます。

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やっても感

わたくしは、サラダ派なのでございます。ポテトを注文する事は絶えて久しいのでございます。
自炊を始めてから気づいたのでございますが、あのポテトフライを作るには膨大な油が必要だと悟ったからでございます。
冷凍のポテトフライを揚げようとして困ったのは、かなり大目の油を用意しないといけないということ。そして、その処理もございます。
こんな手間かかるなら要らんわ、と思ったものでございます。
何より驚くのは、使った前後の油の減りようでございます。減った分は食べたのだなぁと思うとぞっとしたものでございます。
ポテトフライ一人前で、大コップ一杯分の油を飲んでいるのかと思うと、食べる気がなくなったのでございます。
それ以来、ポテトフライは食卓から消えたのでございます。
ですからファストフードでも、サラダになったのでございます。
これまで、ファストフードを食べても「食べたりない」「食べた気がしない」感が、多々ございました。
それはおそらく、あまりにも栄養が偏りすぎているためカラダが驚いている、と考えたのでございます。
ファストフード(ポテトのセット)を食すと、そのあまりにものカロリー、驚くべき油脂を消化するため、ビタミンを総動員して消化に当たっているのでしょう。
食い足りない感は、消化に費やされたビタミンを速やかに補給してくれ、野菜を食べてくれというサインなのであろうと考え至ったものでございます。
ファストフードでも、サラダ1品を加えると、食べたのに飢餓感を感じるような事はなくなったのでございます。
さてさて、お勉強にも飢餓感とはございます。やってもやっても、やった気がしない感触でございます。
やっても感ばかりが積もる時は、何か大事な事、必要な事を見失っているのでございます。
何かが不足しているが故の、やっても感なのでございます。
こうなりましたら、少し日課を減らして、じぶんの足りないものに意を馳せてみるなどの、他の作業を付け加えるときなのでございます。
同じ事を同じきように繰り返すと、確かに実力は伸びるのですが、心身の消耗は激しく、パタリとお勉強自体が止まってしまいます。
それを無理して続けると、本試験前までに燃え尽きてしまうのでございます。
過ぎたるはなんとやらと申します。
やはりお勉強も、バランスなのでございます。
アタマも胃袋同様でございます。

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